だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会ニュースレター「わたしもあなたも」 2013年8月25日発行 第10号 だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会 【連絡先】在宅障害者支援ネットワーク 大分市都町2丁目7−4 303号 TEL・FAX 097−513−2313 メール info@daremoga-oita.net ホームページ http://www.daremoga-oita.net 第1面から第3面 「本音トーク」 見出し 人と、地域と、つながって生きる  条例づくりのために実施したアンケートで、障がいがある子どもの親もまた、自由に働けないという“障がい”を抱えていることが浮き彫りになりました。  そんな中、宇佐市のNPO法人宇佐市障がい者共同受注協議会(内尾和弘理事長)が運営している就労支援事業所「きずな」や相談支援事業所「いきる」は、障がいがある人だけでなく、障がいがある子どもを持つ母親やかつて引きこもりだった人たちも雇用しています。今回は、そこで働くお母さんたちにお話を聴きました。 (インタビュー大戸佳子) 写真 障がいがある子どものお母さん5人と内尾和弘さん。みんな笑顔。 記事 「お母さんの紹介」 長男が宇佐支援 学校中学部3年生。2012年2月から「きずな」に勤務。自動車のコンソールボックスを作る縫製班を担当しています。  長女が宇佐支援 学校小学部5年生。2011年11月、「きずな」の“料理長”に就任。栄養バランスのとれた昼食を届けています。 次男が宇佐支援 学校高等部1年生。2011年4月から「きずな」に勤務。乾しいたけの軸を取り除く作業などをする創作班を担当しています。 長女が宇佐支援 学校高等部2年生。2013年1月から「きずな」で創作班を担当。「いきる」で相談支援の研修も受けています。 長男が宇佐支援 学校小学部6年生。2011年4月から「きずな」で働き始め、現在は自動車部品を製造する備前発条班を担当しています。 内尾和弘理事長(62) 元宇佐市職員。10年障がい者福祉に携わり、身内ではできないことがあると実感。早期退職し、障がい者支援のネットワークづくりに奔走しています。私自身、小児マヒを経験しました。  解説 ■「きずな」ってどんな施設? 2011年3月に開所した、就労支援A型事業所+就労移行支援事業所。現在、メンバー(利用者)は約70人で、うち28人は地域の企業や農家に施設外就労している。施設では、自動車部品の加工・組立・点検を請け負う班と、約5ヘクタールの土地を耕して大麦若葉やケール、季節の野菜を育てたり、農産品を加工したりする班に分かれる。人手が足りない農家の手伝いも積極的に行っている。職員は26人。メンバーから職員になった人はこれまでに3人いる。 本文 見出し 障がい児の母が働くためのハードル ・息子を地域の小学校に行かせていた頃は、下校時間に学校へ迎えに行かなければならなかったので、6年間内職をしていました。 ・息子は重度障がいで医療的ケアが必要。「親が看ないと」と家族から働くのを反対されていました。その頃は行政などの情報がまったく入ってこず、助けを求められる場所やサービスがあることを知る術がなくて、どんなことも家族の中で相談して解決するしかなかったんです。 ・いつ学校から呼び出されてもいいように、できるだけ保育園や学校に近い短時間の仕事を選んでいました。一人でお留守番なんて考えられませんでしたが、実際任せてみると一人の時間を楽しんでいるよう。内尾さんの言う「生きる力」を実感しました。 見出し 身内以外の障がい者に接して ・「きずな」にはあらゆる障がいのメンバー(利用者)がいます。最初は接し方が分からず、暴言を浴びて涙したこともあります。それぞれの障がいの特徴を教わり、視点を変えて歩み寄ることで、心が通い合うことを学びました。 ・私は週3日の勤務から始めましたが、自分たちより優遇されていることに不満を感じたメンバーから嫌な態度を取られ、「もう辞めたい」と内尾さんに泣きつきました。その時、「あなたの子どもも、よそではそんな風に見られるかもしれないよ」と言われ、続ける決心をしました。今ではメンバーから相談を受けることもあり、自信につながっています。 ・自分の子どもを客観的に見られるようになりました。離れることで生活にリズムができ、子どもの成長にも良い影響があるようです。 見出し 子育て喜怒哀楽 ・娘は医師から「あまり前例がなく、どう育っていくか分からない」と言われました。「思ったように育つかなぁ♪(ルンルン)」と思いながらのびのび育てています。地域の小学校に1年通った後、支援学校に編入しましたが、周囲は理解がある人たちばかりで、どちらの学校も経験できてよかったです。 ・未熟児で生まれた息子が入院していた4か月間、因果関係も定かでない妊娠中の自分の行動を後悔する毎日でした。上の子どもたちがいなかったら、一緒に命を絶っていたかもしれません。でも、いざ家に連れて帰ると育てることに必死。家族で協力せざるを得ないので、嫁姑のいさかいが少なくなりました。 ・地域の小学校にどうしても息子を受け入れてくれない同級生がいて、私自身も学校や地域で居場所がない感覚を味わいました。息子の支援学校への編入を機に、ここで働き始めましたが、同じ境遇の人たちがいてとても居心地がよく、視野が広がりました。支援学校で息子のできることがどんどん増えていくのも楽しみです。 ・自閉症の息子は、思春期になって急に、ストレスを発散するためか家で暴れることが多くなりました。外でトラブルがあった時、押さえ込んだ気持ちが家で爆発するようです。今はひたすら反抗期が過ぎるのを待つ日々です。 ・17歳の娘は障害年金がもらえるかどうか微妙なライン。障がいが重いと認定されれば将来一人で生きていけるという希望が持てますが、「生活年齢5歳」と判定されるのは切ないです。 ・息子は車が大好き。外見では障がいがあると分からないので、駐車場で他人の車をのぞき込んでいたりすると、不審者に間違われないか心配です。将来運転免許を取りたいと言っているので、どう思い留まらせようか思案中です。 ・娘が私をいろんな人に出逢わせ、本当に大切なことに気付かせ、自分の願いに近づけてくれています。息子たちも「家族の仲がいいのは妹のおかげ」と言ってくれます。 社会に望むこと ・「ありのままでいい」と言われても、今の社会は我慢して合わせなければならないことが多すぎます。個性を受け入れ、みんなが地域の学校に安心して通える社会になってほしいと思います。 ・やはり、子どもより1日でも長く生きたいという想いはあります。本人が1日10分でも「働いた」という実感を持ち、虐待がなく、毎日笑って生活できる社会が実現すれば、安心できるかもしれません。 囲み記事 ■NPO法人宇佐市障がい者共同受注協議会とは…  就労支援事業所「きずな」と相談支援事業所「いきる」、グループホーム「おとなりさん」「ご近助さん」を運営。除外申請を出さずに最低賃金以上で雇用し、些少でもボーナスを支給できるよう工面している。宇佐市内の事業所で仕事を共同受注する仕組みの構築を目指す。 ■内尾和弘理事長の想い  収入が保障されてはじめて、実際の生活に希望が持てます。だから、最低賃金が出発点。技術を磨き、単価を上げることで、一人ひとりの賃金を上げ、将来は職員とメンバーの待遇を同じにすることが目標です。障がいがない人にも多様な働き方を提供し、自分に合った形で社会と関わっていけばいいと気付いてほしいと思っています。  先日、メンバーにアンケートでやりたいことを尋ねてみました。すると、手話や英語、漢字など、勉強をしたいという声がたくさん出てきました。みんな他の人よりゆっくり成長しているだけのに、18歳になったら一律に学ぶ場を奪われてしまうんです。だから今、希望者が終業後に参加できる勉強会を開催しています。誰かが思ったことは、みんなの問題。まだない仕組みは、これから作ればいいだけなんです。  とかく障がいがある子どもを持つお母さんたちは、子どもに対して要らん世話を焼きたがります。でも、周囲に迷惑をかけないように、子どもが傷つかないようにと差し出したその手が、その子の生きる力を奪うかもしれません。その子を信じ、失敗しても一緒に歩いていくことが大切なのではないでしょうか。  本人がしたいことをできるようにすることが、本当の支援。そして、自分らしさを押し殺してきた人たちが、悪いことも含めて自分のすべてを出せるようになった姿を見ることが、私の最高の喜びです。 記事 本音トーク番外編 「きずな」で働く2組のカップルに、それぞれの結婚・出産について直撃してみました。 井福 三郎さん(40) 寿子(ひさこ)さん(33)夫婦  三郎さんはてんかんの手術による高次脳機能障害。寿子さんは発達に遅れがあり、母親らから虐待を受けて育った。家出や自殺未遂を繰り返し、荒れた生活を送っていた寿子さんは、紆余曲折を経て昨年12月、内尾さんが運営するグループホームに入所。三郎さんと出会い、一目で恋に落ちた。  今年4月30日に入籍、5月15日から市営住宅で2人暮らしを始めた。内尾さんから家計簿のつけ方を教わり、計画的に貯金もできるようになった。寿子さんがPTSDで刃物や紐などを持てないため、家事はヘルパーの力を借りている。  三郎さんは困っている人の力になりたいと、ヘルパーや手話の勉強をする努力家。「周囲の人の幸せを願って生きてきたけど、そろそろ自分が幸せになってもいいのかな」とにっこり。寿子さんも「こんなに人を好きになったのは初めて。1日でも長く生きて、同じような境遇の人に、今日は悪くても明日はいいことがあると伝えたい」。未来への希望がつながった。 写真 笑顔の二人 鈴木 満さん(42) 富美子さん(41) 陽斗(まさと)くん(4)一家  満さんと富美子さんはともに視覚障がい者。5年前に知り合い結婚、すぐに陽斗くんを授かった。妊娠中はつわりがひどく、点滴で命をつないだ。予定日より約2か月早い切迫早産。1872gの陽斗くんは入院を余儀なくされた。  夫婦にとって最大の試練が訪れたのは、陽斗くんの退院のとき。病院側は、24時間ヘルパーをつけなければ、陽斗くんを施設に預けると主張した。あまりのショックに、富美子さんは失言症になってしまう。結局、内尾さんらが病院側を説得し、家族3人水入らずの生活を手に入れることができた。  ところが今、夫婦は第2の試練に直面している。職場が同じ2人は四六時中一緒。気が変わりやすくヤキモチ焼きな満さんの言動に、富美子さんの心が悲鳴を上げてしまった。取材時、満さんは山口県岩国市で“修行中”。再び仲むつまじい家族に戻るための冷却期間だった。  富美子さんは「結婚するとき、親から『あと2年付き合ってから決めなさい』と反対された意味が今は分かる。離婚という言葉が頭をよぎるけど、男の子には男親が必要。子どもの成長を2人で見守りたい」と語った。 写真 お母さんと子供 第4面「地域の声・声・声」1 県南「タウンミーティング」の報告  6月15日,津久見市民会館第2会議室で開催され,佐伯、津久見、臼杵などから50数名が参加。徳田共同代表の条例素案の説明を聞き、意見交換を行いました。「アイマスクや車イスを体験しても本当のことはわからない」(視覚障がいの方)、「ヘルパーに合わせる生活ではなく,自分のペースで生活したい」(吉田真知子さん)という声、また結婚したいという二人からのメッセージなども寄せられ、思いの込められた発言が多く出されました。 西田菊人さん(視覚障がい・津久見市)  銀行は「字が書けないから金を出せない」と言う。眼が見えないとはそういうこと。お母さんが「あなた、お母さんの言うことを聞かないと眼が見えなくなるよ」と言ってた。パソコンを読むソフトが3万円、14万円、18万円など高額だが、市町村の補助がバラバラ。県の補助があればいいと思う。私たちも一生懸命やっているけど、行政や議会も私たちの声を聞いて,不便調査をして行政に生かしてください。町で一言、「何か手伝えることはありませんか」と声をかけられるようになってほしい。信号を一緒に渡りましょうかと言える子どもたちが大人になれば変わるかなと思う。また、共用品(ユニバーサルデザイン)が増えるといいと思う。 吉田真知子さん(脳性マヒ・佐伯市)  住居が見つからなくて,老人施設に一時入ったが、話が合わず,プライバシーがなく,友達がいなくていやだった。1人暮らしは自由でいいが、現状はサービスに合わせて生活をしなければならない。ヘルパーさんの来てくれる時間にトイレなどの時間を合わせて、自然現象なのに我慢したり、行きたくないのに行くこともある。高齢の母がいるが、母も歩けない。一緒に暮らすのがいいのだろうけど,一緒に暮らせない。公営住宅にも入れない。“親なき後”もだが、親が高齢化したときにどうすればいいのか。この前、宮崎にコンサートに行ったが、サービスがないとどこにも行けない。移動支援はあるが、ヘルパーさんの車に乗っていくことはできない。それができればと思う。 「別府市条例・大分県条例を理解するタウンミーティング」の報告 見出し 誰もが安心・安全な社会を! 「誰もが安心・安全な社会を!別府市条例・大分県条例を理解するタウンミーティング」は7月7日、別府市社会福祉会館の多目的大広間で開催されました。第1部は「別府市条例を知る」,第2部が「大分県条例を知る」でした。第1部では西田幸生・身障協前会長があいさつし、市条例を作る会事務局の河野龍児さんが現状報告を行いました。第2部は湯澤純一県条例をつくる会共同代表があいさつ。徳田靖之共同代表が経過と概要を説明したあと、条例の特色を5名が提起しました。 5面「地域の声・声・声」2 別府市タウンミーティングでの声 「親なきあと」について 藤内浩さん 精神障がい者の親と話すと親なきあとの心配が一番多いが、本人も不安を持っている。本人や家族の参加を実現し問題解決に取り組みたい。 「親なきあと」について 田中康子さん 知的障がいの子は親がいなくなることを理解できない。施設に預けると不安な親子もいる。声を受けとめた条例で光が見えてきたが、削らずに実現したい。 性・恋愛・結婚について 森本陽子さん 性欲は人間の三大欲求の一つ。私は女を忘れず自由に生きたい。まだ保守的な障がい感が根強いが障がいを卑下するところからは何も始まらない。 性・恋愛・結婚について  安富秀和さんこれまで個人の問題とされ悩んでどこにも相談できない人,恋愛をしたことがない人がいる。条例で取り上げたことはすごい。声を上げる、知ることが必要。 防災について 村野淳子さん 災害時、障がい者の死亡率は2倍以上というデータがある。避難をあきらめた人、情報が届かない人、要援護者の名簿がなく支援できない事も。今から考える事が大切。 「大分県障がいフォーラムin中津」の報告  7月13日、中津市の教育福祉センターで「大分県障がいフォーラムin中津」が開かれました。参加者は中津市を中心に、県内各地の障がい当事者や家族、福祉関係者に多くの市民や行政など193名。徳田靖之・県条例をつくる会共同代表の講演、地域の取り組みの報告などが行われました。  徳田共同代表は、障がいの考え方が「社会の側が配慮しないことが障がいをつくる」という社会モデルに180度変わったことを紹介、その考え方に基づいた「だれもが安心して暮らせる大分県条例」づくりの取り組みを紹介し、障がいがある人が安心して暮らせる地域をつくる事がすべての人が暮らしやすい地域をつくる事につながると話しました。この条例を成立させ安心して暮らせる地域をつくるために県議会への署名への協力を呼びかけました。活動発表では中津や大分などの様々な取り組みが報告されました。  活動発表の一部を紹介します。 人工呼吸器と一緒に在宅生活10年 吉田春美さん(大分市) 自立生活などできないと思われていたが、重度訪問介護などによる24時間の支援を受けて在宅の生活を10年間続けてきた。支援事業所に感謝している。重度訪問介護の単価が低い事、地域差が大きいなど、問題も多くあきらめる人がいる。必要な人が支援を受けられるようにしてもらいたい。申告しなければサービスを受けられない事も多い。印鑑登録等、代筆を認めないこともある。また、この10年間、多くのヘルパーや支援者が交代したり、辞めたりしてきた。働き続けるための条件整備も必要だと思う。 中津から宇佐へ・宇佐から中津へ たんぽぽの会(中津・宇佐・豊後高田) 県北の発達障がいの子どもの親と支援者の会で、13年間になる。九年前、中津市で夏休みのサポートに取り組み、市として取り組むことが実現した。続いて宇佐市で実現することができた。余暇活動は宇佐市のアンケートで必要性が明らかになり、実現することができた。続いて中津市でも行われることになった。地域で情報を共有して協力してきた成果だと思う。親同士、支援者などが協力していくことが大切だと考えている。 6面「地域の声・声・声」3 日田「みんなで知って、みんなで考え、みんなで話し合う会」の報告  7月25日、日田市役所大会議室で「だれもが安心して暮らせる大分県条例」をみんなで知って、みんなで考え、みんなで話し合う会が開かれました。障がいがある人や家族、福祉関係者など約80人が参加し、県条例をつくる会の徳田靖之共同代表の説明を聞き、意見交換を行いました。  参加者からは、「地域で暮らしたいとアパートを探したが、改修とか保証人とかで引っかかり、やっと見つかったが入れなかった」、「障がいを意識していない引きこもりやニートの人もいる」、「地域リハビリがあるが十分機能していない。地域に即した活動が大切」、「ヘッドギアや白杖に対して小学生からいやな事を言われた」、「中学の頃、いじめられた」など多くの声が出され、思いのこもった意見交換の場になりました。 「重度障がい者訪問介護を考えるフォーラム」の報告  6月8日、大分市のコンパルホールで「重度障がい者訪問介護を考えるフォーラム」が開かれました。地域で訪問介護による自立生活をしている重度の障がいがある人たちが思いを話し、意見交換が行われました。「条例づくりのなかでも取り上げていくことが必要」という声も出され,今後継続的に取り組んでいくことを確認しました。 シンポジストの思い 川野陽子さん(日出町) 障がい者を支援するヘルパーが不足している。特に夜間の女性ヘルパーの確保が難しい。3月から5月まで、夜間を一人の介護者が支援してくれた。社会参加をあきらめた時期があった。「重度訪問介護」の制度で自立が可能になっているが改善が必要なことも多い。 宮西君代さん(大分市) 重度の人の自立支援は問題がたくさんあるのに、話し合う場がない。親の高齢化のために自立する場合の支援は1事業所だけではできない。しかし支援を断る事業所もあるし、連携して支援する時のあり方も難しい。 吉田真智子さん(佐伯市) 今は支援の時間が限定されヘルパーが来る時間に合わせて生活しなければならない。トイレにも行きたいときに行けない。障害者の自立支援は介護保険ではできない。自分に合わせた支援が欲しい。 寄村仁子さん(宇佐市) 40年間、障がいがある人と家族とともに地域で暮らすために取り組んできた。最重度の人のためのケアホームもつくったが、地域で暮らす重度の人への支援はまだ不十分だと思う。もっと理解して支えていくことが必要だ。 徳田靖之さん(コーディネーター) たくさんの問題がありここで答えを出すことはできない。まず地域で暮らす人たちの声を聞いて一緒に考えていくことが必要。今日を出発点にしたい。 7面「条例づくりはいま・・・」 ●県議会の全会派が「条例は必要」  「条例素案」を作成して以降、県議会や県、さらに地域や関係団体などに働きかけを行ってきました。その結果、県議会ではすべての会派から「だれもが安心して暮らせる大分県条例を成立させたい」という同意をいただくことができました。  また、6月27日の県議会一般質問では土居昌弘県議(竹田市)が県に対して条例づくりについて質問を行いました。土居議員は、国連での障害者権利条約の採択、条約を批准するための国の法制度改正の取り組み、そして5道県で条例が制定されたことなどに触れた上で、大分県の条例制定の動きについて、だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会が、1200人の障がい者・家族の声をもとに条例素案をつくって制定に向けて取り組んでおり、重く受けとめなければならない」と県に対して条例成立に向けて積極的に取り組むよう求めました。  県は,平原福祉保健部長が「県条例をつくる会が条例素案をつくり働きかけを行っていることは承知している。その動きを踏まえ、差別解消のために関係者、関係団体の声を聞きながら対応していきたい」と答弁しました。 ●広がる請願署名−地域相談員募集も開始  県議会への署名の取り組みは現在、署名用紙(10名連記)を3500枚作成し、各地の会員や世話人、様々な団体等に約2500枚を配布しています。合わせて返信用封筒(料金受取人払い)も配布しており、事務局には毎日、記入された用紙が届き、取り組みの広がりを実感しています。多くの方々のご協力により、署名者数は第1次集約(8月20日現在)で目標の5000人を超えましたが、県議会への提出に向けて、さらに用紙を広く配布し、積極的に署名をお願いしていきたいと考えています。地域の障がい者団体や福祉事業所など様々な団体や職場、個人などに働きかけていただきますようお願いします。  また、「地域相談員」についても名称や位置づけ等について意見交換を行ってきましたが、地域で条例に賛同し,地域づくりを積極的に支える気持ちを持った人が多くいることを示すためにも多くの人に手を上げてもらうよう呼びかけを開始しています。 ご案内 「県条例をつくる会第17回世話人会」 日時 10月12日(土)13時30分 場所 大分市 コンパルホール3階 302会議室 お知らせ 署名用紙・返信用封筒・地域相談員申し込み用紙が必要な方はご連絡ください。希望数をお送りします。点字版もあります。 8面「言わせちょくれ」第10回 「恵みの水たれ!」 大分市 元記者 小川 彰  今春、学生時代以来、四十余年ぶりに福島の会津若松を旅した。この旅で最も印象的だったことは、皮肉にも大切な水が白虎隊にもたらした苛酷な運命だった。  会津藩の白虎隊。中でも士中二番隊は十六歳と十七歳の少年兵で編成。その数三十七人。幕末の戊辰戦争時、猪苗代湖西岸の戸の口原の戦いで新政府軍に敗れた会津藩の一員。士中二番隊も新式銃で果敢に戦ったが、わずか二十人が生き延びるだけとなり、飯盛(いいもり)山の下を走る用水路の洞穴を抜け、飯盛山に出る。  そこから彼らが見たのは若松城(鶴ヶ城)を中心に城下一帯の惨状。黒煙に包まれた若松城を見て、城も炎上と早合点。十九人が城を拝して自刃した。  この用水路は猪苗代湖から会津盆地へ水を引く。長さ三十一キロだが、艱難(かんなん)辛苦の末に完成させ、盆地に豊かな実りをもたらせた。  しかし、用水路から飯盛山に出るわずか百五十メートルほどの洞穴さえなかったら、城を見て炎上と錯覚することもなく、少年兵の多くが生き延びたことであろう。  県内の話に入ろう。国宝・臼杵石仏。これまで何回も石仏に手を合わせてきたが、臼杵川を挟んで国道脇の田畑に立つ「深田の鳥居」の姿にビックリ。これまで不覚にも気付かなかった。凝灰岩の太い柱脚をつなぐ二本の横軸の下端は、地面まで二メートル弱。長身の者なら頭をこすりそう。  さらに石仏群を右手に見ながら支流沿いを歩くと、左手に満月寺。寺の前には台石を含め膝から下が見えない二体の仁王像。  さっそく図書館で関連資料を調べると、昔から相次ぐ臼杵川や同支流の氾濫により、土砂で埋まったものと分かった。石仏群も永年にわたり、“水の恵みと悪魔の営み”を見続けてきたに相違あるまい。  竹田市玉来から国道を外れ荻方面へ。荻地区は阿蘇の大噴火などで大半が高台になっており、古より水争いが絶えなかった。ブラブラドライブの途中、アッと思わされたのが「円形分水」である。まさに先人の知恵であろう。  この円形分水施設のある音無井路は、大野川上流域にある熊本側の支流・大谷川を源流とする。同川の大谷ダムには適度な水漏れ?があり、「万一、工事により水漏れが止まった場合は小さな穴をあける」―という笑い話みたいな確約があったと伝わる。  明治二十五年、音無井路は完成。同地まで通水したのはいいが、三つの幹線水路に流される水量の分配でおおもめ。そうした苦労の末、昭和九年、円形分水は完成。幹線水路に適正配分されることになった。  円形分水は、写真を見ていただくと一目瞭然だが、中央部分にコンコンと湧き出る水が、十数個のコンクリート窓から三つの幹線水路に流れ込む仕組み。音無井路土地改良区の案内板には「水は農家の魂なり」と。  先日、国東半島宇佐地域が「世界農業遺産」に決まった。「クヌギ林と、ため池がつなぐ農林水産循環」が評価の対象。同地区は、昔から降水量が少なく、千二百以上のため池がある。  繰り返される豪雨と日照り。屈することなく闘ってきた先人たちの血のにじむような労苦。心しておこう! (6月下旬出稿) 写真 1 深田の鳥居(臼杵市) 2 円形分水(竹田市) 以上