だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会ニュースレター「わたしもあなたも」 2013年11月30日発行 第11号 だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会 【連絡先】在宅障害者支援ネットワーク 大分市都町2丁目7−4 303号 TEL・FAX 097−513−2313 メール info@daremoga-oita.net ホームページ http://www.daremoga-oita.net 第1面 「本音トーク」 説明文 今年9月20日、別府市議会で「別府市障がいのある人もない人も安心して安全に暮らせる条例(別府市ともに生きる条例)」が採択されました。国連の障害者権利条約を受けてつくられた市町村単位の条例としては、全国で3番目、西日本では初の制定です。官民24人で組織された作業部会には、「別府市条例をつくる呼びかけ人会」のメンバー11人が参加し、活発な議論が交わされました。今回は、呼びかけ人会の代表世話人を務めた西田幸生さんにお話を聴きました。 (インタビュー大戸佳子) 写真 パソコンの前で笑顔の西田幸生さん 記事  毎朝白杖を持ち、別府市秋葉町の自宅から流川通りの音声信号を渡って別府駅まで、小一時間散歩する。車のタイヤに杖を巻き込まれて折られたり、携帯電話を操作しながら歩いている人を避けようと身を翻したら方角が分からなくなったりと、困難に遭遇することもしばしば。  「バリアフリーと一口に言っても、私のような視覚障がい者は、歩道と車道の間に段差がないと怖くて歩けない。でも、車いすの人にとっては、段差は障がいになってしまう。何が不便かは一人ひとり話を聞いてみないと分からない。役場の担当者がどんどん変わっていく中で、様々な立場の意見をいかに吸い上げ、どのように実践するかが重要」と感じている。  若い頃、関西で生活したため、阪神大震災に大きな衝撃を受けた。「安心はあっても安全はないと痛感した」。その後に起きた中越地震や東日本大震災で、さらに想いを強めた。別府市ともに生きる条例には、防災や災害時の安全対策がしっかり盛り込まれている。  2014年4月の条例施行に向けて、市民への浸透・啓発が課題となる。「どんなに立派な条例ができても、実効性がなければ絵に描いた餅。官民が協力して広く市民に呼びかけ、浸透・啓発を目指したい。特に教育現場は大事。子どもたちに折に触れて話すことで、差別意識が生まれないようにしてほしい」と望んでいる。  「誰でも障がい者になる可能性がある。また、障がいと認定されなくても、生活に不自由を感じている人は多いはず。身近に障がい者がいないから関係ないと思わず、将来の自分や家族の暮らしを守る条例だということを理解してほしい」。理想の社会実現に向け、新たな一歩を踏み出した。 西田幸生さん(72)=別府市= 竹田市生まれ。小学6年生の時、網膜剥離で右目を失明。強い近視だった左目も年齢を重ねるにつれ視力が落ち、60歳を過ぎた頃とうとう0に。竹田や大阪、兵庫での仕事を経て、1969年に別府で「ニシダ長命堂はり灸院」を開院。大分県盲人協会理事や別府市身体障害者福祉団体協議会会長などを歴任した。趣味はパソコン。人生を共に歩んだ妻とは、3年後に金婚式を迎える。「もう一度光が戻るなら花を見たい。富士見通りのオオムラサキツツジ、境川の桜…。今も脳裏に焼きついています」。 第2面 別府市障害のある人もない人も安心して安全に暮らせる条例の内容と成立の経過 見出し 「別府市障害のある人もない人も安心して安全に暮らせる条例」成立 市民と行政が協力してつくり上げる “親亡き後”・防災などに取り組み開始 説明文  別府市で9月に成立した「障害のある人もない人も安心して安全に暮らせる条例」は、市民と行政が協力してつくり上げた画期的な条例です。アンケートで寄せられた“親亡き後”や災害の不安などに積極的に取り組む内容は全国にも例がなく、障がいがある人や家族を含んだ市民参加による福祉の街づくりに大きな役割を果たしそうです。成立の経過と内容を紹介します。 ●別府市条例の組み立て 前文 第1章 総則(第1条−第6条) 第2章 障害のある人への差別及び虐待をなくすための取組 第1節 差別及び虐待の禁止(第7条・第8条) 第2節 相互理解の促進(第9条) 第3節 合理的配慮(第10条−第16条) 第3章 差別等事案を解決するための仕組み(第17条−第22条) 第4章 親亡き後等の問題を解決するための取組(第23条) 第5章 雑則(第24条) ●前文 自己選択や自己決定を尊重する真の意味の自立と社会参加を実現し、住む人も訪れる人も、障がいのある人もない人も、すべての人が(中略)安心して安全に暮らせる別府を実現する。 ●合理的配慮 社会的障壁を取り除くに当たって、その実施に伴う負担が過重でない場合に、障害のある人にとって必要とされる社会的な制度の整備及び支援を行うこと。 ・基本的理念   障害のある人の完全参加と平等、合理的配慮の必要性 ・市の責務   障害のある人への差別及び虐待をなくすための取組に係る施策を総合的かつ計画的に実施する。(基本事項:障害に対する理解を広め、定着させる、障害のある人からの意見聴取) ・市民及び事業者の責務   障害に対する理解を深め、障害のある人への差別及び虐待をなくすための取組に協力する。 ・合理的配慮の評価   市は、毎年度、合理的配慮の実施状況を確認し、その評価を行う。  その他、「親亡き後等の問題を解決する総合的な施策を策定、実施」など。 見出し 条例制定までの経過 本文  別杵速見国東福祉フォーラム実行委員会で「別府市に条例を」という声が高まる。 2010年10月 別府市条例づくり事務局発足。市長選挙で候補者に条例制定を要請。 2011年5月8日 別府市条例をつくる会世話人会開催。市との協議を開始。 8月〜9月 条例制定に関する意見募集。 11月18日 浜田市長から別府市障害者自立支援協議会へ条例制定に関して諮問。 12月22日 別府市障害者自立支援協議会で「条例制定作業部会」設置決定。 2011年12月〜2012年8月 条例制定作業部会で条例の骨格を検討(計10回開催)。 2012年9月21日 平成24年度第2回別府市障害者自立支援協議会で条例制定作業部会から答申(案)の最終報告。 9月28日 別府市障害者自立支援協議会から浜田市長へ「条例案を作成するに当たっての基本的な考え方」を答申。 10月12日 第1回条例制定庁内検討委員会を開催。 11月28日 「条例制定作業部会」と「条例制定庁内検討委員会」で意見交換会開催。 12月27日 第2回条例制定庁内検討委員会で条例素案を策定。 2013年1月7日〜2月5日 条例素案に関する意見募集(パブリックコメント)。 1月8日〜2月15日 条例素案に関するタウンミーティング(一般・中学校)を開催。 3月29日 平成24年度第4回別府市障害者自立支援協議会へ経過を報告。 5月9日 平成25年度別府市民生委員児童委員協議会総会後に民生委員・児童委員に対して、条例の説明と条例への協力を依頼。 5月〜7月 厚生環境教育委員会所管事務調査が開催。(計4回開催) 9月5日 平成25年第3回市議会定例会に条例案を提出。 9月20日 条例案が可決される。 11月17日 条例をつくる会第6回総会開催。 第3面 見出し 「別府市障害のある人もない人も安心して安全に暮らせる条例」施行に寄せて 「大切な仲間を失いたくない」と願って 筆者 別府市 河野龍児 写真 河野龍児さんの笑顔 本文  2013年9月20日、「別府市障害のある人もない人も安心して安全に暮らせる条例」が別府市議会定例議会にて全会一致で採択されました。呼びかけ人会が発足して、取り組みを始めて約3年、ようやく一つのゴールへ辿り着いた感じがしています。これもひとえに関わられました多くの皆さまのご理解とご協力の賜物だと思います。  さて、私自身、つくる会の事務局や条例制定作業部会の委員としてこの条例づくりと向き合うにあたり、いつも心の拠り所としていたのは一人の女性の存在です。2007年4月21日の火災事故で僕らの大切な仲間、五十嵐えりさんを亡くしました。彼女をあの事故で失った時から、もう二度と大切な仲間を失いたくないと必死に活動を続けてきた目標がようやく叶ったと実感しています。  条例の大きな柱の一つとして、災害時要援護者支援について記載されています。どの項目もとても大切な内容ですが、災害の際に大切な仲間が命を落とさなくても良いように、これから具体的な仕組みづくりが始まります。これからが新たなスタートです。  別府市でも地域防災計画が作成されています。福祉避難所として協定を結ぶ施設も増えてきています。しかしながら、要援護者と言われる障害のある方々の不安は何一つ払拭されていないのが現状です。条例ができただけでは何も解決されません。具体的なしくみを早期に作成し、それが機能するよう災害が起きる前の現在の具体的な取組みが重要だと思います。  誰もが住み慣れた地域で安心安全に暮らせるような別府市や大分県を目指して、これからも微力ながら頑張っていこうと思いますので、みなさんどうぞよろしくお願い致します。 河野龍児さんの紹介  誰もが安心して安全に暮らせる別府市条例をつくる会の事務局長として、また別府市条例制定作業部会委員として、条例づくりに中心的な立場で関わってきました。県条例づくりでも別杵速見国東地域班の事務局担当として活躍しています。 見出し 別府市条例をつくる会第6回総会 「条例制定後が大切」で一致 写真1 浜田市長に感謝状を贈る西田・別府市条例をつくる会代表 写真2 浜田市長に花束と記念品を贈る川野陽子さん、松木紫帆さんら。 写真3 総会会場風景(条例制定メンバーによる話し合い) 本文  条例成立後の11月17日、別府市社会福祉会館で別府市条例をつくる会の第6回総会が開かれました。約80人が参加し、条例成立の意義を高く評価するとともに、浜田博市長に感謝状と花束を贈呈しました。  西田幸生代表のあいさつに続いて、浜田市長が「これからが本番。官民協働、全庁体制で取り組みたい」とあいさつ。条例制定の経過と内容については別府市障害福祉課の猪原主査が「市民の願いがつくった条例。これからも市民の役割が重要」、つくる会の河野事務局長も「思いを込めた条例。関わり続けたい」と話しました。条例制定作業部会のメンバーや市障害福祉課の岩尾課長が、「親なきあと」や「防災」など今後の課題について意見交換しました。(内容は次号で紹介予定)  条例をつくる会はこの総会で解散し、今後は事務局機能を残して、来年4月の条例施行、さらにその後の取り組みを市と協力しながら進めていくことになりました。 第4面「条例づくりは今」 見出し 県議会に「だれもが安心して暮らせる大分県条例 素案」を説明 積極的な県議会政策協議会 写真 大分県議会政策検討委員会で説明をする湯澤共同代表ら 本文  県条例をつくる会の代表世話人ら13人は9月19日、県議会の政策検討協議会(会長 田中利明副議長)で県条例の素案について説明しました。議会側から協議会メンバー(各会派代表)全員の11人と議会事務局や県障害福祉課担当職員も出席し、意見交換を行いました。  会から、素案は県内1200人以上の障がいのある人や家族の声をもとに、「社会モデル」の普及や「親亡き後」、「結婚・出産・子育て」、防災などへの対策、障がい者の声が反映された問題解決と推進手段が盛り込まれていることなどを説明。地域の理解とつながりにもとづいた「地域福祉」を実現し、福祉を大分の誇るべき文化にすることをめざしていると説明しました。  議員から「県民にどう広め周知していくのか?」「企業への合理的配慮の理解については?」などの意見や質問が出されました。会からは、「県民の理解と協力県民全体のものにならない。行政、議員、マスメディアなどの協力を得ながら県民の関心と理解を深めていきたい」、また「関係団体の理解と協力も重視している。社会全体で支えることが必要」などと考えを伝えました。  最後に田中協議会会長が、つくる会のメンバーに素案作成の労をねぎらったあと、「今後は現場の方々の声を聞かせてもらいながら政策協議会で条例素案に検討を加えていきたい」と挨拶して終了しました。 見出し 県議会に2万人の請願署名提出 写真 近藤県議会議長に請願署名を提出する共同代表ら 本文  11月29日、県条例をつくる会は県議会の近藤和義議長に条例制定を求める請願署名を提出しました。署名の総数は、みんなの頑張りで2万918筆。共同代表を先頭に10名が県議会を訪れました。  県議会では土居県議、守永県議、竹内県議が紹介議員として同行。請願書を徳田共同代表が近藤和義議長に手渡し、参加者から「視覚障がい者の立場からぜひ成立させてほしい」、「県民みんなの問題として取り組んでほしい」、「地域の思いを受けとめてほしい」など条例にかける思いを伝えました。各議員からも成立に向けて積極的に取り組みたいというお話があり、近藤和義議長も「皆さんの思いを受けとめ条例成立に向けて取り組む」と力強く語ってくれました。成立への大きな一歩です。 見出し 12月県議会で「継続審議」―来春目途に“協議会案” 本文  県条例をつくる会の請願を受けた大分県議会は審議の結果、最終日の12月11日に「継続審査」を決定しました。常任委員会報告で福祉保健生活環境委員会の古手川委員長が、「『だれもが安心して暮らせる大分県条例の制定』については、さらに審査を要するのでこれから閉会中の継続審査としたい」と報告。採決では「異議なし!」の声で決定しました。  今後、政策検討協議会(会長・田中副議長)が来年1月15日に千葉県条例などの調査を行うなどして、議員提出議案としてまとめる作業を進める予定です。田中会長は福祉保健生活環境委員会で「協議会としては今後、関係団体との調整を行うとともに条例の審査は県とも同時並行的に進めたい。視察では障がい者の権利意識や県の責務など実態調査を行い、費用の面などもまとめるなどして素案に対する審査を3月まで精力的に行いながら案をまとめていきたい」と話しています。 5面「条例ができると−千葉県の取り組みから」 説明文  各地の集いで「条例ができると何が変わるのですか?」という質問がよく出されます。そこで、条例制定後の千葉県を調べてみました…。 見出し 相談活動は― 本文  地域に約600人の地域相談員を委託、16圏域に16人の広域専門相談員を配置。すべての相談は広域相談員に連絡され、地域と連携して解決に努める。例えば ・「市の会議で点字資料がなかった」という相談には相談員が市を訪問。その後改善された。 ・「精神障がいを告げたら病院の対応が一変した」という相談には、広域相談員が病院の全職員を対象に勉強会を実施。 ・「発達障がいの子が学校に行きたがらない」という相談には学校で福祉授業、教職員の勉強会を実施。 など  双方の声をよく聞いて、お互いの理解を深める取り組みを行っている。1件ごとの対応活動は約11回。相談件数は年間200〜300件。 見出し 新たな取り組みは― 小見出し 政策提案型事業として 本文 ・市川市医師会が、医療関係者が障がいに対する正しい知識と理解を深め、適切な医療を行えるよう、小冊子を作成し医療機関に配布した。 ・千葉県歯科医師会が、障がい者が円滑にしか受診できるよう、歯科医療関係者に対する講演会の開催、障がい者を受け入れる一次歯科医療機関リストの整備・公開、障がい者と家族に対する上手な歯科受診の手引きの作成・配布を行った。 等 県(推進会議)として ・「障害のある人に対する情報保障のためのガイドライン」を作成した。 ・銀行等を利用しやすくするため、当事者参加の銀行との話し合いや実地確認を行い、手続きの整理や手数料引き下げなど実現。 等 見出し 「やさしい取り組み」を応援― 本文  今年度(平成25年度)は「障害のある人への優しい取組み」の事例を募集し、優れた取り組みを認定し発表します。平成20年から21年にかけて行われた時には以下のような応募があったそうです。 ・知的障がいの人が利用しやすいように配慮した飲食店 ・障害のある人のための旅行を企画・実施している旅行会社 ・障害のある人が利用できる賃貸物件の紹介と入居後の相談に応じる不動産屋さん ・障がいのある人もない人も一緒にダンス、スポーツ、キャンプなどを楽しむ団体 ・障がいのある人もない人も共に楽しむ、オリジナルのミュージカル公演を行う団体 見出し 誰もが相談―13地域に中核支援センター 本文  千葉県の特徴的な取り組みの一つとして「中核地域生活支援センター」が県内13カ所に設置されています。このセンターは子ども、障がい者、高齢者等、誰でも24時間365日、福祉の総合相談、権利擁護、福祉サービスのコーディネートを受けることができます。年間相談は9万件だそうです。  原則は以下の通りです。 1,福祉・生活、「なんでも」相談 2,高齢者・児童・障がい者だけでなく県 民「誰でも対応」 3,24時間365日、「いつでも」 4,ベースは個別の相談事業、必然的に地 域づくりへと向かう。(必要に応じて資源 をつくりネットワークを立ち上げる) 5,問題を抱えている人を独りぼっちにし ない。最後まで寄り添う。 カット  千葉県で発行されたパンフ「障害のある人にやさしい取り組みしています」かわいい動物のイラストが入っています。 6〜7面「第2回重度障がい者訪問介護を考える」報告 説明文  10月6日、大分市のコンパルホールで「重度障がい者訪問介護を考えるフォーラム」が開かれました。6月の第1回に続き、関係者らが現状の問題点を掘り下げる話し合いとなりました。 始めの言葉として宮西君代さん(居宅介護事業所ロハスライフ)が、「前回のフォーラムで、夜間の人出不足の問題や、別府と大分でしか重度障がい者の訪問介護が行われていない地域格差の問題が分かりました。問題解決を具体化するために、当時者の話や今まで表にでてこなかった支援者の考えを聞く機会を持ち、来年以降の動きにむけて考えていきましょう」とあいさつしました。 見出し 可能性に挑戦! 吉田春美さん(社会福祉法人樫の木) 写真 車いすでパソコンを使って話す吉田さん 本文  意思伝達装置とパソコンを使い、人工呼吸器を使用しながら在宅生活を10年間続けている現状について発表しました。「重度訪問介護19時間と生活保護他人介護料5時間の2つの制度を利用して24時間居宅介護支援を受けています。4つの居宅介護支援所と2つの訪問介護事業所、訪問入浴、主治医の定期往診、訪問歯科診療を基本に、人工呼吸器センターの24時間緊急対応などにも守られている毎日です。 1997年に入院し、人工呼吸器を使用するようになりましたが、必ず退院し自宅で生活したいとの思いから、入院翌月には在宅支援会議をスタートさせました。2004年に退院し、現在では実家の墓参りや地域の散策も楽しんでいます。 課題としては重度訪問介護の支給単価が低いこと、地域によって時間数に差があること、また社会資源のほとんどが申請制度のため、必要な支援を知らされないことがあげられます。一人の在宅生活では、自己管理の大切さを痛切に感じています。  この間に主治医や訪問看護士さんヘルパーさんは何人も交代しています。私は半年から数年かけてやっと意思疎通がはかれるようになることもあり、せっかくなじんだころにやめてしまうこともありました。今でも困難に直面することはありますが、気長に可能性に挑戦していきたいと思います」。 見出し 長時間の支援制度利用の理解へ 田中美佐子さん(NPO法人あっとほぅむぷれいす) 写真 語りかける田中さん 本文  「重度訪問介護サービスが始まったころから、自立生活を始める支援に関わっています。はじめは『当事者主体』の意味がよくわからす、支援は『生活』のために必要なサービスだと思っていましたが、当事者にとっては生活していくことと生きていことは同じで、日常生活を自分で選び決めていくことが重要だと思ったことが、その後の活動に強く影響しました。しかし社会では長時間の支援制度を利用する理解がすすんでいませんし、利用者とヘルパー双方へのコーディネートも必要です。 新人ヘルパーが入った場合は長時間の研修を実施しています。1日目は先輩ヘルパーの介助の見学、2日目は新人ヘルパーが主に介助し先輩がサポート、夜間の対応も含めると最低でも3日間、45時間以上の研修が必須です。研修期間中は2人体制となり事業所としてはマイナスになりますが、生活のパートナーを育てる大事な研修ですので、もっと支援が必要だと考えています」と現状を報告しました。 見出し 好きな地域で暮らせるように 丸子博司さん(自立生活センターぐっどらいふ大分) 写真 車いすから語りかける丸子さん 本文  「私たちは重度の障がい者の方々が施設や親元から自立される時に当事者本人の意思で好きな地域に住み普通に暮らせるように支援する団体です」と自己紹介。続いて、自立生活運動の歴史と介護保障制度について説明しました。 1962年に高齢者を対象にしたホームヘルプ事業が初めて予算化され、67年には障がい者に対する派遣制度開始。70年代には当事者が法律や制度、街づくりに対して多くの行動を起こし、86年、東京で日本初の生活自立センターが発足。その後、ヘルパーの増員や利用時間の延長、全国の自治体へ制度を広める要求など運動の歩みを解説しました。 「障がい者が地域で暮らしていくためには、介護を受ける立場から介助者を管理する力や調整能力、交渉能力が求められます。自立支援センターでは支援プログラムを組みこのような生活力のスキルを教えています。社会の中で偶然におこる体験から学び、自己責任と自己管理という人間本来の権利を障がい者に取り戻していく自立生活運動でもあります。また介護支援を便利だからと細切れに使わないことが大切です。単価が低いので事業者が敬遠することにつながり、ひいては当事者が困ることになります」と注意喚起をしました。 見出し 会場からの質疑応答・意見 本文  会場からは支援のキーマンを育てるこつや、介助者として関わってよかったと思うことなどの質問がありました。  発表者は「自分の思いが相手に伝わったとき、一緒に笑うこと」や「利用者が何を望んでいるかをヘルパーに伝えられ、ともに成長できた時」と答え、コミュニケーションの重要性が確認されました。自立生活運動を始めたきっかけについては「施設を退所するとき、実家に閉じこもらないようにと仲間と勉強を始めました。全国には呼吸器をつけて精力的に活動している仲間がおり、社会参加できることを知ってほしい」と呼びかけました。  発表者以外からも、宇佐市で自立支援の取り組みをしている事例の紹介などがありました。 見出し 今後は行政も交えて… コーディネーター 徳田靖之さん(在宅障害者支援ネットワーク) 「支援制度が整っていなかった時代から頑張ってきた吉田さんに多くの人が励まされました。また今日のお話で自立生活運動の基本理念や歴史を解説していただき、介助者からの広い視野も学ばせていただきました。今の制度を充実させながら一つずつ問題点を掘り下げ、具体的に自分たちができることはなにか考えたいと思います。今後は行政にもお話を聞きたいと思います。」と今後の展望を話しました。 行事の紹介 見出し 平成25年度 福祉フォーラムinけんなん津久見会場 のご案内 内容 映画『生まれる』上映会&講演会 テーマ 虐待事例から学ぶ 講師 野沢 和弘 氏(毎日新聞論説委員) 日時 2013年12月21日(土)13時〜16時 場所 津久見市民会館大ホール 入場無料 今年は、千葉県条例づくりに携わった野沢さんをお招きしました。どうぞお気軽にご参加ください。 8面「言わせちょくれ」第11回 見出し 「聞くと聞かせる」 筆者 別府市  徳 田 靖 之(今回は、第一号からこの欄を担当してくださった小川彰さんに代わって、徳田が担当しました。) 本文  山本太郎議員が園遊会で天皇に手紙を渡したことが物議をかもしているとの報道で、多くの人が想い起こしたのが田中正造翁ではないかと思われる。 足尾銅山鉱毒問題の窮状を訴えるために国会議員の職を辞し、生命をかけて明治天皇に直訴しようとした日本近代史に輝く偉大な先達である。私が最も尊敬する人である。 だが、戦前の軍国主義教育の中で、「義民」として大きく取り上げられたことが災いしてか、その素顔や歩んだ歴史、思想や信仰については、意外と知られていない。 翁は、直訴が失敗した後も、その生涯をかけて、被害が最も集中しただけでなく、政府によって、家屋が強制的に破壊された谷中村にとどまり、残留派と呼ばれ、仮小屋で抵抗を続けた住民らと寝食をともにしながら、権力とたたかい続けた。 「下野(しもつけ)の百姓」と自称した翁は、度重なる獄中生活で、西洋近代思想に触れ、聖書に親しんで人権思想と信仰心とを身につけた文字通り土着の思想家でもあったが、その晩年に到着した境地が有名な「聞くと聞かせるとの違いの発明」である。 『先覚者』である自分が『無知』な人々を教え導かなければならないという使命感の誤りに気づき、自分にあわせて相手を理解するのではなく、まず相手のありのままを受け入れようとする姿勢こそが大切だという考え方である(小松裕「田中正造」岩波現代文庫)。 社会モデルに基づいて、障がいの問題を考えるときによく「合理的配慮」という基準が使われるが、この配慮という言葉には、田中翁の説く「聞かせる」という姿勢が伏在しているように感じることがある。 差別を解消するために何が必要とされるのかという問題を考える際にも、何よりも必要な姿勢は、当事者や家族のありのままを受け入れようとすることであり、そのためにも、生の声を聞きつづけることが、私たちに求められているように思われる。 条例作りもいよいよ最後のヤマ場へと差しかかった。初心を忘れず、当事者の切実な思いを掲げ続けていきたいと思う。 カット1 「田中正造―未来を紡ぐ思想人」という本の表紙のコピー。 カット2 徳田さんの似顔絵。横の黒板に「『下野(しもつけ)の百姓』田中正造翁が私たちに教えてくれるもの・・・・・生の声を聞き続けること」という言葉が書かれている。 以上 以上