だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会ニュースレター「わたしもあなたも」 2014年5月15日発行 第12号 だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会 【連絡先】在宅障害者支援ネットワーク 大分市都町2丁目7−4 303号 TEL・FAX 097−513−2313 メール info@daremoga-oita.net ホームページ http://www.daremoga-oita.net 第1面から第3面 座談会 大見出し「違いを認め合いながら、一緒に」 司会 条例をつくる会のいろんな会議のなかで、地域で様々な問題が起きていることが指摘されてきた。今日は、地域で暮らす立場、支援する立場から、相談支援など具体的な問題について話し合いたいと思います。 小見出し 重度障がいの人の支援に不安 寄村仁子 総合支援法で大きな方向が出され、就労や世の中に出ていく面がクローズアップされた。細かい部分はまだ示されていないが、障がいが重い人たちの在宅支援・介護などが今までよりよくなるとは思えず心配だ。 宮西君代 これから重度障がいの人の在宅支援がますますできにくくなっていくのではないかと心配だ。自立支援法から総合支援法に変わって、相談支援事業所がケアプランを立てることになったが、相談支援事業所が不足し、相談支援員がケアプランを立てる“事務屋”になって、本来の相談がほとんどできなくなっている。また行政は福祉予算を削る方向に行っている。法律の建前は「施設から地域へ」といっているが、障がい者を支援するヘルパーの人材不足を含めて、地域の受け皿はまるっきりできていないと感じる。 小見出し 相談支援にも問題 安部綾子 昨年から新しい制度になって、誕生日の3か月前になると「相談支援事業所を通してサービス等利用計画をつくるように」という通知が来た。同封の相談支援事業所一覧表を見て依頼の電話を入れたが、「(相談支援事業所と同じ法人の)指定の病院にかかっていなければできない」と言われた。市に言うと「相談支援事業所は必ず受けることになっている」とのことだったが、実際は違った。他の事業所に依頼したが、今度は「その障がいは受けられない」と断られ途方に暮れた。事業所につながりがある人にお願いしてやっと受けてもらえた。これでは「相談支援難民」が出ると思った。その後、相談支援事業所は増えたようだが、様々な障がいに応じた支援計画をつくれる事業所がどれくらいあるのか不安だ。 小見出し 『障がいは皆同じ』ではない 大戸竜之 大分市で一人暮らしを始めて7・8年になるが、自分でまわりの人と相談しながらケアプランをつくってサービスを受けている。一番問題だと思うのは、相談支援に関わっている人が様々な障がいの特性を十分理解していない。総合支援法で、多くの難病を福祉の対象に加えたが、対応できるのだろうか。役所などには「どこの相談所でもできる」という感覚があるが、専門的な知識が必要だ。「障がい」を一まとめにしている傾向があると感じている。「『障がいは皆同じ』なのではない」という位置づけが大切だ。 寄村 在宅ヘルプやチーム支援、相談支援のあり方はかなり進んできていると思うが、誰がどう組み立てるかというマネージメントの面に課題があると思う。人的資源はまだ圧倒的に足りないと感じている。熱心にやればやるほど頼りにされ、過重労働になるという問題もある。また、相談支援事業所が所属する法人の枠を超えて、公正・中立に動くことも大切だと思う。 小見出し 国の責任も大きい 司会 相談支援を誰もがどこでも受けられるためには何が必要と考えるか? 寄村 相談支援事業はもともと国が行っていたが、今は市町村事業に組み込まれ、自治体の規模や財政状況に左右されやすい。国も市町村も、相談支援事業の大切さをもっと理解することが必要だ。 宮西 サービス利用計画については、相談支援事業所が「市がダメと言うから」とサービス利用の十分な支給の申請を認めないことがある。 寄村 サービスの支給基準は支援区分認定審査委員会で行う区分認定が基本になるが、その委員の多くが高齢者の介護保険の認定審査委員と重なっており、障がいについて十分理解していない場合もあり、市の投げかけ方によっては「支援にどれくらいのお金がかかるか?」という発想が判断に持ち込まれることもあるのではないか。 安部 サービス支給の手続きやあり方やが介護保険に限りなく近づいていると感じる。 寄村 この点は、国に対しても声を上げていくことが必要だ。障がいがある人や家族が声を上げて問題を伝えることが必要だと思う。 小見出し 「親なきあと」−大変な現実 宮西 「親なきあと」など具体的な支援に関わると、やればやるほど大変になる現実がある。問題を共有して、みんなで行動できればと思う。 寄村 「親なきあと」にも関わるが、ケアホームに入っている人が長期入院した場合、3か月経つと戻るところがなくなる。また入院中の支援が必要なのに制度的にできないことも問題だ。 宮西 大分市では障がいがある人たちが一緒に市に働きかけて、入院時のコミュニケーション支援事業ができ、それを使えるようになった。 小見出し 大分県条例づくりの役割は? 司会 これまで指摘された大分県の現実の中で、今つくろうとしている県条例の役割についてどう思うか? 寄村 行政や福祉関係者を含めて、県民の意識が変わらなければよくならない。条例をつくることで、「障がいがあってもなくても同じ人間同士」という根本を共有し、具体的な課題に取り組んでいくきっかけを作れるのではないか。 宮西 これまで、障がいは自分で克服するもの、家族で何とかするものという“医学モデル”の考え方があたりまえだった。これを転換するものになると思うし、そうしたい。 小見出し 様々な現実の壁 大戸 現実に私には様々な壁がある。外出の時、近所の人にあいさつしても無視されることもある。まず、存在自体を認めてもらうことが大事だ。情けないけどそういう小さな所から始めるしかない。障がい当事者もできることを心がけていくことが大切だと思う。総合支援法には「在宅障害者の自立をサポートする」とあるが、地域の現実は「削減、削減」だと感じている。言うこととすることが逆ですよね。どうすればいいのか。障がい者、当事者が、一人より二人、二人より三人とまとまって声を発していく必要がある。それをするためにはどうすればいいか考えています。 宮西 ただ、当事者には限界がある。 大戸 そうです。障がい者ですから。 宮西 だから、障がい種別とか立場を大きく超えて考えていかないと。 寄村 障がいがある人の近くにいる私たちが、「障がいがある人の存在が私たちにとってどういう意味を持っているのか」発言しなければと思う。私は「障がいがある人の存在は私にとってとても重要である」と感じている。「もし一緒に生きてこなかったら」と考えると意味は大きい。 大戸 どんな人も一人では生きることは厳しい。障がい云々ではなく、人間は皆支え合って生きている。 安部 支え合わなければ生きていけんもんね。でも、どうすればいいんだろうか。 小見出し 「障がい者」という枠にくくらずに 宮西 これまで、障がいがある人を、明らかに違う人として「障がい者」という枠にくくって、切り離したり隔離したりしてきた。それをいきなり「地域の中で」と言っても、障がいがある人は戸惑うし、地域の人もどう接すればいいかわからない。それが現在だ。 寄村 一緒に生きていくための仕組みをつくることが必要だと思う。人にはそれぞれハンディがあるのはあたりまえだから。 大戸 100人生まれれば、5人、10人には障がいがある。交通事故などで中途障がいになる人もいる。その人たちも含めてどう生きていくか。本当に厳しくて難しいが。 寄村 「一緒に生きる」と決めてしまうことです。 宮西 ただ、お互いを理解することが難しい。 小見出し 違いを認めあって 安部 違いを認めながら一緒に進むしかない。障がい者同士が違いを認め合うことも必要だ。特に精神障がいなど見えない障がいの人への理解は難しいと思う。また、まわりに知られたくないという気持ちもあるから、訪問支援などの利用も少ないのではないか。 寄村 根本的には「できる」、「できない」で人を評価する能力主義が問題だと思う。それにしばられずに考え、行動することができればと思う。 大戸 身体障がいは、赤の他人が見ても障がい者だとわかる。精神障がいや発達障がいなどは見ただけではわからない。親もわかっていない場合があるし、「障がい者だと認めたくない」と思いがちだ。障がいを認めることが必要だ。そして、障がいがある人がたくさん地域に出てきて伝えることで、まわりも変わっていくと思う。 寄村 40年間、障がいがある人たちと一緒に取り組んできたが、答えは出ない。最後の最後まで迷いながらやっていくしかないと思っている。 (2014年2月17日、大分市コンパルホールにて) 見出し ミニギャラリー1 原野彰子さんの絵手紙を掲載 用紙いっぱいの握り拳の絵に「夢をつかむぞ〜!!」という力強く書かれた言葉。 第4面から第5面 見出し「本音トーク」バックに虹の絵 大見出し「精神障がいってなぁに?」 前文  誰もが発症する可能性があるにもかかわらず、国民のほとんどがその実態を知らない精神障がい。特に大分県は、国・公立の精神科病院を持たず、バス料金の精神障がい者割引を実施する事業者がないただ一つの県です。大分市の精神障がい者の家族会である「大分すみれ会」の川口副会長に、精神障がいがある方の家族の思いを教えてもらいました。 お話していただいた人 川口二美さん(70)=大分市= 1944年、杵築市生まれ。長男が15歳で統合失調症を発症。 「大分すみれ会」に入会し、茶話会で家族の思いを共有している。家族歴26年。   小見出し 5人に1人がかかる身近な病 精神障がいは、いつ誰が発症するか分からない身近な病気です。私の長男はサッカーやバスケットボールに打ち込む健康な中学生だったのに、だんだん幻聴や幻覚がひどくなり、日常生活もできないほどになってしまいました。次男が幼かったため入院治療を始め、「病院と一生縁が切れない」と覚悟を決めました。 私は統合失調症という病気を、このとき初めて知りました。長男の友達も、人が変わっていく長男にどう接したらいいか分からず、離れていきました。周囲の人にも、病気のことを1から説明するのが大変で、理解を求めることを半ば諦めていました。 統合失調症、てんかん、発達障害、うつ病など、何らかの精神障がいを発症する人は、5人に1人の割合といわれています。ある精神障がい者が内科の病院に入院した際、付き添いの家族が看護師さんから「24時間目を離さないでください」と言われたそうです。医療の専門家にすら危険人物のように扱われ、つらい思いをしている家族がいます。 心の病がどんな病気なのか、どんな障害が残るのか、どう接したらいいのかなどを、中学・高校の教育現場で教えてほしいのです。精神障がいがよくある病気の一つとして、誰でも知っている社会になることを望みます。 小見出し 困ったら110番? 精神障がい者の家族が抱えている問題は、夜間や休日に症状が悪化したとき、受け入れてくれる病院がないことです。駆けつけてくれた保健師さんと一緒に病院に片っ端から電話しても「ベッドがない」と断られ続け、かかりつけ医の診療時間まで待ち続けるしかありません。時にはかかりつけ医にすら断られることもあり、身を守るためにビジネスホテルなどに避難する家族もいると聞きます。 もちろん、自傷・他害の恐れがある場合は、迷わず警察のお世話になります。しかし、病院で適切な処置を受けられれば落ち着くと分かっている場合でも、受け入れてくれる病院がなければ警察を呼ぶしかありません。家にパトカーが来るのも、我が子が警察に連れて行かれる姿を見るのも、家族にとっては相当つらいことです。また、制服警官に説得される当事者もつらいはずです。家族は我慢して我慢して、どうしても手に負えないとき、処置入院させてもらえることを願って警察に連絡するんです。 でも、病気なのになぜ110番しなければならないのでしょう? 大分県は全国で唯一、精神保健福祉法に定められた公立の精神科病院を設置していない県です。大分すみれ会も参加している県精神保健福祉会は、県立精神科病院の設置を毎年のように要望し続けていますが、未だによい返事は得られません。新たに病院を建設することが無理ならば、せめて県立病院内に緊急精神医療に対応する医療チームを設け、救急の受け入れや訪問診療などをしてもらえたらと考えます。 さらに、現在は夜9時まで電話で助言指導をしてくれている県精神科救急電話相談センターを、24時間365日対応で病院紹介もできるようにしてもらえるならば、家族や保健師がどんなに救われるか分かりません。 小見出し 親亡き後の選択肢  最近心が痛んだのは、当事者が病院で急死するケースが相次いだこと。そのうちの一人は「親が亡くなれば病院で面倒を見てもらうしかない」と、練習のために入院させた一晩の出来事でした。今は入院以外の選択肢もたくさんあるのに・・・と悔やまれてなりません。 今は精神障がい者が福祉サービスを利用する際、個別相談支援が受けられます。いろんな立場の人が親身になって考えてくれるので、私はこの制度があれば、親亡き後も大丈夫ではないかと思っています。ただ、福祉サービスを利用しない人、利用できない人、入院・通院治療中の人なども、その後の生活について相談することができれば、家族はもっと助かると思います。 私の長男は15歳から30歳まで、入退院を繰り返す生活でしたが、新薬のおかげで少しずつ症状が改善し、退院して作業所や就労移行支援施設に通えるようになりました。たばこと缶コーヒー漬けの日々からも脱却し、友達もできました。41歳になった今は、就労継続支援A型事業所で毎日4時間汗を流しています。本人も自分の障がいの特性を理解し、病気とうまく付き合っているようです。 私は息子から、親以外の人たちと関わること、本人が自らの力で学ぶことの大切さを教えてもらったような気がします。 (インタビュー:大戸佳子) 見出し ミニギャラリー2 「自然がいっぱい〜花の森〜」という題の小間希美さんの絵。広々と知った草原に花が咲き、木が色づくなか、たくさんの人が犬や猫と一緒に木や花を受ける作業をしている。左手には川が流れ、遠くには深緑色の山。青い空には城井雲が浮かび、ハンググライダーで空を飛んでいる人がいる。(小間さんについては近く本ニュースレターでご紹介します) 第6面 大見出し  県議会で請願が採択されました! 本文  3月27日、大分県議会本会議で「だれもが安心して暮らせる大分県条例の制定を求める請願」が採択されました。この請願は、昨年12月の県議会に皆さんにお寄せいただいた2万1258筆の署名とともに提出していたもので、県議会のすべての会派のすべての議員が賛成しました。  この採択によって、条例づくりは県執行部にゆだねられることになります。県執行部としては、障害福祉課が中心になって@障がい者団体の意見を聞くA県の関係部局の連絡会議をつくるB関係団体やつくる会も参加する検討協議会で条例の案をまとめるCできた案は関係団体や各方面に説明し意見聴取を行うDパブリックコメントやタウンミーティングを行い県民の声をきく―という進め方を検討しているとのことです。  条例をつくる会としては、寄せられた多くの願いを反映し、思いのこもった条例にしていくために、これまで県議会の皆さんと様々な話し合いを重ねてきたように、県執行部の皆さんとも協議の場を持ちながら、意見交換を行っていきたいと考えています。  私たちつくる会の条例案に対しては、「この声が障がい者全体を代表しているのか?」、「この条例を通すとお金がかかりすぎるのではないか?」など様々な意見があります。私たちは、そのような率直な意見を歓迎します。いろんな意見を出し合って話し合うことで、実効性のある条例になっていくと考えるからです。「この項目はなぜ必要なの?」、「この部分はこう変えたほうがいいのでは?」などと、直接話し合いたいと思います。その一歩として、6月14日の第3回総会で率直な意見交換を行いたいと考えています。   見出し だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会「第3回総会」 大見出し お話ししたい!私が条例づくりに込めた思い 本文  だれもが安心して暮らせる大分県条例づくりにご理解ご協力いただき感謝申し上げます。  昨年は、皆様のご協力により1200人を超える障がいがある方と家族の声にもとづいた「条例素案」を作成するとともに、2万人を超える署名を添えて条例制定の請願を県議会に届けました。 請願は今年の3月県議会で全会一致で採択されました。条例づくりの場は、県議会から県執行部に移行し、取り組みが具体化されることになります。  このような時期にあたり「だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会」の第3回総会を開催します。 この総会は、障がいがある人もない人も、だれもが安心して暮らせる大分県をつくるために、つくる会の条例案に込められた思いを語り合い、条例によって何をどのように変えていくのかを議員の皆さんや行政の皆さんも含め広く話し合う場にしたいと考えています。  ぜひとも参加いただきますよう心よりお願い申し上げます。 日時 6月14日(土)13時30分〜16時30分 場所 大分市 県総合社会福祉会館 4階 大研修室 内容 第1部「条例案に込めた思い」−障がい当事者と家族の声    第2部「災害に備える−条例制定の意義を考える」大分県社会福祉協議会 村野淳子さん 第7面 大見出し もう一度、聞いてください。 前文  なぜ「だれもが安心して暮らせる大分県条例」が必要なのでしょうか? もう一度考えてみたいと思います。私たちは、障がいがある方や家族から寄せられた声にもとづいて「条例案」をつくりました。これまで声を出せなかった多くの障がいがある人やその家族の願いがたくさん込められています。 見出し 始まりは一人ひとりの声 以下は声の紹介 ・障がいがある人の仕事の確保 ・手帳を申請中でも困らないように、コミュニケーションや生活の支援を受けられるように ・65歳以上の障がいがある人の介護保険移行は問題が多い。 ・親戚から、働かないものは死んでしまえと言われた(精神・本人) ・これまで、女である前に障がい者だという気持ちがあった。障がい者だから結婚してはいけないと思わされてきた。 ・精神障がいの当事者だが、精神障がいについては実態の把握が難しく、誰も把握していないのではないか。多くの当事者は手帳の認定や自立支援医療などの情報を知らない。本人もまわりも立ちすくんでいる現状だ。支援も不十分で、交通支援もない。どこに行ってもしんどい。 ・親が元気な間はいいが、亡くなった場合にどう暮らしていけるのか ・学校で毎年毎年、先生に子どもの障がいを説明し続けた。頑張ってきたが限界だ(発達障がい・親) ・市役所で『子どもは親が見るものでしょう〜!』と冷たく言われた(自閉症・親) ・かかりつけの病院で親が甘やかしているからだと言われた(知的障がい・親) ・“社会の無理解”“親亡き後”の解決のために必要な仕組みづくりの具体化が必要 ・地域の人が積極的に学べる場所が必要。 ・障がいがある人を人間として扱わないことは社会にとっても損失だ。 ・「性に関する障がい」を入れてもらいたい。 ・障害者手帳とか障害区分に関わらず、『生きづらさ』を感じている人が多い。 ・生きづらい人を支えなければ ・自立とは支えられながら自分の人生を自分で生きること ・相談支援は解決につながる支援を ・小学生の時から障がいを教えて ・障がいがある人も支援を受けることで社会の一員として貢献できる。 ・障がいの特性が仕事に利点となることもある ・条例が制定されたと同時に、具体的に予算を付けて活動できる具体的な支援をスタートさせてほしい。本当に何かが変わる“大分オリジナル条例”にしてほしい 矢印付の見出し 「障がいがある人・家族・支援者・地域の人など1200人以上の声」 その結果、すでに条例を制定している他の県とは異なる内容になりました。 第8面 見出し 言わせちょくれ 第12回 大見出し 「伊東フミ子さんのこと」 豊後大野市 小野 久 本文 四月十二日、伊東フミ子さんが亡くなった。八十二歳だった。 出会ったきっかけは三十年ほど前。友人から「戦争中に津久見の保戸島で百二十六人の子どもが死ぬ事件があったが、その時生き残った叔母が今も別府で入院生活をしている」と聞き、話を聞きたいと別府の病院に出かけた。杖をついていたが、何でも自分でする元気な人だった。 「小学校が爆撃されたんじゃ」、「いつもと違う飛行機の音がしたから、先生に言うたら『あれは友軍じゃ』と言うた。そのすぐ後、ものすごい音がして教室が壊れた。気がつくと腰をケガしちょった」、「何人も倒れちょった。○○ちゃんは脳が半分なかったけど生きちょった」…。 伊東さんは、昭和二十年七月二十五日の『保戸島空襲』の生き残りの一人だった。なぜ、別府の病院で一人で暮らしているのだろうか。  「津久見や佐伯の病院では治療できなかったので、お父さんが船で別府の海軍病院に連れてきてくれた。もう三十回以上手術をした。でも治らんで、別府でずっと入院生活をしてきた」。 伊東さんの足は、片方が七センチ位短い。また、人工膀胱を付け、腎臓を患い、耳も遠い。しかし、伊東さんの悔しさは他の所にあった。 「私がどうして生活保護で暮らさんといかんのかえ。戦争被害者やのに何も補償がない。生活保護は差別される。それが歯がゆい」。伊東さんは粘り強く医師と行政にかけ合い、障害年金を受けることになった。 そんな伊東さんの一番の思い出は保戸島の暮らしだった。「すぐそばに海があって、いつも飛び込んで魚を手づかみしよったんで」。笑顔を失った伊東さんも、その話をするときには十三歳の少女に戻ったように明るく笑った。 でもすぐにつまらなそうな表情になって、「病院の魚は、保戸じゃ猫も食わん」とつぶやく。私は笑った。でも伊東さんは笑わなかった。 私は、その頃仲間と一緒に開いていた「市民講座」に講師として伊東さんを招いた。伊東さんは戦争批判をするわけではない。政府の批判をすることもない。悲惨な体験をそのまま語り、「もう二度とこんなことをしてもらいたくない。こんな思いをするのは私だけでたくさんや」と結んだ。 その後、伊東さんは小学校や中学校に呼ばれて体験を話すようになった。人前で話すことは好まなかったが、結婚をせず子どももいない伊東さんは、子どもたちに出会うことがうれしかったようだった。 伊東さんとのつながりは、私が障がいの問題に関わるようになってより強くなった。困った事があると電話がかかってきた。私の仕事はそんな時に駆けつけることだったからすぐに飛んでいくことができた。 退院促進の流れのなかで、病院を出てアパート暮らしをするように言われたときには涙声だった。「私は歩行器がないと歩けず、病院生活しかしたことがないから行き場がない」。話を聞いていると養護老人ホームだったら行ってもいいと言い始めた。申し込んで入居まで二年待ち。それまで病院にいる事ができることになった。 そして二年、順番が来たが今度は老人ホームが受け入れないと言っていると電話。また駆けつけた。身近に身寄りがいない人は、なかなか受け入れられない。それが現実だった。 それでも負けずに入所にこぎ着けた伊東さんだったが、昨年十二月に骨折し、入院せざるを得なくなった。入院が三か月を超えた三月、老人ホームから退所を求められた。「帰るところがなくなる」と伊東さんは病院で泣いた。私は「大丈夫。必ず見つけます」と言った。伊東さんは「小野さんの声が聞こえん」と繰り返した。私は紙に書いて伝えた。伊東さんがホッとしたのが分かった。それが最後の“会話”になった。 いつ誰が障がいを負うことになるかわからないように、戦争が起きたらいつ誰が被害を受けるかわからない。漁業の島で無邪気に暮らしていた伊東さんの人生は、たまたま通りかかった米軍の戦闘機による爆撃で一転してしまった。 戦争に行って爆撃に遭い、沖縄近海を漂流した私の父は、整備兵として特攻機を送り出した悔いを死を前にして話した。悲しい事実こそ忘れてはならないのだと思う。(今回は小野が担当させていただきました。) 以上