だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会ニュースレター「わたしもあなたも」 2015年9月15日発行 第15号 だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会 【連絡先】在宅障害者支援ネットワーク 大分市都町2丁目7−4 303号 TEL・FAX 097−513−2313 メール info@daremoga-oita.net ホームページ http://www.daremoga-oita.net 第1面 見出し「12月県議会に条例案上程の予定」− 県が明らかに 本文  だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会が発足して4年が過ぎました。7月の県議会では、県が12月県議会に条例案を上程する予定であることを報告しました。条例をつくる会は、5月18日に大分市の自治労会館で第4回総会を開いて、県が2月の第2回条例検討協議会で提示した「条例素案」に対するつくる会としての「修正案」をまとめました。7月に開かれた第3回条例検討協議会で提案された県の「修正案」に対しても、会としてさらに修正の提案を行いました。障がいがある人や家族の思いと国連障害者権利条約の“社会モデル”の考え方にもとづいた条例の実現に向けて正念場を迎えています。 資料 条例づくりの流れ  5月18日 つくる会第4回総会 7月10日 第3回条例検討協議会 8月 2日 つくる会第26回世話人10月8日 第4回条例検討協議会 パブリックコメント 等 12月県議会上程へ 見出し 第4回総会報告 県の条例素案に会として「修正案」提案 本文  第4回総会は、宮西君代共同代表が開会あいさつ。主催者あいさつは湯澤純一共同代表が「百家争鳴のすばらしい総会にしよう」と呼びかけました。  阿部実共同代表の経過報告のあと、徳田靖之共同代表と平野亙共同代表が対談する形で、大分県の「条例素案」と条例をつくる会の「修正案」について以下のように説明しました。 @県の条例素案では前文の生の声が削られている。この条例の精神を県民に伝えるためにぜひ必要だ。 A基本理念に、「自立」の考え方を入れたい。支えあいながら自分で選択して生活していくことが真の自立であることを明確にすることが必要。 B差別について、「合理的配慮」を条として独立させ、医療・雇用・教育について合理的配慮の内容を書き込むべきだ。 C第4章「県民に対する普及啓発」を第3章「県民とともに進めるだれもが安心して暮らせる大分県づくり」としてこの条例の柱に。(詳しい内容は2ページ参照) この他にも、中小企業の負担などの問題があることなどについても指摘がありました。  会場からは、「経営者のハードルが高い部分は補助金を考えることも必要ではないか」、「障がいの特性は事業者だけでなく広く理解してもらう必要がある」などの意見が出されました。  第2部として、施行から1年になる別府市条例について別府市障害福祉課の牧主査と別杵速見福祉フォーラム実行委員会の首藤健太事務局長から、条例をつくったことによる成果と課題について報告をいただきました。  最後に、今後の取り組みについて、徳田共同代表は「つくる会の修正案ができるだけ採用されるよう話し合いをしていきたい。骨抜きになることは避けたい。目に見えない差別を解決する仕組みをつくっていく必要がある」と話し、寄村共同代表のあいさつで閉会しました  充実した内容で、「非常に内容の濃い対話だった」「ていねいな説明と静かな核心を突いた論議に感動」などの感想をいただきました。 第2面 見出し 第4回総会で承認された私たちの修正案 小見出し @前文 本文 「全ての大分県民は、障がいの有無に関わらず、誰もがかけがえのない個人として尊重される。私たちは、互いに助け合い、支え合う安心・安全な大分県の一員として、誰もが生まれたことを祝福され、教育や就労をはじめ、恋愛、結婚、妊娠や子育てなど、人生のあらゆる場面において、自らの選択を尊重される社会を希求する。 一方、障がいがある人やその家族の生きづらさは、今なお深刻であり、無理解や偏見、差別によって就学、就労や医療、地域生活などにおいて必要な支援を求めることができなかったり、将来の夢や希望もあきらめざるを得ないなど、苦しみ傷つけられる人がいる。  さらにこうした生きづらさを家族だけで抱え込まされ、「願わくは、この子より1日でも長く生きたいと思ったことがある」という障がいのある子の家族の悲鳴にも似た声も寄せられている。  今、私たちに求められているのは、これら様々な社会的障壁の解消を図るとともに、お互いの立場を尊重し合いながら、お互いに支え合い、誰もが安心して暮らすことのできる共生社会である。 ここに、国際連合総会において採択され、我が国が批准した障害者の権利に関する条約の理念にのっとり、障がいのある人とない人とを隔てる社会的障壁を取り除き、もって誰もが安心して心豊かに暮らせる社会づくりに資することを決意し、この条例を制定する。」(下線部分を追加) 小見出し A総則(基本理念)に「自立」を以下のように定義する。 本文  総則(基本理念)に「自立」を以下のように定義する。「障がいのある人は、生活のあらゆる場面において、自らの意思に基づいて選択し、決定し、自分の人生を自分らしく生きることができるよう、社会のあらゆる支援を受ける権利を有すること。」 小見出し B差別−「合理的配慮」を明確に 本文  差別についてはは、「不利益取り扱い」だけでなく、「合理的配慮」を条として位置づけ、より明確にする。分野別差別においても、「合理的配慮」の視点から、医療機関の障がいへの理解、緊急医療の必要性、働きやすい環境づくり、義務教育における障がいの学習、地域や専門家と連携した支援などについて書き込む。 小見出し C第3章を「県民とともに進めるだれもが安心して暮らせる大分県づくり」にして前面に 本文  県の案では第4章だった「県民に対する普及啓発」については、他県にはない「「親なきあと」「性・恋愛・結婚・出産・子育て」「防災」などが含まれており、目玉として前面に出すべきとの考え方から、第3章「県民とともに進めるだれもが安心して暮らせる大分県づくり」として、「研修の推進」と「地域福祉の推進」を条として追加して充実させた。追加内容は以下の通り。 第20条(研修の推進)県は、様々な障がいおよび障がいによって生じる困難を周知し、理解および適切な対応と支援を推進するために、行政職員や医療、福祉、教育、司法等の従事者に対して、十分な研修の機会を設けるものとする。 第21条(地域福祉の推進)県は、一人ひとりの個人の尊厳を尊重しながら、いかなる時にもお互い助け合う福祉文化(県民性)を持つ大分県を実現するために、従来の福祉制度だけでは解決困難な福祉課題に対し、地域社会における様々な団体、組織、機関や個人がささえあいの担い手として協働して課題の解決に取り組み体制づくりを推進しなければならない。 小見出し D差別解消を図るための施策 本文  差別解消を図るための施策のなかで、「障害者差別解消支援地域協議会」については、名称を「大分県障がい者権利推進協議会」として「不利益取り扱い」だけでなく、障がいを理由とする差別を解消し障がいがある人の権利を促進するための取組を推進することとする。 小見出し E名称は「誰もが安心して暮らせる大分県づくり条例」に 第3面 見出し 第4回総会 参加者アンケートから 説明文 期待する声も失望する声もありました。失望はそれだけ条例に込めた思いが切実だから。大分県の現実と一人ひとりの切実な思いを受けとめた条例づくりが求められています。 以下、アンケートの声 ・生の声を反映するということに力をもらった。 ・障がいを持たれた方の生の声が多く入り、条例の重みが増したように思います。 ・ 誰もが理解でき、みんなで前に歩み続けられる「合理的配慮」の具体化が第一歩だと感じました。 ・本当に第3章が独立して修正することになれば、千葉県条例成立の際の皆さんの感動を追体験 できるかも知れません…。 ・今回初めて県の素案を見て、正直がっかりしました。がっつり削られることは想定していましたが、この条例で「何が誰にどう届くのだろう」と思いました。障がいのある人のつらさはこんなものじゃない。生きづらさは目に見える差別だけが問題じゃない。差別をしているという感覚のない人が送る視線の配慮のなさが、どれほど私たちを苦しめているか、もっとわかってほしい。条例ができることで障がい(や障がいがある人)の理解が進み、目に見えない差別についても皆で考えてもらう一助になってくれればと思ってました。行政が作るから「仕方ない」のか、またあきらめないと いけないのかと、自分自身にもがっかりしてます。 ・自立の意味をきちんと修正案に追加してあることは、非常にわかりやすく説得 力があると思います。 ・県条例に「安全」の文字がないことが気になりました。せめて文章には使用してもらいたいと思います。 ・障がいがある人の特性を理解する”ことは、事業主だけでなく、医師を初め一般の人々、公務員、先生等々にも必要。まだ理解されていないと思います。教育(研修)をしっかりやってほしい。 第4〜6面 見出し 県修正案(7月10日・第3回検討協議会提案)の問題点 ここは譲れない!  平野亙 本文  第3回条例検討協議会に、県(福祉保健部)から修正案が提示されました。この修正案は、2月の第2回協議会で示された県の1次素案に対して協議会委員から提出された意見をもとに修正がなされたものです。条例案の名称も「障害のある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例」と改められました。  示された修正案について、重要な問題点にしぼって説明したいと思います。 1.前文  構成は1次素案と全く変わらず、細かい言葉遣いに若干の修正が加えられたほか、第2段落に、「必要な支援が受けられず、将来の夢や希望もあきらめざるを得ない人もいる。」との一文が追加されました。県の説明では、障がい者の生の声を入れてほしいとの意見を受けての追加とありますが、これは生の声などではなく、また障がい者本人や家族の悲痛な思いが全く表現されていないため、私たちが前文に込めた思いは全く届かなかったと感じられます。  障がいのある子が生まれた時に祝福されないという重い現実や、県議の思いも強くゆり動かした「わが子より一日も長生きしたいと願ってしまうことがある」という悲痛な思いを何らかの形で前文に反映させないことには、なぜこのような条例が必要なのか、県民に訴え理解を得ることは難しいと考えます。 2.総則 1)障がいの定義  私たちの条例案では、障がいを個人の問題とする「医学モデル」(あるいは個人モデル)から脱却し、「社会モデル」の考え方に基づく社会づくりを目指すために、社会モデルに基づいて「障がい」を定義し、さらに続く条文では「障がいがある人」について規定していました。県の1次素案も私たちの考え方を踏襲し「障がいのある人」を定義しています。  それが今回の修正案では、よりわかりやすくするためとの理由だそうですが、従来通りの(医学モデルによる)「障がい」定義を「障害のある人」の定義の前に置いています。このような逆行は、医学モデルの存続を容認するものであり、条例の意味を揺るがしかねない非常に大きな問題です。 2)旧27条「県民とともに進める誰もが安心して暮らせる大分県づくり」を基本理念に移行させ、理解の促進など具体的な施策と分離したこと  旧27条は「県は、障がいのある人やその家族にとって深刻な課題である親亡き後の障がい者の自立や、性・恋愛・結婚・出産・子育て、防災対策などに関して、県民とともに思慮し、市町村や関係機関と連携して、各課題に起因する生きづらさの解消に努めることにより、誰もが安心して暮らせる大分県づくりを進めるものとする。」というものです。これは、県の提示した1次素案において最も重要であり、私たちの条例案の精神を正しく理解した条文として高く評価されました。県もこの条文の重要性を認識したようですが、理念規定に入れることで2つの過ちを犯したと指摘せざるをえません。  第一に、文言が修正されてしまい、県が県民とともに、「誰もが安心して暮らせる大分県づくりを推進する」という意思表明が消去されてしまいました。県としての決意表明がなされていたことは非常に重要だったのですが、ばっさりと切られてしまい、単なる理念としての記述に格下げされてしまったのです。  さらに私たちは、この旧27条を旗印として、県民の理解の促進、関係者の研修の推進、地域福祉の推進の3本柱により「誰もが安心して暮らせる大分県づくり」が可能になると考えて修正を提案したのですが、実効的な推進策3本柱と分断されることによって、この条文の意味が限定されてしまいました(しかも研修の推進と地域福祉の推進は修正案では採用されませんでした)。これが第2の過ちです。県は重要な条文と認識したので象徴化したと説明していましたが、象徴ではなく実質的・具体的な政策の推進理念として示すべき条文なのです。 3)基本理念に「自立」の意味づけが規定されていないこと  これまで障がいのある人を苦しめてきたものの一つが、「人の世話にならないこと」という古くて狭い自立概念でした。しかし、障がいのある人にとっての自立とは、一人で頑張ることでは決してありません。そもそもこの世に、自分一人の力だけで生きていける人はいません。人間は助け合い、支えあうために社会を築き上げてきたのです。障がいの「社会モデル」の根底には、人はだれでも社会から支えられて自分らしく生きる権利があるという考え方があります。  ですから私たちは、条例の理念規定に「障がいのある人は、生活のあらゆる場面において、自らの意思に基づいて選択し、決定し、自分の人生を自分らしく生きることができるよう、社会のあらゆる支援を受ける権利を有すること。」という条文を入れるよう提案しました。しかし今回の修正案では、他の条文に「自立」や「共生社会」の文言が入っているという理由で採用されませんでした。言葉が存在していないのではなく、言葉の意味が間違って使われてきたから、条文で規定する必要があるのです。  「自立」の正しい概念が人々に理解されない限り、社会モデルの意味も、「合理的配慮」を行わないと差別になる理由も、そして障がいのある人が支援を受けることは恩恵ではなく権利なのだということも全く理解されないと思います。 4)基本理念にあった「障がいのある女性」に関する条項(旧第3条(3))が削除されたこと  これは最大の改悪といわざるをえません。基本理念に「性・恋愛・結婚・出産・子育て」についての規定があるから、また検討委員会でわかりにくいという意見があったからというのが削除の理由のようですが、なぜこの条項が必要とされるようになったのか、何のための条例づくりなのかという原点に還って検討してほしいと思います。  国連の権利条約にもわざわざ「障がいのある女性」の条項があります。女性であることで、障がいのある人がこれまでどれ程の苦痛に耐えることを余儀なくされてきたかを理解すれば、この条文の重要性は理解できると思います。またわかりにくいから削除というのは論外でしょう。わかりやすいよう文言を工夫する必要があるというだけのことです。 5)第6条(市町村との連携)に市町村格差の是正という視点が全く入っていないこと。  今日の障がい者福祉は、市町村がサービス提供に責任を持ち、しかも地域生活支援事業という名の市町村独自の事業が果たす役割が大きくなっています。そのため、財政力や社会資源の充実度に差がある市町村間の格差が増大こそすれ、縮小の方向に進むことは期待できないでしょう。私たちが望む政策は、どこに住むかによって生きやすさに違いが生まれることなく、等しく質の高い支援が受けられるようになることです。昔と違って県と市町村が対等な関係になった今でも、県として市町村に対してできる様々な支援や協力、必要な調整のための努力を惜しまないことが規定される必要があります。 3.障がいを理由とする差別の禁止(第2章) 1)種別ごとの差別解消規定(10条〜17条)に、合理的配慮条項が全く入っていないこと。  不利益取り扱いの禁止と合理的配慮の条文を別々のものとし、合理的配慮を不利益取り扱い禁止と同格に扱うべきだという意見は、今回の修正案で採用されましたが(8条と9条に分離)、個別的な差別禁止規定(10〜17条)は、あいかわらず「不利益取り扱いの禁止」のみの条文のままで、これでは国連条約に準拠した差別解消の取り組みとはいえません。  合理的配慮は非常に個別性が高く、様々な領域で逐一例示することは確かに困難ですが、労働、医療、教育など合理的配慮が特に必要とされる領域では、合理的配慮の基本的なあり方と推進の基本的方策を、条文に示す必要があります。不利益取り扱いを禁止する条文だけでは、新たに条例を作る意義がどこにあるといえるのでしょうか。 2)第14条の教育に関する条文では、主体が現場の教育関係者に限定されていること。  修正案では、不利益取り扱いの禁止を規定するために、誰の行為が禁止に該当するのかを明示しています。主語が必要だとの議論は、従来型の取り締まり法のスタイルを踏襲するもので、県民に理解を広げ、障がいのある人が差別から解放される社会を作ろうという精神からはほど遠いものといわざるをえません。そのために、教育では、「校長、教員その他の教育関係職員は」となっていて、私たちが提案してきたような広く教育・啓発の場を広げるために県が努力するという考え方からかけ離れたものになってしまいました。主語を明記するにしても、県、市町村の教育委員会こそ主体として明記されるべきでしょう。 4.差別解消を図るための施策 1)地域相談員が削除されたこと  地域相談員は、私たちつくる会が最重視した政策の一つです。条例案作りに先立って実施した聞き取り、アンケートで最も多くあがった声の一つが、「相談できる場所がない」「本当に困った時相談できる人がいない」というものでした。  このことは、現行の相談支援システム、法に基づき配置されているはずの各種相談員がうまく機能していないことを明らかにしたものであり、そのいわば支援の入口に相当する重要な役割を担う者として、地域で身近に相談に乗ってもらえる地域相談員の配置を、私たちは立案したのです。  修正案では、現行の相談員の存在を理由に削除しましたが、相談が機能していない現状を無視したものであり、条例により個別的な問題解決を図るための手段を放棄したものというべきです。 2)差別解消調整部会について  修正案は1次素案にあった「差別解消支援地域協議会」を、差別解消法のみに対応する「差別解消調整部会」に格下げし、そのうえで同部会の役割を差別解消施策に限定してしまいました。もしそんなことをしてしまえば、この条例は、「心豊かに暮らせる大分県づくり条例」ではなく「差別解消を図るための条例」にすぎなくなってしまいます。  私たちは、聞き取りやアンケートで寄せられた声をもとに2年余りの議論を重ねた結果、差別を解消するためには、障がいのある人の権利擁護ないし権利の推進を同時に進めていかなくてはならないことを理解しました。差別事例の取り扱いだけに限定した会議体は、おそらく人の幸せを何も生み出すことはできないでしょう。差別事例の解決と権利擁護・権利促進は一体化しないと実現しないということを理解したうえで、問題解決のための仕組みを再構築すべきです。 5.これから・・・  1次素案には、不足や課題は色々あったものの、全体として私たちの条例案を行政の文脈で解釈しようとされた努力が窺われるものでした。それに対して修正案では、多くの点で後退してしまい、このままでは新しい条例を作る意味さえ失ったと言わざるを得ません。もしかしたら、福祉保健部の見解が変質したというより、県庁内の(とくに怪しいのが総務部法務室との)協議を経る段階で、社会モデルなど障害者権利条約の意義や障がい者のおかれた現状を知らない(あるいは、関心のない)関係者の意見によって、法としての体裁のみが整えられた無意味なものに変質させられたのかもしれません。  県も福祉保健部としては、私たちと更に協議を重ねてよい条例を作りたいという意思を示していますので、私たちも協議の場で理解を深めたいと思っていますが、同時に県庁全体、県内各界に障害者権利条約の意義や障がい者と家族のおかれた窮状を広く理解してもらうための活動が、これから一層大切になるように思います。 第7面 見出し  県条例検討協議会で率直な意見交換 さまざまな課題明らかに! 本文  条例づくりは今、県が設置した条例検討協議会で意見交換が行われています。今年2月の第2回協議会で「条例素案」を提示した県は、7月の第3回協議会で「修正案」を示しました。これに対して、条例をつくる会は9項目にわたる修正を提案。また、障がい者関係団体やその他の団体(経営者協会・商工会議所・医師会・私学協会・宅建協会・バス協会・報道機関)を代表する委員からそれぞれの立場を踏まえた意見が出されました。会議の内容は,「自由な意見交換を保障するため」として公表されていませんが、条例をめぐる論点を理解するために必要と思われる範囲で、参加委員の話をもとに紹介します。(文責・編集部) 協議会で出された声から ・県は個別の課題は入れないというが、精神障がい者の緊急時対応は入れてもらいたい。切実な問題をどう取り上げて実態の改善に結びつけるのか。 ・差別の禁止については、不利益取り扱いだけではないので。「差別の禁止」とすべきで、合理的配慮についても書き込むべき。 ・現行の相談員制度は不十分。有効な相談員制度をつくるべきだ。 ・自立の定義を入れることが重要だ。日本では従来、「自立とは人の世話にならないこと」とされてきた。支えあいながらの自立を明確に。 ・聴覚障がい者はミーティング等で内容が伝わっていないことが多い。 ・条例は実効性が高いものにする必要がある。また、「生の声」については、実際に声を知ることで障がいの現状を知ることができた。そこが一番必要なことだ。こうしよう、こうしなさいということだけでなく、生きづらさに共感することが大切。 ・国連の権利条約は、障がいは「本人の特性と社会の状況によって生じる」としている。この根底に流れている“社会モデル”の考えを理念に入れるべき。 ・地域格差を「それぞれの地域のニーズ」で片付けるべきではない。 ・他県の条例も見たが似たり寄ったり。マネをする必要はない。生の声をつけてもらいたい。 ・27条(県民とともに進める誰もが安心して暮らせる大分県づくり)は重要だと思う。前の方においてほしい。 ・「女性」に関する項目は意義がある。残してほしい。 ・教育では専門の先生が足りない。財政支援も必要。 ・中小企業は費用負担が厳しい。細かい部分はガイドラインのほうがいい。 ・住居については近隣の人の反対が多い。県民が「もっと協力を」という気持ちになるようにしてもらいたい。 説明文  所属している団体や企業によって意見が異なる部分は当然あります。しかし、障害による差別をなくすためには県民の理解が重要であること、また県民が理解しやすいように生の声が必要であること、また実効性のある条例にすること、などは一致しているように思われます。条例検討協議会の議論からは県内の各界が一致して、県民とともに差別のない安心して暮らせる大分県づくりに向けて画期的な条例にしていける可能性が見えてくるように思えます。 第8面 見出し 言わせちょくれ 15 「元少年Aと呼ばれるあなたへ」 別府市 徳田靖之 本文  私は、あなたに会ったことはないし、あなたが犯した神戸の事件について記録を読んだこともありません。私の中のあなたは、第三者があなたについて語ったところによって形作られています。ですから、私は、あなたの実際の姿形を知りませんし、あなたの性格や人格、考え方についても、漠然としたものしか抱いていません。  ただ、私は、罪を犯した人間もいつか必ず立ち直るということを信じて、常習的な犯罪者の弁護に全力を尽くしてきた一田舎弁護士として、あなたのことを事件発生以来、心にかけ続けてました。否、祈り続けてきたと言った方が正確かも知れません。あなたが、自らの犯した罪にどう向き合い、どう生き直していくのか、それは私にとって、私の生き方の根本にかかわる関心事だったのです。  そのあなたが、あなたの中に形成されたもう一つの人格である酒鬼薔薇聖斗を追い出し、自らの犯した罪に向き合い、家族との絆を回復し、被害者遺族に謝罪するという成長を遂げて医療少年院を出所したことを知った時、私は奇跡が起こったと感じました。そして、ここに至るまでのあなたの苦難とあなたの更生に全力を尽くした周囲の方々の努力に深い深い敬意を払ったことでした。  私は、神戸事件の鑑定書の内容を知っていましたから、人格に解離を生じてしまったという事実の重さ、つまりあなたがあなたの中から酒鬼薔薇聖斗を追い出すことがどれほど困難であるのかを私なりに知っていたからです。  そして、私は、あなたが一人の新しい生まれ変わった市民として静かな暮らしを積み重ねていかれることを願ったのでした。  そのあなたが、手記を発刊したというニュースを知った時、私は戸惑いました。もちろん、私は弁護士として、誰にでも言論、出版の自由が保障されていることを当然と考えています。ですから、あなたが手記を発刊されるのは、あなたの憲法によって保障された権利であり、第三者からとやかく言われる問題ではありません。  手記を読む機会を失った私には、どのようなことが書かれているのかはわかりませんが、自らを取り戻したあなたが、自らを振り返って、自省を深めることはとても大切なことであり、こうした手記をまとめたことがおそらく、あなたの今後の生き直しにおける姿勢をより確かなものにしてくれるはずだと思います。  しかし、こうして手記をまとめることと、これを発刊して世に問うこととの間には大きな隔たりがあると私には思えて仕方がありません。遺族からの厳しい批判は当然のこととして、私にはあなたがこうした手記を世に問おうとしたその意図に危うさを感じるのです。  私にこのようなことを申し上げる資格はないのですが、あなたは、少年Aとは訣別した人生をひたすら歩んでいくべきだと思います。それが、苦難の末にあなたの心と身体から酒鬼薔薇聖斗を追い出して、新たな人間として生き直すということだと思うからです。  あなたが少年Aに戻るのは、遺族と向き合う時だけにしてほしいと私は願っています。 以上(8ページ)