だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会ニュースレター「わたしもあなたも」 2016年1月15日発行 第16号 だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会 【連絡先】在宅障害者支援ネットワーク 大分市都町2丁目7−4 303号 TEL・FAX 097−513−2313 メール info@daremoga-oita.net ホームページ http://www.daremoga-oita.net 第1面 大見出し 「条例成立」へあと一歩 中見出し  10月8日 第4回条例検討協議会  10月21日〜11月20日 パブリックコメント  1〜2月 「条例施行規則」パブリックコメント 2〜3月 第1回定例県議会「条例案」上程 4月1日 条例施行予定 本文  だれもが安心して暮らせる大分県条例づくりは、県が10月8日に開いた第4回条例検討協議会で「障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例(案)」として素案がまとめられ、10月21日から11月20日までパブリックコメント(意見募集)が行われました。前文(右掲)には「感銘を受けた」という意見も寄せられたそうです。  パブリックコメントの結果は、12月11日の県議会福祉保健生活環境委員会で県障害福祉課から報告されました。それによると、129件の意見が寄せられ、主な意見は「差別の禁止だけでなく差別が生じないように啓発・研修の充実が必要」などでした。県はこれらの意見を参考にしながら条例案の最終修正を行うことになります。  今後の日程は、1月から2月にかけて「条例施行規則」の制定準備とパブリックコメントを行い、2月から3月にかけて開かれる第1回定例県議会で条例案と施行規則、そして関連予算案が提案され、可決されると4月1日に施行される予定です。 中見出し 「障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例(案)」前文(案)の紹介 本文  私たち大分県民は、全ての県民が障がいの有無によって分け隔てられることなく、教育や就労をはじめ、恋愛、結婚、妊娠や子育てなど、人生のあらゆる場面において、それぞれの選択を尊重するとともに、相互に助け合い、支え合う社会を実現することを願う。  しかしながら、障がいのある人に対する障がいを理由とする差別や無理解、偏見、充分な支援を受けられず、障がいのある人が自らの意思により選択することを妨げられ、将来の夢や希望をあきらめざるを得なかったり、その家族、特に障がいのある子の親が子を残して先に死ぬことはできないと切実に思い悩むなど障がいのある人やその家族が社会の中で暮らすことに困難を感じ苦しんでいる状況が存在する。  わが国が障害者基本法をはじめとする国内法を整備し障害者の権利に関する条約を批准するなど障がいのある人の権利の実現に向けた取組が進められる中、私たち大分県民は、障がいのある人に対する理解を深め、障がいを理由とする差別を解消するための取組を一層推進することにより、障がいのある人が選択の機会を確保されつつ必要な支援を受けて地域社会の中で安心して心豊かに暮らせる日を一日も早く実現しなければならない。  ここに、全ての障がいのある人によるあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し、及び確保すること並びに障がいのある人の固有の尊厳の尊重を促進することを目的とする障害者の権利に関する条約の趣旨を踏まえつつ、障害者基本法の基本的な理念にのっとり、全ての県民が障がいの有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現し、もって、誰もが心豊かに暮らすことができる大分県づくりに資するため、この条例を制定する。 中見出し 今号の内容  2〜3ページ「臨時総会」(11月1日)の報告 4〜5ページ「12月県議会」の報告 6〜7ページ「視覚障がい者と映画を観る!」 「おしゃれをして街に出よう!」  8ページ  「言わせちょくれ」 第2〜3面 大見出し だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会臨時総会(11月1日・大分市)報告 県の「条例案」を基本的に承認 足りない点は見守りで−「私たちの行動の重要性」を確認 本文  だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会は11月1日、大分市のソレイユで臨時総会を開催しました。10月8日の第4回条例検討協議会で「県の『条例案』について、修正を加えた上で基本的に承認する」と確認されたことを受けて、会としての対応を協議するためで、約50人が参加しました。県の「条例案」について説明が行われたあと意見交換を行い、最終的に「30%の足りない点はあるが、私たちが引き続き見守り続けていくという条件で基本的に承認する」ということを確認しました。 中見出し 報告 ― 経過と県の条例案について 小見出し 残された問題も・・・ 本文  報告は平野亙共同代表が行い、最初に「大きな枠組みの問題として既存の法律の枠組みを出ない文言があり、また県には『差別解消のための条例』という意識が強く、障害者基本条例ではない、あるいは人権条例ではないという考え方があったため人権擁護などは入りにくかった」と指摘しました。続いて具体的な課題について以下のような指摘がありました。 小見出し 評価できる点 ・用語について、「障がい者」ではなく「障がいのある人」という表記に変わったこと ・合理的配慮の定義が入ったこと ・自立について「支えを受けながらの自立」が入ったこと ・県の責務に「親なきあと、性・恋愛・結婚・妊娠・子育て、防災」が入ったこと 等 小見出し 残された問題点 ・定義が障害者基本法のままになっている。 ・女性の複合的差別が入っていない ・調整委員会の役割に権利擁護が入っておらず非常に狭いものになっている ・啓発活動で研修が規定されていない 等  パブリックコメントについては、「個人として、一人ひとりの考えでご意見を出していただきたい」と呼びかけました。 中見出し 意見交換−様々な意見 本文  説明を受けて意見交換に入り、参加者から「障がいの定義が医学モデルではないか」、「本当に自分たちのためになるよう見守りが必要」、「私たちが何をするかが大切」、「タクシーの乗車拒否、入店拒否などの問題を解決するのに重要な役割を果たすと思う」、「『心豊かに』は精神的で違和感がある」、「条例ができたことで別府市は動き始めている。条例をつくる意義を感じている」などの意見が出されました。 中見出し 提案 ― 今後の取り組みについて 条例は新たなスタート 本文  説明と意見を受けて、条例案への対応と今後の取り組みについて提案が行われました。徳田共同代表は、「読み返してみると前文が素晴らしい。また県の責務として、『障がいがある人の性・恋愛・結婚・出産・子育て』という問題を解決していくということを書いている。これは他県にはない。足りない点はあるが『70点』の評価で受け入れたいと考えている」と説明し、条例を見守り続けることを前提に、承認されました。  その上で、「残り30%を埋めるために、私たちが何をすればいいのか」と問いかけ、「私たちが住んでいる大分県の隅々まで、どんな地域をつくっていくかという取り組みが重要だ」と指摘しました。そして、そのために 1,調整委員会に単なるあっせんではなくて、条例を実現していくために必要な問題について検討する権限を設けてもらう。また調整委員会に会から参加できるようにする。 2,「障がいのある人である前に、一人の人間であり、一人の女性である」という基本を多くの人たちに認められる社会をつくっていく。そのような意見を一人ひとりがパブリックコメントで書いていただきたい。また周りの人にも呼びかけていただきたい。 3,上程が12月から3月に延びたが、その間に「見守り」の取り組みを実のあるものにしていくためにどうすればいいかについて検討する。 4,別府市に次いで、県内各地の市町村にどう広げるか、取り組んでいきたい。  と、今後の取り組みについて提案しました。  そして、「この条例ができることがゴールではなく、新たなスタートだということを皆さんと確認したい」と結び、力強い拍手で承認されました。 大見出し 臨時総会参加者の声 本文  ご参加いただいた皆さんから貴重な声(思い・提言など)を多くいただきましたので紹介します。 ・この条例をできる限り多くの人に知ってもらえるようにしたい。 ・地域の人ひとりひとりに、町の中、県の中、交通機関などで情報を提供していく方法(例えば音声による情報を提供するなど)を考えていただきたい。 ・「障がいのある人」の定義について、医学モデル(障害者基本法)を脱していない。身体等の障がいがある人が問題となっている。あくまでも、障がいは「人」を指しているものでなく、障がいがあることで“生きづらさ”を感じている状態であり、そうした生きづらさを感じない状況では、「障がい者」とならないことを、もう一度考えてほしい。 ・障がいのある女性について、項目はなくなってしまい、寂しい感じはするが、県の責務として、性・恋愛・結婚・出産・子育てについて、真摯に取り組んでいただけたら。 ・女性の問題を条例に組み込んでいただいて心から嬉しく、感謝しております。(基本的人権が侵害されない社会生活でありたい) ・条例ができて、どんな活動をして地域づくり、人づくりをしていくかが大切ですね。継続することの大切さ、難しさを感じます。 ・条例では差別解消される方向にあるが、実際には交通機関が利用しにくい現実がある。 ・@パブリックコメントA逐条解説作りB市町村への拡大C出版 ・いろいろな例、問題点をより広く伝え、現状を理解してもらえる工夫ができないか。地域づくりにつなげていく工夫をともに考えていきたい。 ・条例案は第一歩と考えます。私には重度の障がいを持った子ども(24歳)がいますが、今、私が一番心に重くかかっていてる家庭が2つあります。家庭に2人重い障がいを持つ人を抱えています。私も数名で集まって、困ったこと、ボヤきでも何でも話し、時には市に訴えたりしましょうという会を開いていて、そこに来ませんか?と誘うのですが、出て来られません。ヘルパーさんも以前はよく利用していたようですが、「子どもと3人で家でのんびり過ごすのが楽だから・・・」と言っているようです。そんなお母さんや本人に近づけないでいて、心配するだけなのです。このような人たちを引き出してくれるような社会にしていきたいと思います。条例は第一歩です。 第4〜5面 大見出し 県議会報告1 12月11日 大分県議会福祉保健生活環境委員会 「4月1日施行」に向けて準備進める 本文  12月11日に開かれた県議会福祉保健生活環境委員会で、条例について県障害福祉課から報告が行われました。 小見出し パブリックコメントに129件の意見 本文  まず経過と10月8日の条例検討協議会で全会一致でとりまとめが行われた「障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例(案)」の概要を説明が行われ、続いて10月21日から1か月間行われたパブリックコメントについて129件の意見が寄せられたことが報告されました。  主な意見は、 ・差別の禁止だけでなく差別が生じないように啓発・研修の充実が必要。 ・前文に障がいのある人やその家族の思いが入れられており感銘を受けた。 ・紛争解決機関の役割に権利擁護推進の取り組みを追加してほしい。  などで、これらの意見を参考にしながら条例案の修正を行うとのことでした。 小見出し 第1回定例会(2〜3月)に上程 本文  その上で今後、1〜2月に条例施行規則の制定準備(パブリックコメント実施)を行い、2〜3月に開かれる予定の第1回定例県議会で条例案の上程と施行規則及び関連予算案の提案を行い、可決されたら4月1日に施行する予定であることを明らかにしました。  また障がい者差別解消法も4月1日に施行されることから、2月21日には「障がい者差別解消フォーラム」を開催して差別解消法と条例案について理解を深めていくとのことでした。 小見出し 委員から「制定後は堅実な実践を」 本文  委員からは、「あっせんに入るためには、差別をしたとされる側の合意は必要ないのか」(河野委員)という質問が最初に出され、この点については県から「確認しました」という回答がありました。  県議会議長の田中委員からは「大分県独特の条例ができる。いい条例案をつくっていただきありがとうございました。制定後は堅実な実践をしてほしい」と、高く評価するとともに積極的な取り組みを求める声が出され、また「実のあるものにしてほしい。一つ一つの問題を解決していくことは大変なことだ。支援員のような存在が必要」(平岩委員)と具体的な取り組みを指摘する声も出されました。  県は「条例検討協議会に参加した経営団体等には理解が広がっており、宅建協会が研修会をするなど業界も勉強を始めている。それ以外の団体にも訪問して理解を広げたい」などと意欲を示しました。  古手川委員長は「委員会と“ほうれんそう”(報告・連絡・相談)で緊密に連携を取りながら進めていきましょう」と県に求めてまとめました。  12月9日、大分県議会の一般質問で土井昌弘県議が条例について質問しました。  宮西共同代表や安部、倉原世話人らが傍聴するなか、土居県議は条例をつくる会が発足して障がいがある人や家族1200人の声を聞くアンケートを行い、それにもとづいて会の条例案がつくられ、県議会への請願が行われたこと、県議会が全会一致で請願を採択し、県が条例検討協議会を設置して条例案をまとめ、パブリックコメントが行われたことなど経過をわかりやすく説明した後、今後の日程とパブリックコメントの結果について質問しました。  県の草野福祉保健部長は、この条例案の特徴として障がい者や家族の生きづらさや「親なきあと」の問題、性・結婚・出産などの問題を障がい者や家族からいただいた生の声に基づき記載をしていることをまずあげました。  さらに、パブリックコメントでは129件の意見が寄せられ、「差別を禁止するだけでなく、差別が生じないよう啓発・研修の充実が必要」などの意見が寄せられ、今後はこうした意見を参考にしながら来年の第1回定例会上程に向け所定の準備を行っていくとともに、条例案の策定にあたっていただいた障がい者の思いや、ご意見を肝に銘じ、障がい福祉行政を進めていきたいと答弁しました。  土居県議は続いて、具体的な内容について以下のような質問を行いました。 小見出し 「障がいのない子の教育も重要」  本文 障がいがある子への教育だけでなく、障がいがない子への教育も重要だ。オランダでは共生社会(インクルージョン)について教えている。日本ではできていないが、大分県ではすべての児童を対象に教育の場をつくるべきだ。 小見出し「解決策を政策に生かせる調整委員会に」 本文 障がいがある人が抱える問題の解決策をぜひとも政策に活かして、地域福祉の施策につなげていく必要がある。(草野部長の答弁「広く関係者で共有するとともに施策にもつなげていきたい」) 小見出し「自治体職員等の研修が重要」−啓発活動 本文 県民の理解とともに、県・市町村職員、医療、福祉関係者等の研修が重要。また合理的配慮は事業者の理解を広げることも重要だ。(草野部長の答弁「条例は4月1日に施行したいが、差別解消法が施行されるので2月にフォーラムを開き理解を広げたい。3月議会で可決していただければ、実効性が大事なので、リーフレットに生の声を入れたり、講演会を開くなど取り組みたい。事業者は検討委員会にも入っていただきかなり理解は進んだと思うが、入っていない団体にも説明していきたい。行政職員も一番大事だと思っているので、しっかりやっていきたい」)    最後に土居議員は、最後に以下のように述べて質問を終わりました。  この条例案は単に国の差別解消法にもとづいた条例ではありません。この条例案は障がいのある人もない人も、多くの県民が力を合わせ心も合わせて知恵を絞りながらつくろうとしたものです。県民の皆様は、県民のすべてが自分の問題として感じられ、誰もが当てはまる自分らしく生きることにアプローチする条例を待ち焦がれています。パブリックコメントを終え、今議会で議員からの意見を聞き、これから条例案の最終調整に入っていくと思います。ぜひとも、最終の検討を済ませ、よりよい形で議会に議案として上程していただきたいと願っています。  条例案の前文部分は、条例をつくる会の皆さんや障がいのある方々の声を反映した大分県独自の素晴らしい内容になっています。県の責務で障がいのある人の性や恋愛・結婚・出産・子育て、そして「親なきあと」の問題にまで言及しており、全国どこにもない画期的なものです。  この条例案の作成過程も重要でした。県民と行政と議会とが関わり合ってつくったのは、私は県政史上初めてではないかなと思っています。この事は、今の県民目線の県行政の一つの金字塔だと考えています。だからこそ、「障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例」の制定に大いに期待を寄せている一人です。障がいのある人もない人もすべての人々を包み込む社会が大分県にいつの日か実現することを心底願って質問を終わります。  傍聴した人たちからは、「私たちの思い、願いを届けてもらえた」、「すばらしい質問だった」という声が聞かれました。    この条例づくりが、土居議員や守永議員など県議会の皆さんとの共同作業でもあったことを実感させていただいた質問だったと感じました。 (報告・事務局) 第6面 大見出し 視覚障がい者と映画を観る! バリアフリーライフ・シネマ大分 事務局 千綾奉文 写真「映画館の鑑賞会に参加した人々。盲導犬と一緒の人もいる」 写真説明「2014年12月の同行鑑賞会の生ガイドには東京から檀鼓太郎さん(中央)に来てもらった」 本文 目が見えない人と一緒に映画館で映画を観る、なんて普通は考えません。でも私たちは音声ガイドを使って、そういう活動を大分で8年間続けてきました。 視覚障がい者でも楽しめる音声ガイド付き映画の存在を知った2007年から活動を始め、その後「バリアフリーライフ・シネマ大分」という会を立ち上げて年間5〜10回、大分市や別府市の映画館を中心に同行鑑賞会を行っています。映像は時にはセリフ以上に重要なファクターである場合があります。その映像情報を言葉で伝えるのが音声ガイドです。音声ガイド付き上映会とは言っても映画館には一般のお客さんもいます。そこで参加者には小型のFMラジオを貸出し、微弱電波で館内に流したガイドをイヤホーンで聞いてもらうという仕組みです。普段は録音した素材を流しますが、最近は劇場の映写室からしゃべる生ガイドにも挑戦しています。 「点字の雑誌で最近紹介されていた映画を観ることができ感動した」、コミックを映画化した作品では「家に帰って中学2年の息子と初めて映画の話しで盛り上がった」などの感想も聞かれました。 医学は進歩しましたが疾病からくる中途失明者は増えているそうです。完全に視力を失い一旦は諦めた絵の世界、私たちの誘導で映画館まで行き「全山真っ赤に紅葉した妙高高原の麓をバスが走る」と耳から入るガイドでその人なりに映画をイメージ化していきます。 視覚障がい者のためと考えられていたこのシステム、実は高齢社会でも威力を発揮することが理解され始めました。加齢による目や耳の衰えをこのシステムがカバーしてくれるからです。今のところ九州では大分と福岡、全国で20余りの組織がネッワークを組みボランティア活動として取り組んでいます。 連絡先 バリアフリーライフ・シネマ大分事務局:千綾 〒870-1136 大分市光吉台26−447 097-568-8829 見出し 聴覚障がいがある人の困ること 本文 聞こえる人たちが気付かないことが多くあります。ぜひ知ってください。 ●例えばエレベーターの定員が超えた時にブザーが鳴りますが聞えない人は聞こえないので回りから白い目で見られる ●お店がすいている時間帯に買い物に行く(筆談など頼みやすい) ●金額が分からないので大きい金額のお札を渡す ●ホテルの問い合わせ、予約、キャンセルの時に困る ●部屋からフロントに連絡ができない ●注文したものと出てきたものが違うときに不満が言えない ●ドライブスルーでマイクでの注文が出来ない ●まちがっていても我慢して食べる ●出発のベルが分からないので扉に挟まれることがある ●ホームや車内のアナウンス、緊急時の放送等が聞こえない など −大分県聴覚障害者協会 那須事務長から教えていただいたきました。 第7面 大見出し  “おしゃれをして街に出よう!” 車いすの私・福山陽子 写真3枚 1,ウェディングドレス姿の旧姓森本陽子さんに花束を渡す福山直樹さん 2,福山さん夫妻と徳田弁護士の記念写真 3,温泉に出かけた福山夫妻 小見出し ファッションショーで“人前結婚” 本文  高齢者や体にハンディのある人たちが自らステージに立つ「第1回きらめく私のファッションショー」が2015年12月、大分市で開かれた。  200人の観客を前に森本陽子さんはウェディングドレス姿で登場。するとスーツ姿で客席の最前列にいた福山直樹さんがステージ上に。さらに、エスコート役の徳田靖之弁護士(条例をつくる会共同代表)も登壇し、サプライズで“人前結婚”を挙行した。今年の元日、婚姻届を提出して彼女の名前は森本から福山に変わった。  彼女は平成元年、高校3年生の夏休みに自転車を運転中、バイクと接触したことで車いすの生活になった。通りすがりの人たちに振り返られるのが恥ずかしくて下ばかり向いていたという。  ある日、ふと思い立った。「人が振り返るのは陽子自身に対してでなく、車いすに乗っている不特定の女性に対してで、珍しいからだ。どうせ人に見られるのなら、逆におしゃれをしてどんどん振り返ってもらおう!」と。勇気を出して一歩踏み出せば、それは快感になった。  そんな彼女の姿に別府市のバス会社に勤めていた直樹さんが一目ぼれ。直樹さんは以前、太陽の家に勤めていたこともあって車いす姿の女性は見慣れていたつもりだった。しかし、バス乗車拒否問題を解決するために彼女がバス会社で運転手らに車いすの乗車指導している姿を見て目を奪われたという。直樹さんは「彼女はヒザから下が見えるスカート姿で、車いす姿全体がとてもきれいで新鮮だった」と振り返る。 小見出し 街に出なければ街は変わらない 本文  二人は一部バリアフリーに改修した別府市亀川のアパートで新生活をスタートさせた。年末年始には二人で別府中心街に出かけてみたが車いすの人たちの姿はほとんど見かけなかったという。レストランでも、大型ショッピング店でも。  「家の中で一日中普段着のままでいるのかしら」。  障がいのある人の住みやすい街づくりや健常者と共に助け支え合う共生社会を目指すにしても、障がいのある人がまず街に出なければ街は変わらない。障がい者が街に出かける移動手段、交通機関の確保が難しいことは分かっている。だけど、障がい者自身がもっと街に出て、店員さんや街の人たちに車いすを抱えてもらったり手を貸して下さいと声をかけたりすることが、とても大切なのではないだろうか。そして、街で障がい者に手を貸すことで、健常者が心地よい気持ちになったら、双方が温かい気持ちになれ、お互いフィフティ・フィフティの関係が確立できると話す。 小見出し おしゃれをすると楽しくなりますよ! 本文  障がい者がおしゃれをする喜び――着たい服を自分で選んで自分で決めること。  街に出かけることがより一層楽しくなりますよ!と福山陽子さんは強調しています。 (インタビュー・志賀 等) 第8面 大見出し 言わせちょくれ O 親を憎む子の被害とは 別府市 徳田靖之 本文 新聞報道でご存知の方も多いと思うが、父や母がハンセン病の患者だった人たちが、国を相手に裁判を起こすことになった。国のハンセン病隔離政策によって、隔離された本人だけでなく、自分たち家族も深刻な差別と偏見にさらされ、苦難に満ちた人生を強いられることになったと訴える裁判である。 こうした家族の被害については、黒坂愛衣著「ハンセン病家族たちの物語」(世織書房2015)に実に詳細に聞き取られている。 同書に明らかにされた家族の被害として最も深刻だと思われるのは、多くの子ども達が一様に親を憎んだり恨んだりしたということだ。3歳の時、父親が国立ハンセン病療養所に入所させられたKさんは、父親の入所により、母親は離婚して実家に帰り、自らは、親族のもとを転々とするという子ども時代を過ごしている。死んだと聞かされていた父親が生存しているとわかって、熊本県の菊池恵楓園を訪ねて面会した父親に対し、「なんで、わたしはこういうひとから生まれたんだろうって・・・思った」と語り、その時はじめて自分が子どもの頃から周囲から受けてきた冷たい仕打ちの意味が分かったと述懐したうえで、父に対し「死ね」とか「あんたの子どもだけんが、わたし、こういうめにあった」との言葉を投げつけたと振り返っている。 同じように、小学2年生の時に父親が鹿児島県の奄美和光園に収容されたAさんは、友人たちから「コジキ」と呼ばれ、誰からも遊ばれなくなるという差別を受ける中で、時折園を抜け出して家に帰ってくる父を疎ましいと感じ「帰って来るな」と思い続けた過去を痛切に振り返っている。 Aさんから「もう早く帰れよ」と言われた父が「おまえがそんなこと言うんだったら自分はもう首でも切って死ぬわ」と怒ったと言うのだ。 血のつながった親と子が、このような形で引き裂かれてしまうということにこそ、ハンセン病隔離政策によって作り出された社会の中における差別・偏見による被害の本質がある。 前掲のKさんは、自らの生い立ちを話すことを頑なに拒み続けて来た。「辛い思い出は、忘れたいのね。もう前向きに前向きにと思って生きてきたから。後ろ振り向くと辛い思い出しかないけんが」と語っていたそのKさんが、国を相手の裁判に立ち上がるというのだ。 KさんやAさんを知る私がこの訴訟に参加しない訳にはいかない。 この紙面をお借りして、再び、この問題に多くの方々の理解と支援をお願いする次第である。 以上(8ページ)