だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会ニュースレター「わたしもあなたも」 2017年2月24日発行 第18号 だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会 【連絡先】在宅障害者支援ネットワーク 大分市都町2丁目7−4 303号 TEL・FAX 097−513−2313 メール info@daremoga-oita.net ホームページ http://www.daremoga-oita.net 第1面 見出し 「親なきあとを考えるフォーラム」 大見出し 解決への第一歩-現実と思いを共有 本文  「親なきあとを考えるフォーラム」は11月27日、別府市のニューライフプラザで開催されました。障がいのある人、家族、支援者、行政、市民など約120人が参加し、親なきあとの不安や今後のあり方について話し合いました。別府市の「親亡き後等の問題解決策検討委員会」の検討結果や「親の思い」の報告を受けた後、現状や課題、今後の取り組みについて、様々な立場から意見交換を行いました。 見出し「別府市報告」―地域の理解とつながり重視 本文 報告1では、別府市の親なきあと検討報告について検討委員会の委員として参加した平野亙共同代表が「親なきあとは全国で問題になっているが取り組みが進んでいない。このようなユニークな報告ができたことは素晴らしい」と評価。「特に地域の理解とつながりを重視した。また、できることだけでなく、これから検討していかなくてはならない課題も書き込んだ」とこれからの取り組みの重要性を指摘しました。 見出し「親の思い」―家族で抱え込んでいる現実 本文 報告2は、親の立場から世話人の安部綾子さんが『親なきあとマニュアル』の発行に対して寄せられた多くの声を紹介し、「まだ支援が届かず家族で抱え込んでいる人が多くいる現実がある」と指摘しました。 見出し 当事者・家族・支援者・行政−様々な立場から 本文 続いて、様々な立場の人による意見交換が行われ、当事者として参加した河野龍児さんは「4月の地震の際に親なきあとの問題を実感した。まわりの人の理解が大切だが、地域の理解はまだないと感じる。親が託せる、魂のこもった“仕組みづくり”が必要」と話しました。  相談支援専門員として支援にかかわっている首藤辰也さんは「専門性や緊急時などを含めた相談支援の充実が重要」と指摘しました。  親として参加した永松温子さんからは「多くの親が4月の地震の際に『もういいや』『しようがない』と思った。困難を親が抱え込んでいることが多い。親自身の人生を考えることも必要」と話しました。  別府市の大野福祉保健部長は「100人いれば100通りの解決策が 必要」と対策の難しさを指摘した上で、「将来の問題ではないので早急に考えなければならない。緊急の問題から取り組み始めている。成功事例などを伝えていくことも必要」と話しました。 見出し 「条例」から「問題解決」へ一歩 本文 コーディネーターの徳田靖之・つくる会共同代表は「親なきあとの問題解決は県条例、別府市条例に書き込まれ、今日は私たちの手で解決に取り組む第一歩を踏み出せた」と取り組みの継続を呼びかけました。 (補足 意見交換の報告は2〜3ページに掲載) 見出し 参加者アンケートの声 ・当事者、家族の声でどの方の思いも今の私と同じだと考えさせられました。私も常に障害者の子どもの親としてあせっています。これからもこのようなフォーラムに参加してたくさんの人のアドバイス等を聞き不安を解決していきたいです。 ・胸が熱くなりました。「親なきあと」のことを熱心に考えてくださっている方がこんなにもたくさんいることに感激しました。 ・初めて参加して考えは皆様と同じであることを確認できました。親なきあと、子どもが生きていける社会が来ることを祈りつつ死んでいきたい。 (フォーラム会場を後方から写した写真を掲載) 2−3面 大見出し 意見交換「親なきあとを考える」報告 コーディネーター 徳田靖之さん だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会共同代表 当事者として 河野龍児さん 親(家族)として 永松温子さん 支援者として 首藤辰也さん 別府市相談支援事業所ぱれっと 行政 大野光章さん 別府市福祉保健部長 報告者 平野 亙さん だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会共同代表 報告者 安部綾子さん 大分精神障害者就労推進ネットワーク事務局長 見出し 母親を2度と殺人犯として裁かないために 本文 徳田 20年ほど前にある殺人事件の弁護をしました。大分市で起きた無理心中事件で、70代のお母さんが40代の重度の障がいのある子を自らの手で殺めた事件です。それ以来「2度と母親を殺人犯として裁くようなことにしてはならない」という思いで取り組んできました。親なきあとの問題をこうして多くの市民の皆さんとともに考える場を持つことができるようになったことをうれしく思っています。今日は、親なきあととはどういう問題なのか、なぜ深刻な問題になるのか一緒に考えたいと思います。 見出し 地震経験で親なきあとの不安を実感 本文 河野 障がい当事者として4月の地震を経験し、親なきあとの不安を実感した。母や支援者と真剣に話し合っている。同時に、年老いた母の介護の問題もあり、両輪の取り組みが必要だ。支援専門員でもあり、別府市の検討委員会にも参加してきた。形だけでなく魂のこもった親なきあとの仕組みをつくりたい。 見出し 抱え込んでいる親への支援が必要 本文 永松 重度の障がいの息子が私より体が大きくなって一人で抱えきれない。今回の地震でお母さんたちは「もういいや。どこに避難しても動けないし、重度の子どもは車の中で寝ることもできないので、この家がだめになったらしようがない」と話している。親が抱え込んでいることが多いのに、ショートステイや緊急の時の一時預かりができるところがない。親の介護もあり、そのためにも預かってもらえるところがほしい。 見出し 相談支援の充実が重要 本文 首藤 最初は看護師として、続いて相談支援専門員として障がいがある子の支援をしてきた。親が亡くなった30代の人の支援をした時、地域の方に説明していくことで理解や応援をしてくれる人が増えてきた。在宅生活の支援もできると確信している。支援者として「親離れ・子離れ」ということを言いがちだが、何が原因なのか、なぜ支援が必要か、深く考えたい。 見出し 展望示し、できることから始めている 本文 大野 2年間、親なきあとについて当事者も含め議論をしてきたが、報告は解決策というより将来への展望を示すところに止まった。100人いれば100通りの問題があり100通りの解決策が必要になる。すぐにそこまで行けないので、今できること、将来に向けて必ずスタートしなければならないことなどに分けて集約し、できることから取り組みを始めている。 徳田 親なきあとがなぜ深刻な問題にあるのか。その背景には何があるのだろうか。 見出し 親も子も胸を張って生きていけない社会 本文 永松 第1に、自分の思いを伝えられない子どものことを一番わかっているのは親で、それに代わる人がいない。第2に、移動支援制度はあるが、それを使うためには親の車が必要。親が病気でも、子どもを車いすで病院に連れて行き、診察につき合わせる。子どもをどうにかしなければ自分のことができない。第3に親も子も胸を張って生きていけない社会の状況がある。子どもの障がい側あったときにどうすればいいかわからない。仕事を辞めるしかなくなる。私はお母さんたちが助けてくれて仕事を続けたが、「こんな重度の子どもを持って働いて」という批判がたくさんあった。社会の人は「親が見るべき」という考え方が強い。 見出し 親の人生と子どもの人生 本文 徳田 20年前の殺人事件で、お母さんは「子どもを育てることが自分の人生だ」と決めた。それから40数年間、目が覚めてから一日中、息子さんにかかり切りという人生を送った。その結果、「自分が死ぬときはこの子を殺すときだ」という意識が生まれ、何の疑問も湧かなかったと言われた。永松さんの場合、自分自身の仕事があってこう生きるという場を持ったことで、お子さんとの関係ができていったのではないですか。 永松 そうですね。だから私はこういうところに出てこられるのかという気がします。 徳田 首藤さんはいろんな方を見てきたと思います。 見出し 第三者に託せない母の思い 本文 首藤 医療が進む前は、主治医から「あまり長く生きられない」と伝えられ、お母さんたちは見られる間精一杯見ていきたいと思った。すると第三者に託せなくなる。社会資源も足りず、アセスメントもできず、適切な支援に結びつかなかった。そんな時代の保護者が高齢化して親なきあとの問題が表面化したように思う。 見出し 理解がないと追い詰められる 本文 安部 親は追い詰められている。障がいがある子が生まれたときから差別される。まず身内から「うちにこんな家系はない」と言われ、そこで遮断され、「誰に頼ればいいの」となる。行政の窓口に行っても「家族が見るのが当然でしょ」と言われる。子どもが大きくなっても働けない。すると「年金があるからいいでしょ」と言われる。地域の理解、行政の理解がないと、「しようがないよね」という気になってしまうんですよ。 見出し 地域に親に代わる人がいれば 本文 徳田 当事者の立場は。 河野 リハビリをしていた時、「甘えるな」と言われたことがある。しかし、親が亡くなった後、甘えられる場所、安心できる場所が重要だ。親に代わるような人がたくさんいることが親なきあとを解決する大切なきっかけになると思う。しかし、自治委員や民生委員が集まった会議で「災害の時、障がい者は親が見るべきだ」という発言に大きな拍手が起きた。それが地域の現状だと実感した。親なきあとは地域の問題だ。地域の人々が親なきあとの障がい者を受け入れるためには、魂の入った仕組みづくりが必要だと思う。 徳田 社会が「障がい者は親が見るべき」と思ってしまっている状況が親なきあとの問題を困難にさせている原因の一つということですね。では、最後にこれを解決すればという課題を最後にみなさんから。 見出し 日頃から障がい者を理解して 本文 河野 支援の枠組みだけでなく、日頃から通常のつきあいとして障がい者を理解していただくことが必要。そのために、別府では現場にいる私たちが必死になって模索し、仕組みを作ろうとしている。 首藤 相談支援の充実が重要だ。小さいときの相談、専門的な相談、緊急時の24時間365日の相談等の体制をつくること。また相談員の資質の向上も必要だと感じている。 大野 相談支援は全体のコーディネートがまだうまくできてない。仕組みの構築が必要だ。支援している親の休息(レスパイト)も大切。また、障がい者同士が他の障がいを理解し、思いやりや配慮できることも必要だと思う。 見出し 地域の人に息子の姿を見てほしい 本文 永松 社会は「自分のことは自分で」という風潮が強くなっている。市条例ができて協働事業に参加したが、健常者が多く参加してくれた。いろんな会に参加して息子の願いをもう一度考え直すことができた。相模原事件が起きたが、息子は自分の与えられた厳しい条件のなかで健気に一生懸命生きている。息子の我慢強さ、つらくても笑う大きさは、とてもこの子にかなわないと思う。「自慢の息子」だ。地域の方々に、一生懸命生きているこの子たちの姿を見てほしい。自治委員や民生委員さんたちも知らないからそういうことを言うと思うので、見てもらって理解してもらいたい。時間はかかるかも知れないけどできると思っています。 見出し この子が生きていける社会を 本文 平野 私は子どもの障がいを受け入れるのに6,7年かかったが、すばらしい人たちに出会って子どもは守られてきた。今は、この子が生きていける社会をつくるためにがんばりたいと考えています。 (詳しい報告を作成する予定です) 見出し 会場から ・当事者です。周りの人に助けを求めることをずっとしてきた。当事者が自分の病気と向き合って頑張ることが大切だと思う。父母に大変な思いをさせたくないので、自分で頑張りたい。 ・当事者と家族を孤立させない取り組みをしてきた。働きたくても働けないお母さんたちに障がい者を支援する事業所で働いてもらっている。お母さんたち自身の障がいのある子どもへの見方が変わってきた。また、障がい当事者同士のつながりの場をつくった。100人を超す人が、お互いにつながり会うことで、家から離れた生活ができるようになった。障がいのある人が一緒に生きていける地域、声をかけ合い、支え合えるような周りの人がいればいいのかなと思っている。 (意見交換をしている写真を掲載) 4面 大見出し 災害時に“命をつなぐ” 中見出し 〜別府市亀川で要支援者の避難訓練〜 本文  「高知沖で南海トラフ地震が発生しました。大きな津波がきますので今すぐ避難して下さい!」  この冬初めて雪が舞った1月15日の朝、別府市と古市町(ふるいちまち)自治会、「福祉フォーラムin別杵・速見実行委員会」が主催して別府市亀川の古市町で障がい者や高齢者の災害時要配慮者の避難訓練を行いました。地域での支援や連携の課題を明らかにしていくことが主な目的で、今後起こりうる災害に備えた要配慮者の支援仕組みづくりにつなげていこうと日本財団助成の「全国で初めての大がかりな事業」でもありました。 小見出し 津波を想定し高台に避難 本文  訓練にはおよそ110人が参加し、地元に住む障がい者や施設利用者、高齢者あわせて22人が、住民や予めヒヤリングで準備したサポーターの助けを借りながら高台にある2箇所の隣組自治会公民館(別府市指定一時避難所)に向かいました。  別府市北部の海岸沿いに広がる古市町には在宅障害者が多く住み、別府湾からの津波が押し寄せると5.6メートルと市内で最も高い波が予想されている所で、参加者たちはそれぞれ標高40メートル前後の避難所までの1キロ近い上り坂を車いすや徒歩で避難しました。  車いすを押す人、引っ張る人、視覚障がいや歩行困難な人を支える人など、全員が25分から40分かかって無事避難所にたどり着きました。 小見出し 自治会と障がい者のつながり広がる 本文 この訓練の中で地元の自治会の人たちと障がい者が初めて知り合ったり、いろんな形でつながり”が広がる可能性も見えてきました。その反面、支援の仕方や避難路、情報共有(障がい者の個人情報の活用)などで課題も見えて> きました。  古市町では去年熊本・大分地震が起きた翌月の5月に障がいのある人たちへの聞き取り調査をし、実際に震度6弱の地震発生時の避難について聞きました。74%の人が「避難しなかった」、そのうち41%もの人が「避難できなかった」と回答。秋には調査の範囲を広げてお寺や病院、学校など地元の21事業所に聞きました。47%の事業所が地域との関わりで「今後の災害時には協力したい」と答えてくれました。そのあと今回参加を求めて初めての避難訓練のアンケート調査 をしたところ、在宅障がい者49人に郵送したうち返信があったのは18人で、そのうち2人が参加の意向を示したにとどまりました。 小見出し “地域の力で命を守る”ために 本文  地元の人同士だけに「迷惑をかける」「手助けがあっても避難しない」「訓練には行きたくない」など、地域とのつながりを求めているものの、課題が多く、これからも障がい者が積極的に前に出てくるような地域のつながり方、助け合いのあり方など考えていかなければなりません。  今回の訓練には県内各地から社協職員や相談支援相談員などの専門サポーター40人が参加して、それぞれグループごとに記録係として問題点をチェックするとともに、亀川地区の古市町以外の自治会長や防災士11人も参加して訓練を見守っていました。  これから参加者の訓練記録から課題をまとめ今後の訓練の参考にする他、3月に開かれる別府市内全体の報告会で訓練の成果と課題を市全体で共有して先につなげていくことにしています。  東日本大震災では被災地の福島県など3県で地震・津波の直接死15894人、行方不明2562人、震災関連死は3523人に達し、熊本地震ではすでに関連死者数が直接死の2倍以上となっており、避難後のケアも大切な課題になっています。  避難から避難所での生活に至るまでの支援によって“地域の力で命を守る!”という理念を現実に変える実践が始まったばかりです。 (古市町で避難する人と支援する人の写真を3枚掲載) (報告 志賀 等 写真提供 並木大輔) 5面 大見出し 心ときめき佐伯まで   中見出し 〜福祉フォーラムinけんなん佐伯会場〜に参加して〜      筆者 原野彰子 小見出し グチり合い、励まし合って 本文  『まっちとめぐちゃんのティータイム』のサブタイトルに心がときめき、〜福祉フォーラムinけんなん佐伯会場〜に行ってきました。当日はお天気も良くドライブにちょうどいい日でした。  まっちこと吉田真知子さんは『のびのびランド』の創設者。佐伯の福祉業界で真知子さんの事を知らない人はまずいない程の有名人。真知子さんと私は会うたびに福祉サービスの格差や私たちのニーズに対応する受け皿の無さを話し合いグチり合い頑張っていこうねーと励まし合うのです。めぐちゃんこと岩崎みぐみさんは、25年以上前に私が別府リハビリテーションセンター入所時のルームメイトでした。3人部屋の隣のベッドだっためぐちゃんはいつも私に「あきちゃん、ちゃんと貯金せないけんよ!」と言ってくれていました。ごめんね…めぐちゃんのいう事きけず貯金ないけど…。 小見出し 県条例をわかりやすく説明 本文  基調講演は平野亙先生が、昨年4月に制定された『障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例』の制定と施行についてをテーマに、制定されるまでの長い年月の歩み、苦労した点、これからの課題、など具体例をあげての分かりやすいお話しでした。一番前の席で平野先生の素敵な声に聞き惚れていた私でした。 小見出し 佐伯市の困り事、映像で 本文  『まっちとめぐちゃんのティータイム』の映像は、大分県条例の説明を分かりやすくしてくれて、佐伯市の現在の困りごと『佐伯駅の問題』を現場検証しながら佐伯の町の細かい撮影あり、駅長さんへのインタビューあり、と盛りだくさんの素材を上手にまとめていてユーモアとセンスの良さを感じました。この映像を今後YouTube(ユーチューブ)【インターネット上で見られる、動画共有サービス】にも上げる予定と聞き、私は嬉しく大賛成!多くの方々がこの映像を見てくれて、今まで関心のなかったような人々が知ってくれたら、それが何よりの私達のこれからの希望に繋がります。 小見出し 住みやすいまちづくりのために 本文  何かを作り出す事、形にする事は簡単ではありません。県条例も住みやすい町づくりも、小さな声をたくさん集めて、それを何度も話し合い、多くの人が携わり、多くの時間をかけてつくりあげていくものです。出来たからそれで終わりでもありません。これからもずっと私達一人ひとりが『障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例』を大きな意味のあるものに育てていく一員でありたいと強く思います。 けんなんフォーラムの会場の写真と原野彰子さん作の絵手紙2枚掲載。絵手紙はトリの絵に「あけましておめでとう ケッコーな1年に。招福大開運」の言葉、もう1枚は貝の絵に「高速のって佐伯へ行こう!!」の言葉があります) 6面 中見出し 聴覚障がい者の集いに出席してきました!! 大見出し 「私が“障がいのある人”」を実感 筆者 事務局次長  志賀 等  本文  大分市大津町にある県聴覚障害者センターの「設立20周年記念集会」が1月8日、隣接する県総合社会福祉会館で開かれました。  満席の大ホールに入ると障がいのある人たちの集会という印象はあまりありませんでした。しかし、式典が始まると印象は一変しました。  主催の県聴覚障害者協会の代表や来賓の挨拶が終わると、そのつど会場の出席者が両手を一斉に振り上げその手の平をヒラヒラさせて “拍手”を見えるようにして壇上の人に伝えているのです。 最初は何をしているのだろうかとその光景に驚きました。 小見出し 私自身が“障がいのある人” 本文  手話もできない私が大勢の聴覚障害者に囲まれて周りの人に質問をすることも叶わず、・・・そのうち4,5年前に県条例案づくりで障害者の定義について学んでいた時のことを思い出し・・・・この場では私自身が”障がいのある人“になっているのだということを初めて実感しました。  聴覚障がい者にとって、例えばドライバーのクラクション、災害時のサイレンや広報車の呼びかけなど全く伝わらないとしたら、時に命に関わる場合もあります。  集会に出席して、手話を含めて聴覚障がい者にはコミュニケーションが一番大切だということを改めて思い知らされました。 小見出し 手話通訳と要約筆記に助けられながら 本文  会場では私自身が逆に!手話通訳と要約筆記に助けられながらそのあとの記念講演を聞きました。 「夢に向かって生きる〜ろう女優・ダンサーとして」と題して、NHKのEテレ「みんなの手話」(日曜日19:30〜19:55放送)にレギュラー出演している貴田みどりさん(きだ)が講師です。 貴田さんは病気の後遺症で18歳で聴力を全く失い、お母さんの声が聞こえなくなった時は本当に悲しかったといいます。  普通学校に通っていた頃は、友達の会話や授業でも聞き取れないことがよくあり、分かったようなふりをしていて孤独や苦痛から学校に行かなかったこともありました。 中学生になって友達が手話で生き生きと歌を歌っている姿を見て感動してサークルに入り、孤独感が消えて気持ちが前に進むようになったようです。  今は女優など幅広く活躍していますが、女優としては芝居の練習の場に手話通訳者もおらず、更に長い文章のセリフを手話に表現するのも難解で、それこそ少しずつ少しずつ覚えながら身につけていったそうです。  今、全国でろう俳優は36人、そのうち事務所に所属しているのは貴田さんら2人しかおらず、生活面でも頼みのアルバイトに休暇が取れずに仕事に穴を空けたりすることもあって両立するのはそれこそ大変です。 小見出し 会場に手の平の“拍手”の波 本文  最後に貴田さんは、「ろうの俳優がもっと増えて、もっと普通にTV番組などで手話で活躍する姿を見てみたい」、「そのためにはまず自分自身がもっともっと頑張っていきたい」と述べていました。 その時、会場では一番多い手の平の波が広がっていました。 (写真は手話で講演する貴田さんと会場の参加者の2枚掲載。提供は大分県聴覚障害者協会) 7面 中見出し おしゃれをして街に出よう!PART3中見出し 広がるファッションショー 大見出し 別府で、竹田で、また別府で 筆者 福山陽子 本文  昨年の5月24日に別府市役所レセプションホールで開催させていただきました「湯にば〜さるファッション in 別府?」では、観客報道関係の方を含めますと、150名以上の方に、また昨年11月21日にビーコンプラザで開催されました2回目の「湯にば〜さるファッション in 別府?」でも、たくさんの方にご来場いただきました。ご協力くださいました方々に、心より感謝致します。有難うございました。  ビーコンプラザで開催されましたショーには、「新・窓を開けて九州」の取材が入りました。メインは、中原琴美ちゃん。服を選ぶ際の悩みをデザイナーに話し、ピンクのドレスを作りました。ピンクは大人の女性だからこそ着られる色。とても素敵でした。  実はその一週間前の11月14日は、竹田市直入で「ときめく私のファッションショー」が開催され、川野陽子さん首藤健太さんと共に、私もモデルとして参加させていただきました。照明音響と本格的な舞台にすっかりテンションが上がってしまった私は、本番のステージを、存分に楽しませていただきました。  「障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる大分県づくり条例」が県で、またそれに先駆けて、「障害のある人もない人も安心して安全に暮らせる別府市条例」が、別府市でできました。いずれも画期的な条例です。 ? 条例ができましたこと、福祉に関心のある方はすぐに馴染めたでしょうが、一般の方にどれだけ広まっているのでしょうか?「平等」とは、一体何でしょうか?障がい者が出掛けるのは、福祉系のイベントだけではありませんよね。  オシャレがQOLの向上に不可欠であることは、すでにお分かりだと思います。私がいつもお世話になっております服飾デザイナー鶴丸礼子氏は、「装いとは、その場に相応しく周りに不快感や違和感を与えないもの」と、説いてらっしゃいます。  オシャレを、お目にかかる方への敬意を表し、皆様への感謝を忘れない「御謝礼」と、おっしゃるのです。  私もその時お会いする方への敬意を持ちました装いを心掛けていたのですが、スカートが短すぎたかな(^_^;)  88歳の現役ファッションモデルのダネフ・セレフさんは、「エレガンスとは、自分の体や体の動きを理解した上で、自信を持った立ち振る舞いができること」と、おっしゃっています。  「車椅子は女性を表す最高のアイテム」ですので、乗り方(座り方)にも、気を配りましょう。古くて初歩的な障がい者観をなくすには、オシャレは重要なカギなのです。着にくいからとオシャレを諦めるなんて、非常にもったいない!!  車椅子ユーザーである私たちの許容範囲は、非常に限られてきます。それでも精一杯オシャレを楽しみたい!オシャレは障害のある人にとっての「自立の第一歩」と、私は思っています。 (写真が6枚。別府と竹田のファッションショーで登場した人たち。福山さんや川野陽子さん、丸子博士さんらが写っています) 8面 中見出し 言わせちょくれ 第18回 大見出し 「相模原事件」を考える 筆者 別府市 徳田靖之 本文  あの衝撃的な事件から早く も七ヶ月が経とうとしている。 余りのことにショックを受け、 しばらくは食事も喉を通らな い程だった。多くの人たちが 事件について様々な角度から 発言しているのを眺めながら、 自分なりの見解をまとめきれ ないでいる自分に気付いて、 自分が受けた衝撃の大きさを 知ったりもした。この事件に ついて、誰かととことん語り 合いたいという思いと語り合 ったところで、何が明らかに なるのだという思いが、交錯 して、今日まで経過してしま った。   今、こうしてペンを握って いる私のそばに故横田弘さん の復刻版「障害者殺しの思想」 (現代書館)がある。  1978年2月、横浜市の 新興住宅街で「脳性マヒの長 男の前途を悲観した母親が、 その子の首を締めて殺し、自 分も遺書を残して姿を消した 後、自殺した」とされる事件 を契機に、「母よ!殺すな」と 運動を展開して、日本の障が い者運動に新たな地平を切り 開いた「青い芝の会」のリー ダーだった横田さんの著書で ある。   殺された側の生命の意味が 全く顧みられることなく、殺 した側の親へと同情が集中し、 更には、地元住民が減刑嘆願 運動を行った状況の中で、横 田さんは「母親を重症児殺し にまで追い込んでいった段階 で、・・・自分たちが地の底に までたたき落とした母親を、 一度の署名、一つの印鑑を与 えることだけで救えると思い 込む、そして、それが善いこ となのだと信じて疑わない。 そうした地域社会の在り方こ そ実は数多く行われる障害者 殺しを生み出す土壌となって いる」と告発している。   私は、改めて、この書を読 みながら、相模原事件を殺さ れた障がいのある人たちの側 から考えるべきだと思う。   何故に、彼らは、あの施設 で暮らさなければならなかっ たのか。   何故に、彼らは生命を奪わ れた被害者であるのに、氏名 を明らかにされないのか。そ のことが遺族の意向だとすれ ば、遺族にとって、彼らはど のような存在だったのか。そ のことがマスコミによる「配 慮」なのだとすれば、重い障 がいを持つということは、匿 名にしなければならないよう な恥ずかしいことなのか。   一人一人の生命の意味が、 世の中に役に立つかどうかで 判断される世の中は、かのナ チスの時代がそうだったよう に、やがて、健全であると思 い、世の中に何がしかの役に 立つと思っている私たちをも 抹殺しかねない世の中に通じ るということを今こそ真剣に 考えるべきではないだろうか。  この事件を語りあう会を皆 でやりませんか! (イラストの徳田靖之さんの横にホワイトボードがあり、「 殺された障がいのある人た ちの側から考えたい。一人一 人の生命の意味が、世の中に 役に立つかどうかで判断さ れる世の中は、役に立つと思 っている私たちをも抹殺し かねない世の中に通じる…。」と書いています) 以上