だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会ニュースレター「わたしもあなたも」 2017年10月15日発行 第19号 だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会 【連絡先】在宅障害者支援ネットワーク 大分市都町2丁目7−4 303号 TEL・FAX 097−513−2313 メール info@daremoga-oita.net ホームページ http://www.daremoga-oita.net 第1面 大見出し シンポジウムの報告 相模原事件を考える 本文 昨年7月26日、神奈川県相模原市の障がい者施設「津久井やまゆり園」で入所者19名が亡くなり、職員を含む26名が負傷するという悲惨な事件が起きました。犯人は元施設職員でした。なぜ「意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだ」という思想を持ち、犯行に至ってしまったのか?背景にどのような問題があるのか?二度と起こさないためにどうすればいいのか?――「だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会」と「大分障がいフォーラム実行委員会」は7月29日、大分市のホルトホールで『相模原事件を考えるシンポジウム』を開催しました。県内各地から約140人の方が参加して意見交換をしました。 中見出し 事件の説明−相模原事件とは 被告は、施設は、人々の反応は… 広野俊輔 小見出し 被害の概要と被告について  相模原事件では19名が亡くなり、戦後最悪の殺人事件と言われている。被告はこの施設の職員で、「障がい者は本当に幸せなのか」と言い、昨年2月には「自分はたくさんの障がい者を殺すことができる。行動を起こすつもりです」という手紙を衆議院議長に渡そうとした。 小見出し 事件が起きた施設について  事件が起きた施設は知的障害者のための大きな施設で重度の160人が入居していた。このような施設がつくられた背景には当事の親たちの「障がいのある子どもを置いていけない」という「親なきあと」の問題もあった。 小見出し 事件への反響について  事件はたくさんの話題を呼び、積極的な賛成や消極的な賛成も見られた。被告は事件後も考えが変わらず、「意思疎通が取れない人間を安楽死させるべきだ」と書き、「私の考える幸せとは、お金と時間」であるとして「重度障がい者を育てることが莫大なお金と時間を失うことにつながる」と主張している。 小見出し 事件後の対応について  事件後、今後の施設のあり方も議論され、「現地で全面建て替え」という方針に対して、「施設から地域へ」という国際的な流れのなかで、3カ所に生活拠点をつくるという方向が出された。また、国は対策の一環として精神科措置入院の制度改定を盛り込んでいるが、病気が原因で起きた事件とは考えにくく、分けて考えた方がいいと思う。 第2面 大見出し  当事者としてどう受けとめるか1  “役に立たない存在”への差別 重度脳性マヒ者の存在と地域の関わり 宮西君代  私はこの事件について三つの怒りを覚えました。  一つは犯人に対する怒り。二つ目はその犯人を賞賛するネット世界での書き込みへの怒り。三つ目は被害者の名前や人柄、犯人の残虐性を伝えないマスコミへの怒りです。  地域社会には昔も今も“社会に役に立たない存在”への差別が根強くあります。表向きは差別解消法などできてハード面は少しずつ変わっても、一人ひとりの内面の差別意識は変わらず、法の裏でくすぶり爆発した事件だととらえました。  殺された被害者と同様に、私が殺されても私の家族や親戚も名前を出して語ることはないと思います。世間に対しての負い目、また母親以外、私がどんな子だったか知らない。周りは悲しむ母に慰めのつもりで「もういなくなって楽になっていいんじゃない」と陰で言うことが想像できます。  私は、“本来存在してはならない子”として生を受けたけれど、両親のたくさんの愛情の中で育ちました。しかし、親族や地域の大人達は私の存在を認めたくはなかった。私が冠婚葬祭に呼ばれたことは、実の父親を除いて一度もない。私は生きている意義を見出せず、いなくなった方がいいと思うようになったのです。  立ち直るきっかけとなったのが、脳性麻痺の「青い芝の会」の存在でした。ありのままの姿をさらけ出し、社会に対して問題提起していく姿は衝撃的でした。青い芝の会の要綱の中に「我らは、愛と正義を否定する」とあり、私にはすんなり理解できたのです。同じ人間として生まれてきて、社会のルールや動きについていけない人を地域が受け入れず、健常児も障がい児に出会わず、理解し合えることなく大人になっていく。そこから、差別が始まるように思います。  犯人も、初めから偏った異常思想だったのではないでしょう。施設の激務で時間に追われ、効率良く機械的に介護することだけで手いっぱいとなり、利用者の一人ひとりと向き合う時間がない。あるいは能力の欠如だったかもしれません。精神に疾患を負っていたかどうかはわかりませんが、その人一人が犯した犯罪であり、このことで精神に障がいを持った方みんなが「何をするかわからない、怖い」とか「病院に入れておけばいい」という偏見によって、地域移行が後退することはあってはなりません。  言葉に障がいのある脳性麻痺や、言葉として伝えることが困難な知的障がいの方々は、一方的に「なんにも考えられない人」「何を言ってもわからないだろう」「面倒くさいから関わらないでおこう」と思われがちです。言葉を発することの困難な人に対しても無視しないできちんと向き合う心のゆとりを持ってほしいと思います。  同じ感情を持った人間です。みんなと同じ地域で生きている尊い生命です。この事件を機に、私も含めて私たちの心の奥底にある差別意識を掘り起こし、考えていく一歩になればと思います。 大見出し 当事者としてどう受けとめるか 2―視覚障がいを持つ立場から 暴力的な言葉・見えない恐怖を乗り越えて 湯澤純一  私は視覚障がい者ですが、いま老々介護をしています。父が96歳で母が90歳になりました。父が8年前に病気になって、いま介護をしています。父と母は道路を隔てて自宅で暮らしています。介護しているなかで感じたことをカミングアウトしたいと思います。  母は認知症のため家事ができません。父は経済的なことはしっかりしていますが、感情のコントロールができず、意思疎通ができなくて困っています。  父や母は弁当や店屋物は食べたことがなく、私の妻が食事の世話をしています。介護保険とか福祉関係の手続きは私がしていますが、父は思い通りにならないとすぐ怒り出し、暴力的な言葉になります。「この親不孝者が。親不孝だったから“めくら”になったんじゃないか。その“めくら”が親にもの申すな」と言って、机を叩いたり、暴力的な言葉を発します。その時に、「くそっ、ここまで世話しても暴力的な言葉を出すのだから、ヒ素かシアン化合物か夾竹桃か、どの形で殺してやろうか」と思ったことがあります。何度経験したかわかりません。  1年前に相模原事件を聞いたときに、「ああ病気が言葉として発しているんだ。96まで頑張って生きているんだから、生あるものの命を絶つわけにはいかない。こちらが犯罪者になって刑務所に入ってもつらい思いをするだけだし」と考えて思いとどまりました。「一緒に暮らしていけば、近くに声を聞いたりすれば、命ある限りお互い励みにもなるし、ここで頑張っていこうじゃないか」ということで、いま暮らしています。  目が見えないということは、ほんのちょっと音がしてもビクッとするという生活です。たまに妻が旅行に行ったときなどに一人暮らしをする事があります。そんな時、いままで2度、泥棒に入られたことがあります。一時はそうしたことで恐怖感から夜眠れない時期がありました。しかし、こうやって自分の家で生活していけるのであれば、いいこともあるし、悪いこともあるんだからと思っています。  将来は相模原のような施設に入らねばなりません。見えないことには非常に恐怖感がありますが、そういうことを乗り越えながら夫婦で暮らして生きたいと思っています。  相模原事件は、私の生活のなかで一撃を受けた事件です。つらい思いを経験しながらも、頑張って生きていきたいと思います。直接相模原事件と関係ない話をさせていただきましたが、私のような生活もあるんだということを皆さんに認識していただきたくて話させていただきました。 大見出し 当事者としてどう受けとめるか 3―入所者の立場から 重度障がい者を世の光に 大林正孝(メッセージ代読)  私が入院している国立病院機構西別府病院は、筋ジス病棟を始めとして7病棟、すべて障害者総合支援法の「療養介護」病棟(施設)で、重度障がい者、約350人が療養介護を受けながら生活している。  昨年、事件の報道が加熱する中、障がい者に向けられた凄惨な殺傷事件に、私は大きな衝撃と孤独感で落ち込んでしまった。見かねた看護師さんが「落ち込まないで!ここは大丈夫!患者の命はなによりも先に守ります!」と声をかけてくれたお陰で、その後は事件を冷静に受け止められるようになった。  西別府病院を含め全国の障害者施設の現場で支援に当たる職員の皆さんは、今回の事件に相当に心を痛め悲しんでおり、夜勤が怖いとの報告もある。また、恒常的な人材不足の下で気持ちを奮い立たせて日々の支援に向き合っている。  私たちはどんなに障がいが重くても夢に向かって命を輝かしている。自分の持てる能力や知識で力強く生きている。かけがえのない尊厳や能力が認められた時に輝くことができるからだ。多くの方々が入所者に会って、精一杯生きて、遊んで、学んで、働いていることを知っていだきたい。  私は6年8ヶ月、療養介護病棟にいるが、生きている価値がないという考えがご家族や障がい者自身の中にも生まれることがある。今一番心配なのは、「自分はいらないものだ」と思っている障がい者もいるという事実だ。「自分は隠されていた子だ。親から疎まれている、施設に入れられて、はい、おしまいって感じ」という話も聞く。そんな考えや思想が今回の恐ろしい事件に繋がったと思われる。  精神保健福祉改正法案は相模原事件を精神障がい者の問題に矮小化しているとの批判の声が上がっている。ナチスの様な恐ろしい優生思想に賛同する人が増えない様に、そんな優生思想は間違いだということを伝え、政治家・政府からなくすことが急務だと思っている。 第3面・第4面 大見出し  パネルディスカッション 「相模原事件を考える」 報告 平野亙 パネリスト 阿部哲三 寄村仁子 宮西君代 徳田靖之 コーディネーター 平野亙 本文  「相模原事件」から1年、あのような事件を二度と繰り返さないことはもちろん、事件の背景に見えてきた社会の歪みや課題をしっかり検証し、社会を変えていく必要があると考えて、まずはとにかく語りあうことから始めようということになりました。ですから、テーマを設定せず、結論も急がないということだけ決めて、パネラーの考えていること、思っていることを自由に話すことにしました。  初めに、夢ひこうせん理事長・施設長の阿部哲三さんが、支援者の立場から、事件の後の利用者家族の反応や思いを中心に、障がい福祉の場でも生産性と効率が要求され、重度の方の存在とその人権、そして働く職員の人権もないがしろにされる心寒い現状についてお話しされました。  次に、「歩みの会」の寄村仁子さんが、障がいのある子どもや家族に寄り添い、地域でともに生きるための場を確保するために40年以上続けてこられた活動を振り返って、一緒に生きること、つながりを広げることの大切さと、その実現の難しさを語られました。  徳田靖之さんは、優生思想に血塗られた現代社会の歴史を話し、「生きるに値する命」と「生きるに値しない命」を選別する考え方そのものの危険性と根深さを語りました。そのうえで、社会にとっての有用性で人の価値を測る考え方と、人の幸不幸を第三者が勝手に斟酌する対人観の二つが、「生きるに値しない命」を奪うことを許容する考え方を支えていると指摘し、「生きること自体」、「命があること自体」に意味があると考えないといけないのではないかと問いかけました。  先に「当事者としてどう受けとめるか」という意見表明を行ってくれた宮西君代さんは、3人の話を踏まえて、福祉業界で支援者になる人が減っている現状と、7歳で家族から離され遠くの養護学校で過ごしたために、家族や地域との関係性を築くことができなかったというご自身の経験を語ってくれました。  ここで会場から、吉田春美さんの(代理の方の)手が上がりました。最重度障がい者なので、人工呼吸器を使うためにコンセントを貸してほしいと申し出たら断られ、命にかかわると言ったら、「特別に」と許可されたそうで、こんなことは日常茶飯事なのだけど負けない、との発言に拍手が起きました。  締めくくりの前に、基調報告を行った廣野俊輔さんに会場からのコメントを求めました。特定の人だけが「自分には生きる価値がある」とか「自分の人生が幸福である」ことを証明しないといけないのはおかしい。なぜそれが(障がい者など)特定の人だけが問われなければならないのか、という発言が、深く心に刺さりました。   最後は徳田さんに締めくくっていただきました。殺す側の論理のような形で、私たちの社会の課題が見えてきた。その思想を乗り越えて命の選別を許さない社会をつくっていくという決意を表明し、これからも続けて考えていこうと呼びかけて、会を閉じました。 第5面 大見出し  シンポジウム参加者の感想 多くの参加者から感想をいただきました。その一部を紹介します。 小見出し 親として受けた衝撃  重度の障がいを持つ子どもと暮らしています。「障がいのある人もない人も…」条例ができて、これから夢や希望を持てるのではないか、来年にはグループホームに入って、親離れ子離れを!と思っていた矢先の出来事で、言葉に出ないほどの衝撃。心折れる思いです。息子との日々はとても充実し、私たちの心を満たしてくれるかけがえのないものなのに。 小見出し 周囲の目はこわい  障がいのある子の名前を公表する気持ちは持っています。しかし、周囲の目はこわいです。情報共有シートの必要性(支援や災害時のために)と同時に、情報が拡散してしまうことの恐ろしさも、この事件の後のツイッターの内容とか目にすると、実感する毎日です。 小見出し 自分の心にも  湯澤さんが正直にカミングアウトした姿勢に感動。宮西さんの壮絶な体験、熱弁ぶりも感動。徳田弁護士の命の選別の流れが戦後社会でも見え隠れしている現実。自分の中に「生きるに値しない命がある」とのささやきがある時がある!!このシンポジウムは主催者の言うようにリレー式に県内でやり続けられることが望ましいと思う。 小見出し 支援者として  私も普段は支援するという立場から、犯人が元職員だったことに対してすごくショックを感じました。でも冷静に事件のことを考え直す中で、この犯人も日々の支援をする中で疑問を感じ、疲弊し、この優生思想の考えにおちいってしまったのではないかと思いました。それは私たちにもあてはまる事でありうるという事も改めて考えさせられました。人として豊かでありうるためには何が必要か問われているように思います。 小見出し 世の中の仕組み、流れ  心がねじれた一人の人間が勝手にやった事件だと思いたいが、きっと命の価値や人権を軽く見ている世の中の仕組み、流れがもたらしたものだと思いました。その巣は政治、教育、報道、ネットを通してだんだん広がって、ますます障害者が行きづらさを持つのではないかと思います。 小見出し 教育のあり方  長い間、福祉の仕事に関わっていて、自分の周囲を見てみると、障がいのある子どもは支援学校(養護学校)に行かせ、専門的な資格を持った教員が教えるから、その子どもたち一人一人に合った教育を受けられるという教育界の差別意識が主流になっています。だから地域の中にふつうに障がいのある子の存在がなくなり、ふつうの子どもが「そんな子はいない」と思う生活が続いている。人として生まれてきた命の大切さを感じることもなくなり、平気でいじめを繰り返し、人生の反省をしない!!人として一人ひとりを大切にできる社会づくりを地道に続けていかなければいけないですね。 小見出し 「愛と正義」の落とし穴   いろいろな視点・論点からのお話があり、自分の心をどこに置けばいいのか、もっと聞きたかった。「愛と正義」−この、この上なく強力な言葉。落とし穴があるとは…。支援学校で重度の子の居場所がなくなってきているということは、実感していました。 小見出し 「いのち」は誰のもの?  基本は、「いのち」は誰のものかということ。見えない大きな存在から与えるいのちに対して、本人も含めて命を奪うことはできないと考える。津久井やまゆり園は見学に行ったことがあるが、在籍困難になった障害者の行き場としての位置づけ。でもいつも問われているのは入所者の存在。自分が支援している入所者たちから支援者が何を感じ、自分の役割として一緒に生きていくことができるだろうか。 第6面 大見出し 「だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会」第6回総会の報告 条例施行から1年余-成果も課題も明らかに 本文  「だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会」の第6回総会は6月17日に大分市の大分コンパルホールで開かれました。県内各地から約80人が参加して地域の取り組みを報告し、「安心して暮らせる大分県づくり」に向けて意見交換を行うとともに、条例を絵に描いた餅にしないために市町村条例の制定に向けて動きを加速していくことなどを確認しました。  湯澤純一共同代表は、「条例施行から約1年、県条例を絵に描いた餅にしないために取り組んできた。皆さんや県の障害福祉課を含めさらに頑張っていきたい」とあいさつ。事務局から、昨年7月に行った「条例お知らせパレード」や「親なきあとを考えるシンポジウム」などつくる会がこの1年に取り組んだことを報告しました。  続いて各地の取り組みについて、佐伯市の福祉フォーラム、別府市の要援護者防災と「親なきあと」の取り組みが報告されました。佐伯の福祉フォーラム実行委員会からは吉田真知子実行委員長や岩崎恵さん、ビデオの制作を担当した坪根さんが参加し「佐伯市条例を作ろうということになったときに『そもそも県条例って何?』というところから知るために、駅やコンビニなどに出かけて行って撮った」というビデオを上映し、「もっと普通に暮らしたいので佐伯を暮らしやすい町にしたい」と話しました。  防災については別府市防災危機管理課の村野淳子さんが、今年1月に行われた障がいのある人を含む避難訓練の様子をビデオで紹介、障がいのある人と地域の人と行政が一緒になった取り組みが進んでいること、さらに「個別避難計画」の作成などの取り組みを進めることが不可欠であることを伝えました。  親なきあとについては県立看護科学大学の平野亙さんが、別府市の親なきあと検討委員会がまとめた内容とその後の取り組みについて、「別府市は本気でやっており、短期目標は具体化しつつある。『条例をつくるとこういうことができる』という勇気をもらった」と報告しました。  これらの報告を受けて、徳田靖之共同代表をコーディネーターに参加者全体で意見交換が行われました。参加者からは、「条例ができて学校の対応が変わった」と評価する声や、「権利擁護推進センターがすぐにできたのはありがたいと思ったが、現場が伝えたいことが県に届いているだろうか」という声、「来年65歳になるので介護保険への移行が心配」という不安などが出されました。また「地域で条例制定に取り組む」など積極的な声も出され、「条例を絵に描いた餅にしない」ために、次々に動きを加速しながら、それぞれの地域の取り組みを強めていくことをみんなの拍手で確認しました。 第7面 大見出し 「投票を断念」の声−『センター』に相談 誰もが投票できるよう話し合いを継続中 阿部哲三(夢ひこうせん) 小見出し  「意思確認ができません」と言われ… 2月19日の大分市議会議員選挙の翌日、利用者のご家族との連絡ノートに書かれていたつぶやきが始まりでした。 「土曜日に息子を連れて期日前投票に行ったら、市の職員さんに『代理投票での意思確認ができない』と言われて投票を断念した。前回の参院選の時は同じ会場で期日前投票ができたのに、何故今回できなかったのか解らない。選挙のハガキが郵送されてきた時点で投票はできるものだと思っていた。18歳になり選挙に行くのが義務だと頑張って連れて行ったのに、残念です。」と。 小見出し 『差別解消・権利擁護センター』に相談 このノートを見て私は直ぐに大分県総合福祉会館の中にある『大分県障がい者差別解消・権利擁護センター』に「これは、障がいを理由にした差別に当たるのではないか。他にも同じような相談が来てるのではないか」と尋ねました。返事は「他からの相談は無い。この事例については上に相談する」とのことでした。 後日、センターから回答があり、「選管としては期日前投票は、なりすまし投票の危険が大きいので、本人確認作業が厳しくなってしまう」とのことだ、と。しかし、この問題は参政権の問題でもあり、「仕方なかった」で済まされる問題ではありません。私はこの件を、「だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会」に報告しました。 小見出し 「合理的配慮に欠けるのでは?」 「つくる会」ではこの問題を「合理的配慮に欠けた対応だったのではないか」と問題視し、7月12日、大分市選挙管理委員会に対して4項目の質問を提出しました。その後、何度かやり取りを行って今後の対応について話し合いをしているところです。 小見出し 「差別ではない」と分類 今回の選管の対応には今後改善していく点がいくつもありますが、もう一つ問題だと感じたことがあります。それは、今回のこの案件を相談に行った『大分県障がい者差別解消・権利擁護センター』のこの件に対する認識です。 『センター』が昨年度一年間に受けた相談を月毎、内容ごとに集計したものが提出されました。その内容は、「不当な差別的扱い」「合理的配慮」「その他」に分類されています。私が相談した内容については、「不当な差別的扱い」でも「合理的配慮」の問題でもなく、「その他」の「制度」の問題として分類されていたことです。県の機関ですらこういう認識でいるのが現状なのです。 小見出し 『センター』と一緒に経験積みたい 私は、どんな小さなことでも「これは障害者の権利擁護の観点から見ておかしいのではないか」と思った事例を、公的な窓口である『センター』にどんどん報告、相談して、一緒に解決していく経験を積んでいく必要があると強く感じています。 小見出し 取り組みの成果−事務局からの報告 ・大分市の選挙管理委員会は今回の選挙から入場整理券に「ご自分で投票用紙に記載できない人は、係員が代筆する代理投票ができますのでお申し出下さい」という案内を記載しました。 ・また、別府市の視覚障がいの方の要望で、投票所入場券に今回から「代理投票及び点字投票 心身の故障等のため自ら候補者名や政党名を書くことができない方や目の不自由な方は、係員が代筆したり、点字(点字器を準備しております)によって投票することができます。係員にお申し出ください」という文章が入りました。 第8面 大見出し 言わせちょくれR 再び「相模原事件」を考える 別府市 徳田靖之 本文  去る七月二九日に開かれた「相模原事件を考える」シンポジウムには、私の予想をはるかに超える多数の方々が県内外の各地から参加されました。改めてこの事件がもたらした衝撃の大きさを実感したことでした。  当日にもお話したのですが、この事件を考えるにあたって大切なことは「いのちの選別」を許してはならないということです。「いのち」は、それ自体として尊重されるべきであり、「いのち」には意味のある「いのち」と意味のない「いのち」などないのだということです。 この「いのちの選別」という考え方は、私たちの社会に実に根深く浸透しています。  こうした考え方の起源となったのは、ナチスが最大限に利用したことで知られる優生思想ですが、このような選別の理由付には、二つの流れがあります。  一つは、世の中に役に立つかどうかというものさしで、「いのち」の価値を図ろうとする考え方です。  世の中の役に立たない「いのち」、周囲や社会に迷惑をかけるだけの「いのち」に何の意味があるのかという考え方です。  こうした考え方が、どれほど多くの障がいのある人たちの生命を奪ってきたことか。これはナチスだけでなく、例えば、私たちが「だれもが安心して暮らせる大分県づくり条例」に取組み始めた時に実施したアンケート調査でも、精神障がいのある方から「お前のような世の中に役に立たない奴は死ねと父親から言われたことがずっとトラウマになって今日まで生きてきた」という声が寄せられました。  私たちが進めている条例づくりの運動は、まさしく、こうした「いのちの選別」を絶対許さないというものでなければなりません。  「いのちの選別」を正当化するもう一つの流れは、「選別」することが、その人のためだ、あまりに可哀想だからとして「いのち」を奪うというものです。  このような考え方が正当化された事例として、歴史的には、サリドマイド事件の被害児を母親が殺害した事件やハンセン病患者の子を強制的に中絶した事件がありますし、最近に至るまで繰りかえされている、重度の障がいのある子を殺してしまうという事件において、母親たちがそうした行為に及ぶ決定的な動機の一つともなっています。  私はこの「その人のためだ」とか、生きていくことは、大変な苦難を背負うことになるから「可哀想だ」といった考え方に、私たちが断固として立ち向かう必要があると強く感じています。  何人にも、その人の人生が、意味があるかないかを決める権限はありません。 「いのち」即ち生きるということ自体を絶対的に、無条件に肯定することなくして、誰もが安心して暮らせる社会をつくることはできないと思うからです。  「青い芝の会」の横田さんたちが提起した「母よ殺すな!」のメッセージを、今こそしっかりと受けとめるべきだと今更ながら感じています。 以上