だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会ニュースレター「わたしもあなたも」 2018年5月15日発行 第20号(A4版 8ページ) だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会 【連絡先】在宅障害者支援ネットワーク 大分市都町2丁目7−4 303号 TEL・FAX 097−513−2313 メール info@daremoga-oita.net ホームページ http://www.daremoga-oita.net 第1面 大見出し「JR駅無人化は合理的配慮に逆行」 小見出し 抗議集会→JR九州に要請→「反対署名」へ 本文JR九州は昨年秋、大分市内の10駅にスマートサポートステーション(以下S.S.S)を導入して8駅を無人化することを明らかにしました。これに対して多くの不安や反対の声が出され、12月2日から大分市内で10回開かれた説明会では、地域の人々や障がいがある人、PTA、福祉関係者等から「バリアフリー化が進んでいないのに無人化したら乗れなくなる」「駅の安全が確保されない」「高齢者はわかりにくい」など多くの反対の声が出されました。しかしJR九州の青柳俊彦社長は記者会見で「(導入の)方針に変わりはない」という姿勢を示し、1月26日には「3月17日実施」を明らかにしたと報道されました。  私たちは、「8駅無人化は合理的配慮や差別の解消を求める大分県条例に逆行しており、地域住民や障がい者の反対の声を無視して強行することは許されない」と考え、『JR駅の無人化に抗議する集会』を2月12日に大分コンパルホール多目的ホールで開催しました。障がいのある人や地域の人たち約200人が参加。「駅の無人化は障がいのある人のJR利用を著しく困難にする」「事前予約制は障がい者に不利益な条件を押しつける」「10の無人駅を一人でカメラ監視できるのか」などの問題点を指摘し、「無人化と減便に反対」するという決議を行いました。  このような動き受けてJR九州は、7駅について無人化の延期を発表。牧駅のみ予定通り実施し、2駅は秋、5駅は今年度は行わないという方針を発表しました。これに対してつくる会は2月20日、あくまで白紙撤回するよう求めてJR九州大分支社に対して要請を行いましたが、JRは3月17日に牧駅の無人化と減便を断行しました。  駅の無人化を進めるJRの姿勢は強く、このままでは、無人化の動きは大分県内のみならず九州全域にまで広がり兼ねません。このため、「反対署名」の取り組みを開始することになりました。 中見出し 県議会「障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる県づくり特別委員会」の報告 本文 3月28日に県議会の障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる県づくり特別委員会が開かれ、だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会の徳田靖之共同代表と平野亙共同代表が参考人として意見を述べました。徳田共同代表は「普及状況については期待通りには進んでいない」として、課題として(1)「親なきあと」の問題を解決するために特化した組織をつくること(2)相談窓口の拡充と質的強化(3)県条例を活かしてより具体化するために市町村条例をつくること−を指摘しました。平野共同代表は、啓発と問題解決の仕組みについて意見を述べ、調査結果をもとに企業や医療機関で「合理的配慮の意味や具体的な方法が理解されていない」という課題を紹介して、啓発・研修の必要性を指摘しました。問題解決については、相談員が判断まで行う現状を指摘し「事例を検討する組織」が必要と述べました。委員(県議)も全員が発言し「親なきあと」等の具体的な問題についても充実した意見交換が行われました。 第2面〜第5面 大見出し  第2回相模原事件を考えるシンポジウム 中見出し “命の線引き”を許さない 本文 1月28日、大分県総合社会福祉会館4階大ホールで第2回相模原事件を考えるシンポジウムを開催しました。県内各地から障がいのある人や家族、福祉関係者など約80人が参加。当事者、家族、施設職員、教師、学生など様々な立場から自らの思いを語り、会場の意見も交えて、事件がなぜ起きたのか、再び繰り返さないためにどうすればいいのか等について話し合いました。  述べられた率直な思いに対して、参加者からは「涙が出た」など多くの共感や、「いろいろな立場の意見がたくさん聞けてよかった」「考えさせられた」と受けとめる声、「支援してくれる人がたくさんいることに力づけられた」という家族の声など多くの意見が寄せられました。「続けてもらいたい」という声も多く寄せられています。 中見出し 様々な立場の人によるリレートーク みんなで話そう コーディネーター 徳田靖之 小見出し 命を選別する犯行 本文 昨年7月の1回目のシンポジウムでは、あまりにも深くて大きな問題であることから、あわてて結論を出すのではなく、いろんな人にもっともっと意見を出してもらおうということを確認し合った。今日は、当事者、家族、支援をしている立場の人などいろんな方々に話していただこうと思っている。この事件はいろんな問題を孕んでいる。何よりも「命の選別」という問題。「生きるに値する命」と「生きるに値しない命」、むしろ「迷惑をかけるだけの命」として命を選別するという形で犯行が行われた。事件後もネットの世界などで「よくやった」とか、「これで親御さんは助かったんだ」というような声が流されている。まずこの問題をどう考えるのか。 小見出し たくさんの問題を考え語りたい 本文 さらに、あの施設で暮らしていた160人の方々一人ひとり、あるいは命を落とされた29人の方の立場で考えてみると、ああした形で命を奪われながらなおかつ匿名で氏名も明らかにされないという問題、障がいがあるということで施設に長く長く入所させられてきたという問題、その施設のなかで働いておられる方たちの職場環境、働いているもの同士の関わりの問題、そして犯人とされた彼の措置入院等における対応はどうだったのか、精神障がいがある方たちに対する医療をはじめとする現在の体制はどうなのか、たくさんの問題がこの事件から明らかになってくるのではないかと思う。大切なことは、こうした事件が一つ一つ起こるたびに、私たちがそこからどういう問題をくみ取って、私たちが本当に暮らしやすい世の中にしていくために何をしていくことが必要なのかを絶えず考え、語りあっていくことを続けることではないか。 小見出し 社会の側としてどう受けとめるのか 本文 優生保護法という法律によって「知的障がいがある」「精神障がいがある」という理由で不妊手術を施されたたくさんの方がいることが報道された。これも相模原事件と同じ考え方にもとづいてやられたことだ。1月末、仙台地方裁判所に60代の女性が「知的障がいを理由にして子どもを産めない手術を受けさせられた」ということで、国を相手に裁判を起こすことになった。こうした裁判を通して、私たちは障がいがあるという生きにくさの問題と、それを私たち社会の側がどう受けとめて一緒に暮らしていく社会をつくっていくのかということの大切さをみんなで考えていく、そういう流れをこうした地方から起こしていかないといけないのではないかと思う。 大見出し 様々な立場からの発言   (事務局の責任で要約して一部を掲載しました) 中見出し「障がい者」と支援者の立場から 小見出し 小さな頃から障がい当事者とふれあって 河野龍児さん 本文 重い事件で悩んだ。事件後、犯人に共感する声もあり差別事件も起きている。誰かが事件を止めることはできなかったのだろうか。  私は相談支援専門員として重度障がいの方を支援しているが、お金の価値ではかれない喜びを感じている。言葉で意思表示できない人も楽しいときは笑顔が見られるし、家族に会うとうれしい顔になる。困りごとなど壁があるが、支援を受けて乗り越えると喜びを共有できる。  大分県や別府市では、障がい者への差別をなくし誰もが安心して地域で暮らせるように条例がつくられた。別府市では学校や幼稚園を障がい者が訪問して授業をしている。小さな頃から障がい当事者と自然にふれあって理解を進めることで、このような事件が2度 中見出し 家族の立場から 小見出し 必要のない人はいない 永松温子さん 本文 息子には重度の障がいがある。相模原事件は衝撃的だった。別府市の条例や大分県条例が施行されて、希望を見いだして歩き始めていたところだったので、心が折れるような思いだった。重度の障がい者そしてその母親である私が生きる意味があるのか、振り払っても振り払ってもまとわりつくような感覚に陥った。  どんなに障がいが重くても、一人ひとり感性も感情もある。一人ひとりそれぞれの人生がある。障がいでひとくくりにしないで欲しい。名前で呼んで欲しいと思う。  だけど社会はまだまだ受け入れてくれていない。社会は私たちを排除しようと動いている。それはもっと大きな動きになるかも知れない。しかし、周りには理解してくれる人たちがいる。人は人のなかで生きる。人に力をもらい、人に力を与える。だから必要のない人はいない。 中見出し「障がい者」の立場から 小見出し 希望は子供たちの素直な目とやさしい気持ち 吉田春美さん(音声伝達装置を使用して発言) 本文 訪問介護、訪問看護、訪問入浴などを使用して楽しい在宅生活を続けている。20年前から毎朝、人工呼吸器の呼吸回数を確認することが1日の始まりで、生きている喜びを感じる。そんな朝のニュースで相模原事件を知った。植松容疑者は精神障がい者ではない。障がい者のわずかな口の動きなどから意思を感じ取ることに疲れ、「障がい者は不要な存在。殺してもよい」と考えるようになったと思う。もし僕が入所していたら、人工呼吸器は延命措置だとして呼吸器の回路を切り裂かれていたかも知れない。人が人の命を奪うことは絶対に許されない。僕にできるのは、命の大切さと生きていく喜びを多くの人に伝えていくこと。外出してすれ違う人と挨拶を交わし、小中学校を訪問して生きていることの喜びや大切さを伝える授業をしている。子供たちの素直な目とやさしい気持ちに希望の光が見える。いつまでも人にやさしい命を大切にする気持ちを持ち続けてほしい。 中見出し 施設職員の立場から 小見出し 社会は障がい者をまだ十分に受け入れていない 荒木崇宏さん 本文 事件があって、施設としては外から入ってくる人をどう防ぐかを考え、事件や虐待等について研修会を開いた。行政の指導も、犯罪者をつくらないためというより、入ってきたときにどう対応するかが重要視されていると感じる。犯罪が起きないためには、普段から何を思って福祉職員をやっているかが大切だと思う。福祉の仕事は自分自身がいかに喜ばれるかというのが楽しく面白い部分だと思うが、現実には切羽詰まっている職員は多くいる。効率化されている部分があり、利用者の安全のためにその人の行動を制限せざるを得ない。本人、家族、職員が一緒に話し合うことが必要になる。障がい者の家族の立場としては、社会は障がい者をまだ十分受け入れていないと感じる。支援学校を出ても周りが本人に合わせてくれるわけではなく、社会のペースに合わせないといけない。小学校の子どもたちは偏見を持たず、車いすに乗ったりして交流してくれる。この子たちが成長していけば障がいに対する偏見は減っていくのではないかと感じる。 中見出し「障がい者」の立場から 豆塚エリさん 本文 16歳で車いすの生活になった。それまで進学校で難関大学をめざしてずっと人と比べられていた。劣等感にさいなまれ、勉強のできない子より自分の方が価値のある子だと思い自分を慰めていた。そんなときに障がい者になり「人生終わってしまった」と感じた。ベッドの上で「ライバルたちは勉強して自分より先を走って行っている。私は、歯磨きや排泄を自分でできるように一からリハビリするしかない。自分が無価値な人間に成り下がってしまったと絶望していた。いい大学に行き、いい就職先を見つけ、立派に一人で生きていかなくちゃいけないと思っていたのに、「誰かに助けてもらわないと生きていけない、情けない人間になってしまった」と思っていた。しかし少しずつ、自分のペースでリハビリを積む日々、できないことは人に助けてもらい、ありがとうの言葉を口にする日々がそんなに悪くないなと思えるようになっている自分に気がついた。むしろ居心地よく感じた。そしてこんな自分でも、誰かの支えになり、感謝されることもあるのだということを知った。  私は今、ヘルパーさんにお世話になりながら、好きな詩や小説を書いたり、パソコンを使ってデザインの仕事をしたりして、ささやかながら幸せな日々を送っている。それをわからせてくれたのがこの福祉の世界だった。「障がい者はじゃまもの。消えて下さい」という投書を送った彼はそんな世界を知らないと思う。日々の競争に苦しみ、誰かを下に見なければ自分の生の価値を見いだせないのかも知れない。人の命に対して価値という言葉を使う、そのこと自体が意味がないことなのに。  すべての人は歳を取り、いずれは体が動かなくなり、誰かの手を借りなければ生きていけなくなる。手を貸してくれる人に敬意と感謝の気持ちを持たなければ、その関係性は成り立たない。福祉がビジネス化していくなか、そこには競争が生まれた。なるべく少ないコストで、なるべく大きな利益を出すために、人と人が生きていくために必要なものが犠牲になっている。福祉の世界だけではなく、経済的格差が拡大していくなかで、この国全体で自己責任という言葉が横行し強者が弱者から奪い、弱者がさらに弱いものをたたく構図が強まっているように思う。  ナチスドイツでは世界恐慌に陥ったとき、国民の不満を弱者にぶつけるようにした。まず第一に、国家の役に立たないという理由で「T4作戦」と称して障がい者が殺され、次に同性愛者、そしてホロコーストによってユダヤ人、外国人、ジプシー、働けない人、国のいうことを聞かない人、はては老人、子ども、女性まで殺されていくようになった。  障がい者と健常者が分断されてはいけないと思う。私たちは手を取り合って、支え合って生きていかなくてはならない。国に分断 中見出し 施設職員の立場から 小見出し 人手不足のなかで「楽しい時間」を重視 三浦由美子さん 本文 障がいが重い方のための施設で、事件の後は利用者60名を3交代の3人夜勤で対応しているが、職員は皆こわいと言っている。利用者と言葉でのコミュニケーションがとれず、反応も少なく、業務に追われ、日常ケアのなかでは利用者のことをよく知らず、気づかないことがたくさんある。重症の方の生活は変化がとても少ない。しかし、行事やレクレーション、個別支援等々、1対1の密な関わりのなかでは目を輝かせ、表情の変化、笑顔や発声、自発的な動き等をされることを発見して、職員も笑顔で目を輝かせる。毎週水曜日のカフェでは、利用者と一緒にコーヒーを飲むほんの数分の時間の共有が、職員もほっとして笑顔になり、利用者へやさしい声かけが増えている。日中活動を充実させれば現場は人手不足になるが、利用者と職員の楽しい時間の共有が大切だということを事件後は特に強く感じている。職員の確保が難しいこと、運営や講習について行政にはもっと考えてほしいと思う。利用者が楽しめ、よい表情ができるような支援を多く行い、家族に伝えながら、安心して預けられるという信頼を得られるような関係づくりをしていきたい。 中見出し 会場からの発言 ●私は精神障がいの2級だが、容疑者は精神障がいではなく、社会適応に失敗して合理的配慮が必要な人だったのではないだろうか。効率化ばかり求める社会への批判は必要だと思う。障がい者が働きやすい社会は、障がい者の感性が生かされる社会だ。それが一番合理的な社会だと思う。 ●健常者と障がい者を分けることはできない。眼鏡を外せば視覚障がいになり、こだわりが強すぎれば依存症になる。そう考えると障がい者のことも自分のこととして考えられる。障がいのある子どもを分けず、一緒に教育することで理解できるようになる。思いやりやいたわりを持って、一緒に生活していこうということになると思う。 中見出し 家族の立場から 小見出し 子供を人に託すことはできない 安部綾子さん 本文 インフルエンザからてんかんを発症した息子と30年間過ごしてきた。私立学校から普通学校に入ったときにいじめが始まったが、先生は「ふざけているだけですよ」と問題にせず、学校の更衣室に親子で通ってプリント学習をする毎日が続いた。「この子を守るのは私しかいない」という強い気持ちを持つようになった。「子どもを人に託すことはできない。何かあったらどうしよう」といつも思う。  ある母親が「優生思想やお金のことだけを考える人は『何の生産物を生むこともできない障がい者は無駄な存在』と思うかも知れないが、自分自身が事故や病気で重い障がいを持ったときに自分のことを無用の存在と処分できるのか。弱い人たちが心穏やかに暮らせる世の中こそ、誰にとっても安心して暮らせる世の中なのに」と話した。その思いに心から共感した。 中見出し 家族の立場から 小見出し 生きる価値の証明はいらない 平野 亙さん 本文 私は、障がいのあるわが子を、ありのままに受容するのがとても難しかった。それでも、いろんな支援を受けながら、子どもの成長が見えるようになってきて、この子が安心して暮らせる社会をつくりたいと思うようになった。そしてそのために、障がいがあっても生産性が低くても、この子には生存する価値があるということを、どうにか社会に対して証明しようと考えた。  しかし、第1回シンポジウムの際に廣野さんから問いかけられた「なぜ障がいのある人だけが生きる価値を証明しなければならないのか」という言葉によって、私も同じ罠に落ちていることに気づかされた。それは娘の生きる価値、命を値踏みすることなのだと。今日、「命の問題に価値判断はいらない」という言葉を聞いて、同じことを考えている人がいることに心を強くした。 中見出し まとめの言葉 本文 発言は、この他にも教師や学生等の思いやインターネットを通した意見など、様々な立場から率直な声が出されました。コーディネーターの徳田靖之・共同代表は、「今日は、様々な立場の方から多くの問題が出され、考え続けることとつながることの大切さが確認できた。これからも考え続ける場としてこの会を続けたい。次回(第3回)はみんなで議論する場として開きたい」と話しました。 第6面 大見出し  17年目の「福祉フォーラムinけんなん」佐伯市と津久見市で  本文 「福祉フォーラムinけんなん」は17年目を迎えました。今年も、佐伯市と津久見市で多くの人が参加して開かれました。 中見出し 佐伯市−佐伯市条例の制定に向けて 本文 「佐伯会場」は1月21日(日)に佐伯市保健福祉総合センター和楽で開かれました。実行委員を含めて約130人が参加し、「佐伯市の条例づくり」への願いを出し合って、徳田弁護士や田中利明市長の講演を聞いて、市条例づくりへの一歩を踏み出しました。  障がいのある人や家族の意見発表では「佐伯の街が好きだから、障がい者や高齢者にやさしい町にしたい」「受け入れてくれる就職先が欲しい」「精神病を隠さなくていいように、条例を通して認識を深めていきたい」「障がいがある子の支援は、親だけでなく行政・地域・福祉・医療がつながり協力することが大切」など、よりやさしい地域づくりを願う声が出されました。  「条例づくりは地域づくり」をテーマに講演した徳田靖之弁護士(つくる会共同代表)は、県条例の制定を評価した上で、「方向性は定まったが、それだけでは親なきあとや災害時の対応など地域の具体的な課題に解決に結びつかない」として、より具体的な内容の市条例を制定することの必要性を指摘しました。  また、「佐伯市の福祉の現状とこれから」をテーマに講演した田中利明市長は、県議会政策検討協議会の会長として県条例づくりを進めた経験に触れ、。「市町村条例をつくるべきだという考えがある。県条例の屋上屋を重ねるものでなく、皆さん方から佐伯市としてこんな条例が欲しいという声を出していただいて、我々ももっと細かな調査をしながら皆さん方のお役に立つ実践的な条例をつくりたいと思っている」と話し、時間をかけてしっかり議論をしながらやらねばならないという考え方を示しました。  実行委員会は、このフォーラムを受けてより広い人たちに呼びかけながら条例づくりを進めることにし、6月16日(土)の13時から弥生文化会館で、千葉県条例づくりに取り組んだ野沢和弘さん(毎日新聞編集委員)を招いて「佐伯市でだれもが安心して暮らせる条例」をつくる会の結成総会を開催する予定です。 中見出し 津久見市−学生がつくったビデオ上映 本文 「津久見会場」は3月17日に津久見市で開かれました。津久見市出身の大学生らがつくったユニバーサルスポーツフェスティバル(津久見市で開催)を撮った二つのビデオの上映、その学生を指導する小島康史・日本文理大学教授が作成したダウン症の女流書家金澤翔子さんの映像の上映と、倉原さん、小島教授、川野津久見市長による「まちづくりを考えるトーク」が行われました。  学生がつくったビデオは、視覚障がい者と健常者がわいわいガヤガヤと一緒にプレーするグランドソフトボールの記録とパラリンピックに出た中西麻耶さんが子どもたちと一緒に走ったりしながら楽しい時間を過ごした記録。いずれもインタビューがたくさんあり、障がいのある人とない人の交流の楽しさを伝えました。  トークでは、川野市長が自由に意見を述べ、倉原さんが提案した「福祉映画祭」の開催についてもその場で担当課に検討するよう話すなど、障がいの理解を進めることに積極的に理解を示しました。 第7面 大見出し  おしゃれをして街に出よう!PART4 中見出し 初の「バリアフリー・ファッションパーティー」大分で 小見出し 茂木健一郎さん、乙武洋匡さんも来県 福山陽子 小見出し テーマは「オシャレをしてのデート」 本文 各分野の著名な方たちが日本文化の更なる深まりと広がりを目的に参集した、いわゆるボランティア集団である「エンジン01文化戦略会議」。これまで15回開催されていますが、16回目の今年は大分市で開催されました。  そして今回初の開催となる「バリアフリー・ファッションパーティー」というファッションショーのテーマは「オシャレをしてのデート」。乙武洋匡氏監修のもと、大分県の宝と言っても過言ではない服飾デザイナー鶴丸礼子氏作の服を着たモデル。エンジン01の男性会員には、女性の障害のあるモデル。女性会員には障害のある男性モデルがペアを組みました。ステージでは生のオーケストラの演奏をバックに、それぞれデートをするという設定です。 小見出し 茂木さんを相手に別府温泉の宣伝も 本文 この日の私の衣装は、20年前に作っていただいたロイヤルブルーのスーツ。大好きな色です。生地はフランス製ですが、デザインと縫製はジバンシィ仕様。そして私のお相手は、脳科学者の茂木健一郎さん。茂木さんは「お風呂と脳のいい話」という本を数年前にご出版なさってましたので、温泉名人の称号を持つ私はその本を持参し、サインしていただきました。そして別府温泉のコマーシャルもしてきました(別府の方もご来場下さいましたので、喜んでらっしゃいました)。 小見出し 自分に合った衣服に生き生き 本文 ステージでの障害のあるモデルさん、皆さん生き生きとしてらっしゃいました。それはご自分の体に合った衣服を着用する喜びから生じるのだと思います。障害は同じでもお一人お一人症状や程度は違います。当然服のファスナーやボタンなど、心地よい器具の使い勝手もかわってきます。製作には「鶴丸式製図法」という鶴丸氏が考案された製図法を用いますが、そうすることでどんな障害の人の体にもピッタリの服が提供されます。「オシャレをして出かけたい」という願いは、女性であれば誰もが持ちます。障害のある人が外出し使いづらさを訴えることで、社会も変わります。そして何より、オシャレをするご本人が笑顔になります。既製品では着ることに苦痛を感じていても、ご本人の体に合った服により、服を着用する際に掛かる余計な労力を省き、ご本人が持つ本来の力が発揮できるに違いありません。 小見出し おしゃれには多大なパワー 本文 オシャレには多大なパワーがあります。体の傾きや変形によって既製品が合わない障害者にとって、オシャレは縁遠いものでした。体に合わない服を着用することにより可動域の制限等で、障害が重度化することも考えられます。ご本人の体に合わせて作られた服、いわゆる鶴丸式製図法で作られた服はオーダーメイドにしてはお高い金額ではないといえども、年に何着も買うには生活に負担も生じます。そのため鶴丸氏は以前より「保険適用(障害者は「障害福祉サービス」)」を望んでいました。  この件に関しましては、またゆっくりお伝えします。 第8面 大見出し 言わせちょくれ第20回 中見出し  旧優生保護法下で何が行われたのか 別府市 徳田靖之 本文 最近、マスコミで大きく報道されている旧優生保護法下での優生手術の問題は、「だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会」にとっても、見すごすことのできない重大な問題です。 この法律は、1996年に母体保護法と名前を変え、その内容も改められたのですが、全国で約1万6,000件もの優生手術が行われたことが明らかになっています。 大分県が公表した資料によると、大分県においても昭和33年度と昭和35年度の2年間における優生手術を承認した記録が残っており、私もその一部を入手することができました。 何よりも驚いたのは、優生手術を受けた被害者の大半が女性だということです。女性の場合の避妊手術は、卵管の結紮もしくは子宮の全摘出となる訳で、負担の大きい手術となります。 こうした手術を十代の女性たちに実施していたのです。 しかも、その理由として挙げられているのは、統合失調症と知的障がいであり、精神障がいや知的障がいのある人の人間としての尊厳を踏みにじる、重大な差別行為だと言わなければなりません。 私たちは、「障がいのある人もない人も心豊かに暮らせる大分県条例」を制定した際に、「障がいのある人の性、恋愛、結婚、出産、子育ての問題」を県の責務であるとして取り上げてきましたし、相模原事件を、「いのちの選別」を許すものとして批判して集会を重ねてきました。 その私たちこそ、この問題の真相解明と被害に対する今後の対応のあり方について、先頭に立って大分県や国に対して発言をしていく必要があります。 この問題を考えるうえで極めて重要なことは、どうして今に至るまで、この問題が取り上げられることがなかったのかということです。 当時、こうした審査に関与した医師や行政の担当者はもちろん、優生保護法という法律の存在を知っていた私たち弁護士、さらにはこうした優生手術のなされていた事実を当然のごとく報道していたマスコミ等々、私はまず、こうした人たちがこの問題を見すごし、放置してきた自らの責任を顧みて、反省することをぬきにして、この問題が語られることは許されないと思うのです。 その意味で、この問題は、障がいのある当事者が中心となって追及すべきであり、私たちの会がその先頭に立つべきではないかというのが私の意見です。 以上 「私もあなたも」第20号