「だれもが安心して暮らせる大分県条例」をつくる会 ニュースレター「わたしも あなたも」 第4号 2012年1月31日発行 連絡先 住所 大分市都町2丁目7−4 303号 在宅障害者支援ネットワーク 電話・FAX 097−513−2313 メール info@daremoga-net 第1面 大見出し 書道家・池上昇さん 写真1 「僕を見て 生きる力を持てるのならば それが僕の生きる証し 昇」の書 写真2 足の指に筆をはさんで書を書く池上昇さん。まわりに3人の人。 記事 一文字、一文字に渾身の力を込める 書で、自分が何者かを表現する 歳を重ねるごとにきつくなる体・・・ でも、それを理由にはしない 自分が負けていくのを 認めることになる それは、嫌なんです!! 今年も決して、筆は置かないつもりだ プロフィル 国東市武蔵町在住。46歳。小学生のころから書道を始める。荒金大琳先生に師事。 毎日書道展、大分県美展など多数出展。大の「三国志」ファン。中国の万里の長城も踏破 第2面 お母ちゃん達の生の声を聴いてきました 徳田 靖之(県条例をつくる会代表・弁護士)  条例作りのためのアンケートが始まって間もなく、知的障がい者やその家族の声が少ないと感じました。  そのことを世話人会でお話ししたところ、別府市の共同作業所「優ゆう」の田中康子さんから、お母さん達に集まってもらうので、出かけて来て下さいと声をかけていただきました。  こうして、12月17日「優ゆう」に20名のお母さん(障がい当事者2名、お父さん1名を含む)に集まっていただいたのです。  最初に私が自己紹介を兼ねて、障がいの社会モデルの考え方や合理的配慮の欠如が差別とされる理由について説明しながら、条例作りの意義として、当事者や家族が生の声を出していただくことの大切さ等をお話し、その後で出席したお母さん達から意見を出してもらいました。  正直に申します。思わず涙ぐんでしまった程、圧倒されました。  中でも皆さんから集中的に出された声は、家族の誰一人として病気になれないという悲痛な訴えでした。県外に入院しなければならないと医師に告げられても、障がいのあるわが子を預けられる所がないために、入院すらできないという声に誰もがうなずき、私のところも、私のところもと声が続いたのです。  あるお母さんが「お母さんがこれ以上頑張らなくていいという条例を作ってほしい」と訴えると皆さんが一斉に大きな拍手でこれに応えるという状況でした。  そして、そのためには、障がいのある子を安心して預けられる場所つまり普段から交流がある人たちによる見守りが可能な仕組み、  例えば、昼間通っている共同作業所の近くにショートスティが出来るような施設が必要だということで一致しました。大切なことは、こうした仕組みが、親亡き後の生活を支える仕組み作りにつながるということでした。  私は力を込めて、条例を作る中で、必らずこのような仕組みを作りますと皆さんにお約束しました。  更に、お母さん達からは、教育の問題でも切実な声が相次ぎました。障がいについて子ども達に教えていくことが全く欠けているために、いじめや孤立が生じている状況だけでなく、学校自体が障がいのある子についての卒業後のフォローの必要性を全く理解していないために、卒業後15年間も家の中で閉じこもったまま暮らしていたという実例も報告されました。  また、共同作業所において、障害の程度に応じた配慮がなされないために、過重なノルマを課せられて本人が苦しんでいることや、賃金の公平さについての不満等の切実な訴えもありました。  「優ゆう」を後にしながら、私はこうした形で生の声をお聴きする機会を、県内各地で網の目のように開いていくことこそが、条例づくり成功の鍵を握っていると腹の底から実感しました。  私に声をかけてくださいましたら、どこにでも出かけていきますので、是非このような集まりを県内各地で企画してくださいますよう心からお願いいたします。  「優ゆう」に集まってくださったお母ちゃん達ありがとうございました。いただいた声を形にするために全力を尽くします。 第3面 あちらでも こちらでも 条例をつくる会は地域でも取組中−あなたの近くでもこんな動きが…  県北では…  県北地域班は毎週火曜日、宇佐市の事務局に10人前後が集まって「火曜会」を開いています。自らの意識を問い直しながら、声を聴くことの意味、条例をつくる意義を一歩一歩確認していく作業を積み上げていくことが目的です。  第5回世話人会では、8人のメンバーからその様子と自分自身の思いが報告されました。そのなかで、「条例には期待できないと言われたが、それはこれまで自分たちの声を聴いてもらったことがないからだとわかった」、「これまでは女である前に障がい者だという気持があった。障がい者だから結婚してはいけないと思わされてきた」、「条例づくりに参加して、自分が成長できる場、心を磨く場だとわかった」など、実感が込められた話がありました。  月に1回は事務局以外のメンバーが誰でも参加できる集まりを持っており、1月は17日に宇佐市の“ありくの里”で開かれました。この日は大分市からも宮西君代さん、幸雄さんらも参加し、約20名の集まりになりました。宮西君代さんは、自らの結婚のことなどを率直に話し、障がいがある人の結婚についてや、障がいがある人とない人の交流などについて、“アンケートでは書けない”ような内容の話し合いになりました。「直接、顔を合わせて、心を開いて話し合うことが条例づくりにおいても不可欠だ」と県北班のメンバーや宮西君代さんらは話しています。 豊肥では 福祉フォーラム2012inほうひ   日時 2月18日(土)12時45分〜15時30分   場所 竹田市総合福祉センター ホール   内容 ミニライブ《くまひげとゆかいな仲間たち》・徳田靖之弁護士講演「障がいがある人たちの人権」・シンポジウム「私たちの願い」・アトラクション   主催 実行委員会 連絡先090−1085−3659(茅野) ●県南では 第10回福祉フォーラムinけんなん(佐伯・津久見) 佐伯会場 日時 2月19日(日)12時30分〜15時30分 場所 佐伯市 弥生文化会館 内容 徳田靖之弁護士基調講演「福祉フォーラム10年から条例づくりへ」・パネルディスカッション「今、思うこと・伝えたいこと」 手話要約筆記付き・託児所あり 津久見会場 日時:3月17日(土)13時〜16時 場所:津久見市民会館 大ホール 内容:映画『海洋天堂』(字幕)上映・シンポジウム 入場料:大人1000円、学生800円※当日各200円増し 託児あり ☆『海洋天堂』:末期がんを宣告された父が、残された時間で自閉症の息子に生きる術を伝える…。 第4・5面 「本音トーク」  村谷(むらや)由美子(ゆみこ)さん(52) 母 プロフィル 神奈川県横浜市生まれ。8年前から福祉の仕事に携わり、現在は株式会社EC第二福祉事業所の所長。「互いに信頼できるスタッフに囲まれ、仕事が楽しくてたまらない」。大分市判田台で、義母と夫、次男・智さんとビーグル犬のクーチャの4人と1匹で生活している。 村谷(むらや) 智(さとる)さん(26)子  プロフィル 5歳の頃、股関節の手術のために整肢園(現・別府発達医療センター)に入所。そのまま隣接する養護学校に入学したが、小学2年生から家族のもとで地域の学校に通った。趣味はサッカー観戦や音楽鑑賞。車いすでどこへでも出かける行動派。「もっと平たんな道が増えるといいな」。 本文 「僕もお兄ちゃんと同じ学校に行きたいな」。5歳の智さんの言葉がスタートだった。「2人の子どもに同じように愛情をかけて育てたい、家族として当たり前の生活をしたい」と、地域の学校に通わせると決めた。 保育園のときは「前例がない」と言われ引き下がったが、小学校は「智を前例にしてくれ」と、夫と何度も教育委員会に足を運んだ。「障害児学級はあっても肢体不自由児学級はない」とまで言われたが、“共生共学”を訴えていた教員らの尽力もあり、編入が許された。 学校にエレベーターがないことが、智さんにとっては好都合だった。「自力で階段を上り下りすることで、機能維持のトレーニングになった。健常者にとっても、バリアのない社会なんてないでしょう? みんな不便を克服しようと工夫し、できないときは他人に助けを求める。人の心にバリアがないことが最も大切なことだと思います」 横浜の進学校を卒業し、「点数で輪切りをすることに何の疑問も持たなかった」。次男の智さんが未熟児で生まれ、障害が残ると宣告されるまで、障害児の親になることも、福祉施設に勤めることも、考えたこともなかった。「智がいるから今がある。智が生まれてきてくれなかったら、他人の気持ちに鈍感な、点数重視の教育ママになっていたと思います」。 2人の息子に平等に愛情を注ぎたいが、どうしても次男に手が掛かる。「長男もいろんな思いを抱えていたと思います。高校2年のとき、『いろんなこと言ったって、こいつは俺の弟だからな』と言ってくれ、ああ、全て昇華できたんだなと感じました。最近は私に『あいつ(智)はすげえよ。今があるのは智のおかげやけんな』と言葉を掛けてくれたんですよ」。その長男は今、ジャズベーシストとして、由美子さんの故郷・横浜を拠点に活動している。 家族の中で大切にしていることは会話。どんなことでもとことん話し合う。「手術、入院、保育園、小学校・・・。障害者の家族は、選択を迫られる機会が多い。後であの時、別の道を選択していたらと考えがちですが、私たちは話し合って決断したその先しか見ないと決めました」。12年前から夫の両親と同居。「おばあちゃんも智のおかげで会話が広がり、嬉しそう」とにっこり。 周囲の人々にも感謝している。「智が『高校受験に3回も失敗した』と落ち込んでいると『3回も受けたってことがすごいことなんだよ』と認めてくれ、『僕の周りにはいい人がたくさんいてくれる』と言うと『それは智君の笑顔がすてきだから、自然と集まってくるんだよ』と声を掛けてくれる。智の人生のターニングポイントで、支えて背中を押してくれる家族以外の大人がいる。ありがたいことです」。 「将来の夢は?」の問いに、迷わず「サッカーの監督」と答えるサッカー好き。「周りの人に助けてもらって、楽しい毎日を送っている」。屈託のない笑顔がはじける。  未熟児で生まれ、脳性マヒになった。リハビリを続けるが、足とごく軽度の知的障害が残った。兄の一言で通うと決心した普通小学校では、歩行補助具を使っての生活。ドッヂボールや鬼ごっこでは、同級生が“さとるくんルール”を考案してくれ、一緒に楽しんだ。体育祭は、教員のアイディアで騎馬戦や組体操にも参加した。「みんなが協力してくれると、驚くほど何でも出来た。小学校時代は楽しい思い出しかありません」  ところが、中学に進むといじめの標的に。嫌なことを嫌と言えない性格も災いした。「どうして自分は普通に生まれてこなかったんだろう」。家族を傷 つけたくなくて、自分の部屋で泣いた。しかし体は正直で、登校できない日もあった。しばらくして、小学校の同級生が「学年集会でいじめをやめるよう訴えたい。私たちも頑張るから、智君も勇気を出して」と提案してくれた。「そう思ってくれている人がいたことが嬉しかった。正直に口に出さないと、人に気持ちは伝わらない」。学年集会でいじめに区切りをつけた。  15の春を前に進路を模索中、2箇所の養護学校から障害の種別や申し出の時期を理由に入学をしぶられた。「絶対に養護学校には行かない」と決めたが、普通高校の受験にことごとく失敗。フリースクールで勉強する傍ら、プールの介助に利用していたサポートセンター「ふれんど・すくえあ」でパソコン習得を目指した。  最初のハードルはローマ字入力。「ふれんど・すくえあ」の千秋栄二代表の発案で、サッカーの日本代表選手のポジションとローマ字の名前、背番号の入力を繰り返し練習した。あっという間にマスターし、18歳のとき、千秋さんが開設した小規模作業所に就労した。今ではメールマガジンやブログの作成などを任され、扱いの難しい編集ソフトも自在に使いこなす。  5年前から、リハビリ担当の医師の勧めでサッカーの練習を始めた。車椅子を降り、ひざ立ちでゴールを守る。だが、自分に出来るのか半信半疑だった。2年ほど経った頃、当時大分トリニータのゴールキーパーだった西川周作選手に励まされ、「とにかく一生懸命やってみよう」と決断。フットサルの大会にも出場し、顔面にボールを受けても果敢に向かっていく。 母・由美子さんから「自分の気持ちを自分の言葉で表現することが苦手」と指摘され、自身もそれを自覚している。「近い将来、職場でフットサルチームを作り大会に出場する」という目標に向かって、勇気を出して職場の仲間に声を掛け、メンバーを増やしていくつもりだ。 インタビュー:大戸(ねぎ)佳子 第6面 「裏方さん紹介」 見出し 条例がいらない世の中になるように 筆者 県条例をつくる会 メーリングリスト管理担当 宮西幸雄さん (「居宅介護事業所・ロハスライフ亀吉LLC」の役員兼管理者)  平日は世を偲ぶ仮の姿、「居宅介護事業所・ロハスライフ亀吉LLC」の役員兼管理者としての日々を、そして、OFFの日は在宅重度障がい者の夫としてどうにかこうにかいのちきをして暮らしています。  私が事務局運営に参加していて思うことは、すでに条例が制定された他の地域とは少し違う、大分なりのちょっとした特色を加えて、「他所とは違うぞ」という風にしたいなと思って活動しています。そのためにはまだまだ、私の無い頭を絞らないといけませんね…。  だらだらと、とりとめのない事を続けては資源の無駄ですのでそろそろ、PCの電源を切ろうかと思いますが、最後にこれだけは…昨年の電話聞き取り調査のさい言われた一言を。 「早くこのような決まり事が必要とされない、本当に誰もが暮らしやすい世の中が来ればいいのですが」 写真 ギターを弾く宮西幸雄さん 紹介 2・12はインターネットで全国(全世界)生中継  「だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会」のホームページ(http://daremoga‐oita.net)では、去年のつくる会の結成総会の中継に続いて2月12日の「報告集会」のもようを生中継し、アンケートに基づいた県内の障害のある人や家族などの生の声や訴えを紹介します。   *インターネットの状況によっては映像が途切れる場合があります。その際は再度アクセスをしてください。 お知らせ 「大分県条例アンケート第1次集約報告会」  アンケートで寄せられた多くの方の貴重な声や思いを共有して、条例づくりに生かしていくために「報告会」を開催します。ぜひご参加ください。  と き 2月12日(日)13時  ところ 大分市 アイネス(県消費生活・男女共同参画プラザ) 2階大会議室            大分市東春日町1番1号        ●手話通訳・要約筆記を行います。 第7面 記事 世話人会の報告 見出し “800人の訴えの報告会”2月に開催へ 本文  県条例をつくる会の第5回世話人会が去年12月25日、大分市で約70人が参加して開かれました。これまで集まったアンケートの第1次集約分の「報告集会」を2月12日(日)に大分市のコンパルホールで開催することを決め、お互いの認識を深め共有していくことになりました。  世話人会では活動報告や意見交換などが行われ、去年は県内各地に5000枚以上のアンケート用紙が配られ回答も718人にのぼっている事や、いずれ1000人を超して千葉県や熊本県よりも多くの声が届く事が確実になるとの報告がありました。そして年が明けてもより深く声を把握するための”聴き取り”を継続していくことを再確認しました。 学習会として徳田代表や県北地域班の意見報告(いずれもこの会報で前述紹介)がありました。そして共同代表の宮西君代さんから「当事者部会設置の呼びかけ」が行われました。まだ具体的な日程は決まっていませんが、当事者で話し合う場、発信する場として設置の方向を皆で確認しました。 記事 条例づくり班の報告  条例づくり班の最初の勉強会は、2012年1月20日(金)大分市都町の徳田法律事務所で行われました。テーマは「熊本県条例のつくる会案について」でした。つくる会案とは、熊本県で実際に成立した条例ではなく、条例の実現を訴えていた「障害者差別禁止条例をつくる会」が考えた案のことです。ここに条例に込められたエッセンスが見られるのではないかということで、検討することになりました。  つくる会の案のポイントは,教育や労働など10の分野で、直接的差別、間接的差別、合理的配慮の欠如を差別として禁止している点です。直接的差別は障害を理由に利用などを拒否したり、制限したりすることです。間接的差別は、一見、平等な規則を適応しているようで、実際には障害のある人の利用を拒否したり、制限したりすることです。合理的配慮の欠如とは、障害のある人が実質的平等にサービス等を利用したり、教育を受けたりできるように、社会の側に求められる調整や配慮が欠けている状態をいいます。  直接的差別の禁止は少なくとも建前上は多くの人が否定しないでしょう(現実にはどうかという問題はもちろんあります)。一方で合理的配慮の欠如が差別だということがなかなか理解されない状況があるようです。私たちの条例づくりもこの辺りに大きな課題があるように思います。                     (報告者 廣野俊輔) 入会のご案内  だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会は皆さんのご参加とご協力によって運営される会です。ぜひご入会ください(会費・一口年500円。会員には行事案内やニュースレターをお送りします)。お問い合わせ・お申込は事務局(表紙に掲載)まで。 第8面 言わせちょくれ C 見出し 「ビックリばかり」 筆者 大分市 元記者 小川 彰 本文  昨秋、東京。小平市内の幼稚園に通う孫の運動会を楽しみに上京。ここで最初のビックリ。何と第一次南極観測隊で犬ぞり隊の隊長だった菊池徹さんは、大家(家主)さんの姉の旦那。菊池さんご夫妻がのちにカナダに永住したため、大家さんが引き継ぐ。その同じ敷地内の別棟を長男の家族がお借りしているという次第。長く菊池さんご夫妻が生活していたのだから、南極のにおいが染み込んでいるに違いない。  TBS開局六十周年記念特番「南極大陸」で犬ぞり隊長を演じたのは“キムタク”。若い頃、映画館で観た「南極物語」で同じ役を演じた高倉健の方がピタッとはまる感じもするが、“キムタク”も、今回の北海道ロケで役者として一皮むけたものと期待する。  第一次南極観測船「宗谷」が東京・晴海埠頭(ふとう)を出発したのは昭和三十一年十一月。大家さんも同埠頭で見送ったという。ドラマは、よりドラマチックに展開させるためフィクションが多く戸惑った。だが、タロ・ジロの兄弟犬が極寒でブリザードが荒れ狂う南極で一年間も生き延びた奇跡の生還は、まぎれもない事実であり、戦争で打ちのめされた日本人の心に大きな勇気と感動を与えた。  昨年二月から北海道ロケが始まり、三月十一日の東日本大震災の時は震度4だった。ドラマの中で「南極観測隊の派遣より、原子力発電所の建設に力を注ぐべきだ」とする政治家や官僚の台詞(せりふ)。さらに人と人、人と犬、犬と犬―の絆が強調される。ドラマづくりに加わったスタッフらの思いが伝わってくるようだ。  次のビックリ。昨年十一月二十九日朝刊で沖縄の琉球新報は、前沖縄防衛局長(更迭)の暴言を大きく報じた。米軍沖縄普天間飛行場に関係する極めて不適切な発言。前日夜、前沖縄防衛局長ら局幹部と、新聞・テレビなど十社ほどの懇親会で起きた。「犯す前に、これから犯しますよと言うか」に代表されよう。第二次世界大戦で国内唯一の戦場となった沖縄。老若男女を問わず、一部の米軍兵から筆舌に尽くしがたい仕打ちを受け、戦後も続く。いくら酔っていたとはいえ、とうてい許し難い。  この問題を一層、複雑化したのは懇親会がオフレコ扱いの了解があったことに起因。オフレコとは「(原則)非公開」というもので、中央でも政治部関係に多い。例えば特定の大臣クラスに密着する“番記者”にとっては日常茶飯事のことであろう。だが、問題も根強い。  唯一、翌日朝刊で報じた琉球新報は「政府幹部による人権感覚を著しく欠く発言であり、非公式の懇親会といえども許されていいはずがない」(同社編集局長談)。一方、同じ地元紙の沖縄タイムスは「記者の席が離れていたため聞こえなかった」と弁明。事実ならオフレコ扱いという気の緩(ゆる)みがあったに違いない。一日遅れで大々的に報じた。しかし一方で、各社が一斉に追っかけなかったら、琉球新報の担当記者はオフレコ破りのため、沖縄防衛局の出入り禁止、さらに記者クラブから除名処分も・・・。  今や世界が「アラブの春」に代表される“変革の嵐”の時代。ネット社会の台頭が大きな要因。こうした時代にオフレコ扱いの会合は、考え直す時期に差しかかっているのではなかろうか。中央紙に勤めていた知人が“番記者”の経験を基に「どうしても許されないと思ったら、ソッと社会部の記者に耳打ち」。オッと失礼。これもオフレコだった。  最後は優しくて、ちょっぴりかわいいビックリ。会報Bの「言わせちょくれ」でもお伝えしたが、筆者自身、ノドの手術により声を失う。今は長さ十五a、直径三aほどの円筒型人工補声器を使って何とか会話しているが、肝心な部分が相手に伝わらず歯がゆい思いも。  今年の正月、大分市内に住む長女の孫娘(一歳五カ月)が正月あいさつ?にやってきた。昼間、ソファーにもたれかかってウトウトしていると胸をポンポンとタッチされ目を覚ます。すると孫娘が片手に絵本、片手に人工補声器を持って「これを読んでくれ」と言わんばかりの顔。言葉はまだ無理だが、「こりゃもう、いろいろ分かっちょるぞ!」とビックリ。不覚にも涙が・・・。 写真 本「タロ・ジロは生きていた」の写真 「ドラマの原作本ではありません。」という写真説明 以上「わたしも あなたも」第4号テキスト版