「だれもが安心して暮らせる大分県条例」をつくる会 ニュースレター「わたしも あなたも」 第5号(全8面) 2012年3月31日発行 連絡先 住所 大分市都町2丁目7−4 303号 在宅障害者支援ネットワーク 電話・FAX 097−513−2313 メール info@daremoga-net 第1面 見出し だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会 アンケート第一次集約報告会 2012年2月12日 県消費生活・男女共同参画プラザ「アイネス」(大分市)で開催 大見出し 切実な思いあふれ“がんばらない宣言”も 本文 悩み、考え、時に泣き  昨年9月〜12月の間、県内各地から寄せられたアンケートは856人から1000事例を超えた。集約作業には約50人が携わり、アンケートに書かれた一文字一文字をどのように伝えればよいのか、白紙のアンケート用紙にはどのような想いがこめられているのか ― 。悩み、考え、時に涙を浮かべながら、「知的障がい」「身体障がい」「精神障がい」「発達障がい」「高次脳機能障がい」「重度心身障がい(重複障がい)・教育(児童)」の6つの分野にまとめ、その結果を報告した。 身につまされる事例  報告会では「レストランで他の客の迷惑になるからと断られた」「障がい者だからという理由で、会社の記念行事に出席させてもらえなかった」「ライターの火を体に近づけられた。嫌なこととして施設に申し出ても信じてもらえなかった」など数多くの事例が報告された。  会場からは「障がいがあるから、障がいのある子どもがいるから、人一倍頑張らないと生きていけない社会は嫌だ!障がいがあっても頑張りを強要されることなく生きていける社会を目指そう」と“がんばらない宣言”も飛び出した。 書かれなかった思いも形に  今年4月から「障害のあるひともない人も共に生きる熊本づくり条例」が施行される熊本県から参加した倉田哲也さんは「障害者差別をなくすことをあきらめない、大分県条例にしてください」とエール。  平野亙共同代表は「合理的配慮を欠くゆえに頑張らないと生きていけない、普通の人がしなくてもいいことをしなければ生きていけない、それも広い意味での差別。紙に書かれた思い、そして書かれなかった思いについて、どれだけ形にできるか…。頑張っていきましょう」と結んだ。 囲み記事 声をお寄せください! アンケートを引き続き、募集しています。直接、声を聞かせていただける方がいらっしゃれば、わたしたちが聴き取りに伺います。個人でもグループでもかまいません。 ご協力よろしくお願いします。 2面 見出し 報告された“アンケートのまとめ” 【知的障がい】  今回寄せられた187ケース中、約1割が本人からのものでした。施設の中で叩かれた。そのことが「とっても嫌だった」。ご本人が語った“想い”です。  アンケートの集計には保護者の方も加わってくださいました。「アンケートを読んでいて、つらくなって読むことができなくなりました。一般の人にも分かってほしいと参加しました。この条例が障がいのない人にも必要なものになれば・・・と願います」。 ●アンケートより・・・ ・病院を受診した時、Drに「躾ができていない」「じっとさせきらん親だ」と一喝されました。 ・学校区の公立幼稚園から責任を負いかねますとの理由で断られ、私立に行ってはと言われたが、数か所断られました。 ・息子をこのように産んだことをせめてしまいます。息子が当たり前に暮らせる社会になるのか…いじめられないか、独りぼっちにならないか、いろいろ心配です。でも、うれしいこともあります。今、自主通学の練習をしています。バスの運転手さんなど通学途中にお世話になるだろう方々にあいさつに行きました。パニックになったときの対処法などを尋ねてくれました。「大丈夫ですよ」と、笑顔で応えてくれた方もいました。息子を知ってほしい、知ってもらう努力をしようと思います。 【身体障がい】  347件のアンケートのうち、275件が本人による回答でした。そのほか、配偶者、父母、きょうだい、祖父母、支援者からの回答もありました。 ●アンケートより・・・ ・周りの何気ない一言で私たちの心は小さくしぼんでしまったり、肩身の狭い思いをすることがあります。心に傷を受けることが怖くて、外に出ることに消極的になってしまうことも…。 ・ぞんざいな言葉づかいをされる。 ・視力障害者に対してまともにみてくれない。 ・車いすを利用している人、視覚障がい、聴覚障がい、長年入院生活をしている人…。 ・見た目で分からない内部障がいの方などは、分かってもらえないことに対する悩みがあります。障がいの特性によってさまざまです。理解を広げるための啓発がとても大切です。 ●アンケート集約者のまとめ ・人間関係に関するものが多く、中には直接的差別を受けているケースもつづられており、耳を疑うような話もありました。公表不可という意見もかなりあり、その内容の重みについて考えさせられました。また、障がい特性によって悩みや差別の内容も異なり、特に見た目で障がいが分からないゆえの悩みというものが多々寄せられていました。 会場からの声 (知的障がいのある息子さんと参加したお母さん) 私自身、弱さを外には出しませんでしたが、かなり頑張ってきました。障がい者を抱える家族だからといって、人一倍頑張らなくても暮らしていける社会になる方法を、みんなで一緒に考えましょう! (条例をつくる会共同代表 宮西君代さん)  アンケートの中に書かれていた直接差別の事例を目にし、身につまされました。私自身、そういう体験があるのに忘れていました。このような運動に取り組む立場にある者として恥ずかしく思います。 3面 【精神障がい】  寄せられたアンケートで「公表してよいですか?」の質問に半数以上が「不可」でした。精神障がいの方たちの差別と偏見、生活のしづらさというものが垣間見えた気がします。 ●アンケートより・・・ ・対人恐怖があります。親なき後暮らしていけるのか不安です。 ・病気の弱みにつけいれられ、高額な買い物をさせられた。 ・親の育て方が問題と言われ、とても苦しんだ。 ・デイケアのスタッフが頑張れと背中をさすります。精いっぱいやっています。 ・公的施設の受付で手帳を出したら、対応がひどくて嫌な思いをした。 ・会社の行事に出席させてもらえなかった。 ・就職のとき障がいを「オープン」にするか、「クローズ」にするか悩みます。 ・この子には、私より長生きしてほしくない。他の家族に迷惑はかけられません。 ●アンケート集約者のまとめ @正しい知識と適切な対応 A早期治療に結びつけるための教育 B当事者だけではなく家族を含めた支援−の3つが地域で暮らすために大切なことだと考えます! 【発達障がい】  56件中、本人から6件。その6件すべてが公表不可でした。その文面からは孤独感を感じました。見た目で障がいが分からないことに対する社会との関わり方の難しさがあります。 ●アンケートより・・・ ・きもちわるいものをみるように避けられた。 ・どういう障がいか分かってもらえないためにつらい思いをさせられます。例えば幼稚園で問題行動があったり、家に帰ってからのことを先生に相談しても「あんたら家族の問題なのだから」と言われ、対応してもらえませんでした。 ・子どもには子どもの言い分があるはずなのに「この子には聞いても無駄だ」といっさい聞き入れてもらえなかった。 ・ラジオ体操や子ども会に参加しないといわれる。しないのではなく、できないのです。 ・身内からの差別的発言も。障がいのある子どものことは外で言わないほしい。親族に障がいがあると言いたくない。避けられることはつらいことです。 ・きょうだい児に関してですが、学校で障がいのある子と必ずペアにされる。 ・今、私のとっている行動がこどもにとって適切か悩んでいます。 ・できれば一ヶ月でも息子より長生きしたいです…残酷な切ない願いです。 ●最後に・・・  健常者と障害者(児)が別々に育つ環境で、障がいに対する知識・認識が少ないとも思えるし、それもしょうがない状況にあると思う。「特別視」はそこから生じるものである。もう少し当たり前に交流があり「普通」と思える社会だったら、皆が当たり前に手助けしてくれて、社会の中で生活しやすくなるのにと思う。 会場からの声 (男性)  対人関係に悩んで、一時は自殺を考えたこともあります。今は作業所の仲間と働き、明るい自分を取り戻すことができました。 仲間が、僕が作った肉じゃがとポテトサラダをおいしいと食べてくれたのがとてもうれしい。将来は自分が作った料理をおいしいと食べてもらえるような仕事に就きたいです。 (女性) きちんとした診断・治療がなされず、長年苦しんできました。やっとアスペルガー症候群と診断され、自分がなぜコミュニケーションが苦手なのか分かりました。この苦しかった体験を生かしてカウンセラーになりたいと考えています。       4面 【高次脳機能障がい】  寄せられた回答は17件。比較的高年齢の人が多く、男性が大多数を占めた。文面などから家族が書いたのだろうと思われる回答が多かった。 ●アンケートより・・・ ・この世から早くいなくなって死にたいという気持ちになって何回も自殺したけれど死ねなかった。 ・世間(地域・社会)から疎外され、声をかけてくれず、通知もこない。 ・病気のことを理解してもらえず「障がい者のくせに肥満体」と言われる。 ・妻が亡くなってからが心配。親が亡くなった後が心配。 ・就職できないことがつらい。 ・高次機能障がいになって26年目となり、年齢とともに今までできていたことができなくなって私自身も歳をとっていくことが不安。本人より先に体力の限界がくること、先に死ぬことがないかと日々不安です(配偶者)。 ・大分県条例がどんなものか知りません。冊子も見たことがありません。 ・旅行に行きたい。でも勇気がいります。 ●アンケート集約者より・・・ 逆の立場になってください。いつ、誰が、そういうことになるか分からないのです。 【重度心身障がい(重複障がい)・教育(児童)】 ●アンケートより・・・ ・受け入れ場所が少なく、自宅で過ごすことが多い。同世代の人と接していろいろなことを楽しんでこそ生きている証だと思う。 ・将来、親が老いたとき一緒に入所できる老人ホームがあればと思う。 ・災害など緊急時に誰が駆けつけてくれるのかも分からない。 ・校区の公立幼稚園から「責任を負いかねます」と入園を断られた。私立幼稚園にも連絡したが数園断られた(その後、行ける園がみつかった)。 ・進級や進学のことを考えるときは、上にあがっていく喜びよりも次はどうなるのだろうという気持ちのほうが正直、大きい。 ・障がい児就学前相談のとき同席した医師から「残念ですが…息子さんは残念ですが普通学級では…残念ですが…」と「残念」という言葉を繰り返した。息子は残念な子ではない。 ・障がいは悪いことではないので、きちんと理解してほしい。そして子どもたちにも正しく伝えてほしい。 ●アンケート集約者より・・・  ほとんどの方が、障がいの無理解から発生する差別をなくし、周りの声かけや支援を望んでいます。ハード面も含めて、学校教育で障がい者理解をどう進めるかということや、そのための支援体制や相談機関の充実が課題であると考えます。 5面 見出し 特別インタビュー 国連「障害者の権利に関する条約」って何?  大分県条例をつくる会の「条例づくり班」は2月23日に、大分市のコンパルホールで「第2回勉強会」を開きました。テーマは国連「障害者の権利に関する条約」と「障害者基本法」。「障害者の権利条約」は世界の障がいに対するとらえ方を変えるとても重要な条約です。  そこで当日の報告をしていただいた廣野俊輔さん(大分大学講師)にインタビューをして、わかりやすく説明していただきました。 Q1 国連「障害者の権利条約」っていったい何ですか? A1 「条約」というのは、国同士の約束のことです。「障害者の権利条約」は、世界中の国が集まっている国連で、障がいとはどんなことをいうのか、どんな取り組みが必要なのかについて話し合って、みんなで「こうしましょう」と決めたものです。内容としては、障がいは社会がつくるもの(社会モデル)という考え方が基本にあります。 Q2 どんなことを決めているのですか? A2 大切なことの一つは「“合理的配慮”をしましょう」ということです。例えば、聴覚障がいがある人が会議に出た時には手話通訳や事前に資料を届けることが必要です。また、車いすの人が自由に外出できるように、段差をなくし、使えるトイレを設置することも当然しなければならないことになります。 つまり、障がいのある人が、ない人と同じように生活できるために周囲がしなければならない配慮ということです。ただし、周囲にとって「過重な負担になる場合を除く」ことになっています。 Q3 日本はこの条約を守っているのですか? A3 「日本も守ります」という署名はしています。しかし、実行に移すための“批准(ひじゅん)”はまだしていません。それは、国内の法律がまだ整備されていないからです。今、整備を進めているところで、改正された障害者基本法は権利条約の基本になっている“社会モデル”を取り入れました。また障害者差別禁止法の制定も進められています。 Q4 日本が越えなければならないハードルは何ですか? A4 障がいのとらえ方を、世界標準である“社会モデル”にもとづいて根本からとらえ直し、そこから社会のあり方を見直すことです。合理的配慮をしないことが差別であることを社会的な常識にすることが、障がいがある人の自立した生活する権利を保障することにつながります。 Q5 大分県条例づくりの役割は何ですか? A5 国同士、あるいは国という大きい単位での約束事も大事だけれど、地域の人たちが自発的に自分たちの地域の決まりをつくることも重要です。条例をつくるためにたくさんの方の声を集めます。いろんな立場の方たちと話し合います。障がいがある人や家族の声や福祉関係者の提案が寄せられ、行政や議員さんたち、企業の人たちや医療関係者も地域の人たちの声に耳を傾けます。みんなで問題を共有して、どうすればいいかを話し合って条例をつくり上げます。 条例ができたら、その条例を活かしながら、地域で人々が力を合わせて困っている人を助ける、みんなが安心して暮らせるように協力していく、そんな地域のあり方をつくっていくことになります。条例づくりは地域づくりだと私たちは考えています。 6面 あちらでも こちらでも 条例をつくる会は地域でも取組中−あなたの近くでもこんな動きが… ●福祉フォーラムinほうひ 「地域格差が広がり、ニーズが満たせない」  2月18日、竹田市総合福祉センター大会議室で開催されました。当事者、家族、福祉関係者など約100人が参加。楽しい歌や徳田靖之・在宅障害者支援ネットワーク代表の講演「障害とは何か−だれもが安心して暮らせる大分県条例づくりに向けて」、シンポジウム「私たちの願い」が行われました。  小坂忠実行委員長があいさつ。シンポジウムでは、竹田市障害者生活支援センターの近藤相談員が「竹田地区は社会資源が少なく、ニーズを満たすことは不可能。地域格差が広がっている」と指摘、竹田支援学校の阿部進路指導主任は「親のデイや療育の希望を満たせない。就労も厳しい」、就労継続支援B型事業所の若山所長は「工賃が高い仕事の確保が課題」、井市議は「2市にまたがる施設の補助について困っている。両市と県で話ができれば。また日曜のデイの希望が非常に多い」などと地域の課題が出されました。徳田代表は、「相談する場、話し合う場が必要。学校だけでは限界がある。一生をどう生きていけばいいのかということを考えた仕組みづくりが必要」などと話しました。茅野さんは「大切なことは社会モデルの考え方で、社会が変わっていくこと。だれもが過ごしやすい環境をつくっていくことが大切だ」と話しました。(写真 フォーラム開催中の様子) ●福祉フォーラムinけんなん佐伯会場 「一人の力は弱くても、力を借りて」  2月19日に佐伯市弥生文化会館で開かれました。約150人が参加。市長と社協会長のあいさつに続いて、第1部で徳田代表が「福祉フォーラム10年から条例づくりへ」をテーマに講演。第2部は11人の当事者が登壇してパネルディスカッション「今、思うこと、伝えたいこと」。「友だちができたことがうれしい」「車の免許を取ってお母さんを乗せて芦田愛菜ちゃんのコンサートに行きたい」「生活の立て直しをしたい」「介護福祉士になりたい」など、夢や希望が多く語られました。  さつき園の松本さんが司会して、発表者の人柄を引き出してくれました。実行委員長の吉田真智子さんは、「一人の力は弱いけど、したいことは伝え、力を借りてもすることが大切だ。きっと願いは叶う」と話しました。(写真 発言した当事者と実行委員約30名で一緒に記念撮影したもの) 7面 ●福祉フォーラムinけんなん津久見会場 “親亡き後”ー地域みんなの問題に  3月17日、津久見市民会館で福祉フォーラムinけんなん津久見会場が開かれました。200人を超す方が参加。映画『海洋天堂』、そして対談と、“親亡き後”−地域にとって大切なことを考える場になりました。対談の内容は以下の通りです。 倉田哲也さんと徳田靖之弁護士の対談「出会い・ふれ合い・わかり合い」 出演者紹介 倉田哲也さん 小児マヒで運転免許を取得した、映画「もっこすく元気な愛」の主人公。     くまもと「障害者」労働センター代表 徳田靖之さん 弁護士・「だれもが安心して暮らせる大分県条例」をつくる会共同代表 対談内容 「まわりの人に迷惑をかけない」「障がいは克服しなければ」と… ●倉田さん 小さい頃から「まわりの人に迷惑をかけてはいけない」と言われて育った。「障がいは自分で克服しなければならない」という想いから抜け出せず、助けを求めることは恥だと思っていた。ところが、自動販売機にうまくお金を入れられず困っていたとき、4人目に来た人が手伝ってくれた。その時に「誰かに手伝ってもらうことが合理的だ」と思った。45年間生きてきて、“不自由さ”があるからまわりを動かすことに気づくことができた。「1人はみんなのために、みんなは1人のために」が大切だと思う。みんなに元気を与え、みんなから元気をもらっていると思う。 「こわい」「触れてはいけない」空気がある ●徳田さん 障がいのとらえ方が変わってきている。医学モデルから社会モデルに変わり、社会の側が準備しないことが障がいということになっている。 ●倉田さん 3・11大震災が起きて、高齢者・障がい者が厳しい状況に置かれた。普段から“社会モデル”が根づいていれば、だれもが安心できる社会になるのにと思う。 ●徳田さん 条例は差別をなくすことが目的だが,差別は受けたものでなければわからない。 ●倉田さん 私自身、まわりの「こわい」、「触れてはいけない」という空気を感じてきた。 差別は「社会に出て行くための合理的配慮をしないこと」 ●徳田さん 閉じ込められていると社会につながらない。出て行こうとするとバリアがある。社会に出て行くための合理的配慮をしないことが差別だ。 ●倉田さん ただ、バリアがあっても,苦しい空気があっても,出て行くことが大切だ。そんな気持ちで取り組んできた人たちの30年、40年の運動があったからこそ、今があると思う。しかし、まだ差別がある。特に精神障がいについてはまだ理解が少ない。家族全員がつらい目にあっている。 ●徳田さん 倉田さんが一番伝えたいことは? ●倉田さん 一番伝えたいことは、「出会い・ふれ合い・わかり合い」ということだ。出会いがないと知ることはできない。 もっともっと声を。そして願いを形に ●徳田さん 条例づくりは「願いを形に」という取り組みだ。夢を秘めて暮らしてきた人たちの,夢が形になるような世の中になるようにしたい。しかし、目の前に「親亡き後」という問題がある。家族だけの力でなく,社会が障がいがある人を受け入れ、一緒に暮らしていける地域にしたいと思う。もっともっと声を集めて条例づくりを進めたい。 8面 言わせちょくれ D 「大谷先輩を囲む」 大分市 元記者 小川 彰  今や、すっかり有名人になったジャーナリストの大谷昭宏さん。実は同じ大学の同じサークルの一年先輩。一月末、大分市で講演のため来県。「今晩、飲めるなら一泊するぞ」と秘書の方を介してメール。「それなら天領・日田まで足を伸ばそう」ということに。講演の後、大分で再会するのは五回目。  マイカーで日田に行き、夜は鳥づくしの料理で総勢十人。若い記者からは様々な質問・意見も飛び出したが、やはり警察への問題提起が多い。むべなるかな!  正月早々、あっけにとられたのが、オウム真理教元幹部の出頭に対する警察側の不手際。記憶に新しいので詳細は省くが、特別手配犯の元幹部が大みそかの夜遅く警視庁に出頭。氏素姓(うじすじょう)を名乗るが、玄関警備の若い機動隊員は悪質なイタズラと勝手に判断し、“門前払い”。  次。お隣り福岡県では、暴力団関係者が“あいさつ料”を求めて企業や役員を襲撃する事件が相次ぐ。これに暴力団同士の抗争などを含めると、同県では昨年一年間に十八件もの発砲事件が起き多数の死傷者を出す。しかし逮捕できたのは、わずか二件(一月末現在)のみ。福岡県は全国に先駆け、暴力団から不当な要求を突きつけられた業者サイドには、県への通報を義務づける条例をスタートさせた。だが警察がこの有様では・・・。  さらに長崎県で起きたストーカー関連の殺人事件。千葉、長崎、三重などの三県警が、被害者側の訴えを“たらい回し”。挙げ句の果てに起きた悲惨な結末。  こうした頼りない警察に対して、事件記者が長かった大谷さんは「特別手配犯は今回出頭した容疑者を含めオウム関連の三人だけだった。全ての警察官は特別手配犯に関しては原則、手配写真などの携帯を義務づけられている。お粗末極まりない。それから暴力団は未だに全国各地でのさばっており、けん銃などの銃器は野放し状態。さらにストーカー関連の殺人事件は余りに情けなく論外だ」とバッサリ。  翌日は、小野民芸村「ことといの里」へ。小鹿田(おんた)焼の郷のすぐ手前。平成四年にオープン。同二〇年に他界した著名なジャーナリスト筑紫哲也さんが名誉村長となり尽力。死後、筑紫文庫も誕生したが、残念ながら今は休眠状態。幼い頃、三年間ほどこの近くで暮らし、こよなく故郷・日田を愛した筑紫さん。関係者の方々には、筑紫文庫の有効活用を心からお願いしたい!  「ことといの里か・・・」。自由の森大学の関係者らに話を聞くと、名の由来は「言(こと)を問う」。恵まれた大自然の中で大いに語りあおうという意味合で、名付親は筑紫さんらしい。  「オヤッ、ちょっと待ってくれよ」。筆者は以前、東京下町の隅田川にかかる「言問(こととい)橋」を歩いたことがある。昭和二〇年三月十日未明、三百機もの米B29爆撃機が下町上空に侵入。わずか二時間ほどの焼い弾攻撃などで下町を中心に十万人もの命が奪われた。東京大空襲だ。言問橋上では、浅草方面から向島方面へ逃げようとする住民と、逆に向かう住民とがひしめきあい、そこへ猛火。焼死、水死、圧死。地獄絵図さながらだったに違いない。  筑紫さんが「ことといの里」の名付親だったとしたら「言問橋」こそが発想の原点にあったのでは・・・。そう思いながら次の目的地、小鹿田焼の郷に向った。 (写真 筑紫哲也さんと[若き友人への手紙」=ことといの里で 若き友人への手紙の内容は「あなたは何を考えなくてはならないのか。あなたは何をやらなくてはならないのか。あなたは何をやってはならないのか。」) 以上全8面