「だれもが安心して暮らせる大分県条例」をつくる会 ニュースレター「わたしも あなたも」 第9号(全8面) 2013年3月31日発行 連絡先 住所 大分市都町2丁目7−4 303号 在宅障害者支援ネットワーク 電話・FAX 097−513−2313 メール info@daremoga-oita.net ホームページ http://www.daremoga-oita.net 第1面 見出し 2013年3月2日、だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会 臨時総会で「条例素案」がまとまりました!(4ページから解説を掲載しています) 見出し 本音トーク−山内裕子さんと宮西君代さん 写真 山内裕子さんと宮西君代さん。山内さんの自宅で2人並んで写っている。 説明  今回の本音トークは、「だれもが安心して暮らせる大分県条例」素案の特徴の一つである「自立」と「親亡き後の問題」と真剣に向き合い、解決に向けて歩み始めた人とそれを支援する人、2人に焦点を当てます。 プロフィール 山内裕子さん 1958年中津市生まれ。脳性麻痺と頸部脊髄症による四肢体幹機能障害のため、34歳から車いすを使用。言語障がいのため、足の指でボタンを操作する意思伝達装置を利用している。父親と弟夫婦と同居していたが、今年3月から大分市内で一人暮らしを始めた。 宮西君代さん 1962年、宮崎県生まれ。就職のため別府市へ。脳性麻痺があり外出などは車いすを利用している。2010年、居宅介護事業所「ロハスライフ」を設立。大分市内で夫と暮らす。趣味はパンやお菓子作り。 第2面 本音トーク 見出し 自立した生活へ第一歩を踏み出した 山内裕子さん(54歳) 写真 自立生活を始めた大分市の自宅で車椅子に乗った山内裕子さん。楽しそうな笑顔。右足の親指の下に会話用器具の赤いボタンが見える。声をほとんど出せない山内裕子さんは、機械を使って、声と言葉を相手に伝えて会話する。 本文  わずかに動く右足の親指でボタンを押し意思伝達装置を操作、50音表から一文字ずつ選び出して文字盤に表示することで意思を伝える。一人暮らしを始めた心境を「わくわく」と表現し、微笑む。  脳性麻痺に加え、10代のころの転倒がきっかけで、頸椎を損傷。徐々に車いすを利用するようになった。別府市内の学校を卒業した後、中津市内の実家で家族と暮らしていたが、訪問するヘルパーの介護時間が短いため、時間がかかる意思伝達装置での指示を待ってもらえず、一通りの身体介護で終わることも多かった。このため、まだ眠たくないと思っていても、ヘルパーの訪問時間に合わせて、就寝せざるを得ないこともあった。  自立した生活をしたいと、障がい者を支援する事業所に相談したところ、すべての行動に指示を出す必要があると言われ、「一文字ずつ打つ装置では適切な指示ができない」と断念。次に、知人から聞いた「だれもが安心して暮らせる大分県条例をつくる会」へ実情を訴えるメールを出したことで、一人暮らし実現への一歩が動き始めた。  同会のスタッフから、居宅介護事業所「ロハスライフ」=大分市=に相談があり、代表の宮西君代さんと面談した。「駅に近いにぎやかな街中で、自分の希望する時間に寝たり起きたり、自由に外にでかけられる生活をしたい」と希望を伝えた。  まずは条件と予算に合う住宅探しから。不動産屋を通じて、駅に近い中古マンションが見つかり、これを購入。和室や壁を取り払い、バリアフリーのワンルームに改装した。これまで同居していた家族は一人暮らしを心配し反対したが、本人の思いは変わらず、何度も宮西さんとヘルパーらが訪問し、介護サービスの内容を説明して説得した。  油絵が得意で、右足に絵筆をはさみ、床に置いた紙に描いてゆく。中津市の実家に先生を招いて習うなど、20年以上も取り組む大好きな趣味だ。新しい暮らしのなかで、穏やかな気持ちで絵を描くことも夢の一つ。現在ではほぼ24時間の介護体制が整い、体調や天気に合わせて買い物に出かけたりして、自分で生活を組み立てられるようになった。  福祉サービスについては「地域格差をなくしてほしい」と考える。地域により受けられる時間や内容に大きな差があることが気がかりだ。 カット 山内裕子さんが描いた絵「サクラサク」青い空に桜が散り、その下に赤いドレスの女性が手を広げて花びらを受けとめている。 第3面 本音トーク 見出し 障がい者の自立した生活を支援する 宮西君代さん(50歳)居宅介護事業所ロハスライフ代表 写真  パンフレットを手に真剣な表情の宮西君代さん 本文   「他の介護関連の事業所で働いていましたが、これまでの障がい者の一般的な自立(自分で介助のすべてに指示が出せること)でなく、指示が出せなくても、自己選択するのにも支援を必要とする人たちの自立もあるという思いで独立を決意しました」。ロハスライフは設立以来2年半が経過、現在では正社員5人、パート6人のスタッフが、大分市内で暮らす障がい者3人の支援を行っている。  大分市内に転居した山内裕子さんのケースは一人暮らし支援の第一号になった。  大きな問題は障がい者の介助ができるヘルパーの人材不足だった。「ヘルパーを目指す人の中にも、高齢者介護のイメージが強く、障がい者のヘルパーという仕事は知られていない」と、ヘルパーを育成している講座を訪れ、自らPRしたことも。さらに、山内さんは最重度の障がいのため、生活のすべてに介助が必要となり、経験を積んだ人材が必要となった。  「障がい者の介護に慣れていないヘルパーが、いきなり最重度の方の介助を任されると、双方の不安が大きく、時には危険な事態が起こりえる、そういうことでやる気のある人が現場を離れてしまわないためにも、段階的な研修の機会を作りたい」と、経験の浅いヘルパーが、熟練したヘルパーと一緒に山内さんの介助をする時間を設定するなどの工夫も始めた。  「私は会社の代表として考えなければいけないけれど、今回の山内さんのケースは、自分の将来を重ねてしまうほど切実な問題だった。徐々に車いすを利用するようになったことや、言葉が出にくくて誤解されること、親が80代というのも同じで共感し合える部分もあって、いたたまれない気持ちだった」と振り返る。  現在も大分市内の親子から、将来の一人暮らしについて相談を受けている。「親亡き後、障がいのある子どもの生活を大変心配しておられ、準備を進めています」という。  障がい者の自立した暮らしのためには、ヘルパー不足といった問題のほか、「行政から長時間の介護が認められないケースや、障害年金や手当だけという収入が低い場合は生活が維持できないという所得保障の問題もある」と、多くの課題に直面する。「どんなに障がいが重度でも地域の中で暮らしたいと願う気持ちを大切にしたい。規模は小さくてもいから、利用者さんに長くかかわっていく事業所にしようと取り組んでいます」。 (本音トークインタビュー:坂本茶和子)  第4〜5面 見出し 「 条例素案」ってどんなもの!? ― 大切な“七つの柱” 説明図 下辺に「土台=当事者・家族ら1200人の声−アンケートや聴き取りで寄せられた当事者や家族らの声をもとに、議論を尽くしてまとめました」 その上に七つの柱「1,社会モデル 2,合理的配慮 3,自立=手助け 4,親亡き後の解決へ 5,性・恋愛・結婚… 6,障がいがない人も 7,災害に対応」   本文 @基本は「社会モデル」  障がいはこれまで、一人ひとりの問題として本人と家族が背負い込んできました。世界では今、障がいは社会の問題であり、社会が理解し受け入れる制度を作っていないために生まれる状態だという考え方に大きく変わっています。この考え方を「社会モデル」と言います。この条例はそのような考え方に立っています。社会モデルを県内隅々にまで理解をしてもらうことが、この条例に命を吹き込むことになります。 A「合理的配慮」をしないことが差別  これまで、差別は「不利益な取り扱いをすること、されること」と考えられてきました。社会モデルの考えに立つと、障がいがある人が他の人と同じ様な生活をするために必要なこと=「合理的な配慮」を社会の側がしない事をしない事が差別なのだという考えになります。これまでの法律や私たちの考えになかった「合理的配慮をしないことが差別だ」という、世界的な考え方を取り入れています。 B「自立」には手助けが必要  私たちはこれまで、「できるだけ人の手助けを借りずに生活する」ことを「自立」と考えてきました。このような考え方では、障がいの問題は理解できません。大切なことは、自分の生活や自分の人生を自分で選んでいけることです。自立とは、自分のやりたいことを自分で選んでいけることに他なりません。そのために手助けを受けることは当然の権利であり、自立することと手助けを受けることは全く矛盾しません。 C「親亡き後」の解決を重視  多くの親から「自分が亡くなった後、残された子どもがどうなるのか」という不安の声が寄せられました。「親亡き後」の問題です。この問題を条例素案では最も大事な問題として取り上げました。これは今まで、日本の法律や条例の中には全く書かれたことがない言葉です。だれもが解決したいと願いながら解決できなかったこの問題を、日本で初めて盛り込みました。 D「性・恋愛・結婚…」を盛り込む  障がいがある人にとっての性、恋愛、結婚、出産、子育ての問題をこの条例案は極めて大切なこととして書いています。条例づくりの過程でこの問題を投げかけられた時、当事者の方たちがどのような思いを抱えて生きて来られたのかということに初めて気付かされました。性や恋愛の問題を書き込んでいる例は日本ではまったくありません。日本中のすべての方々に投げかけるという意味も持っている、極めて大切なものです。 E障がいがない人も暮らしやすく  障がいがある人が暮らしやすい大分県をつくるということは、大分で暮らそうとしているすべての人が暮らしやすい大分をつくるということです。私たちはこれまで、障がいがある人を「当事者」と呼び、条例は当事者にとって大分が住みよい地域になるためにつくるという考え方になりがちでした。しかし、障がいがあってもなくても、大分に住んでいる一人ひとりの私たちすべてが当事者として、この町をどんな町にしたいかを考えるという立場を書き込んでいます。 F“災害”に今から対応  災害時、障がいがある人とその家族は大きな犠牲を被ってきました。その歴史を踏まえ、支援を必要とする人たちの情報を共有する、地域住民と避難訓練をする、福祉避難所を準備する、薬品や機材の確保の仕組み作りなど、今からきちっと取り組んでおくべきことを明記しました。 第5〜6面 見出し 「 条例素案」へのQ&A−臨時総会の質疑から 本文 質問 罰則は規定されていないのですか。 回答(徳田)話し合いの結果、罰則ではなくて、話し合いとみんなの合意に基づいてこの条例の目的を達成したいということで、罰則を設けないことにしました。 質問 「 だれもが」とうたってありますが、条例案の内容は障がい者が不利益を被っているということに終始している気がしますが。 回答(徳田)私たちの出発点は、障がいがある人とその家族が感じている生きづらさを何とかしたいということです。それをやり抜くことが、障がいがないと思っている人を含めて、大分県で暮らすすべての人が安心できる生活につながっていくということから「だれもが」という表現を使うことにしました。 質問 健常者や差別をする人たちにどのように知らせるのですか。 回答(徳田)この条例づくりに参加した私たち一人ひとりが、この条例案を多くの人に知らせていくことと、これから議会に請願という形で出していくときに県民の多くの方たちにこの条例案に賛同をいただくという活動を考えています。その過程で大分県中にこんな条例ができるんだということを広めていく取り組みをしたいと思っています。条例ができた後は、私を含めてこの条例づくりに参加した人たちは、この条例に命を吹き込むために地域相談員になったり、この条例の実現を見守っていくような活動を続けていきたいと考えています。 質問 市民に対しては教育していくのですか。 回答(平野)啓発やキャンペーンというかたちで展開することが大事だと思います。条文に書いてあることがなぜ必要なのかが伝われば、実行に移してくれると思います。 質問 「 更生への支援」をもっと具体化する必要があるのではないでしょうか。 回答(徳田)現状は、対応が始まったばかりで、何が必要なのかという議論を始めていく段階なので、こういう抽象的な表現になっています。 質問 「 防災」について、自分の近所にどういう人が住んでいるか把握できていない、個人情報保護とかがあって把握するのが難しいと言いますが、どのようにお考えですか。 回答(阿部)今の法律では障がいがある人の情報を行政が公にすることは法律で禁止されています。しかし、実際に災害が起きた場合、障がい者が大変困っている現実があります。支援できる方々が情報を共有することが大事なので、緊急避難的な開示を認められるようにしたいと思っています。 質問 知事や県議会をどのように通すのですか。 回答(徳田)大切な事は二つあると思っています。一つ目は、私たちの条例素案を多くの県民一人ひとりの方々に届けて、多くの人たちから理解と協力をいただき、それを形として知事や県議会の皆さんに示せるかということです。 二つ目は、議会の会派を問わず、すべての方々と議論を重ねていくことです。私は、ていねいに説明することが何より大切だと思っています。こういう問題を提起したときに、どこに反対されるのか、それはどういう理由なのか、その点について説得できるような資料を集めて、何度も話し合う場を持つ。そういう方法で理解を得ていきたいと思っていますので、どうか期待してください。 第6面 見出し 臨時総会  まとめの言葉   世話人 千住みなみ 本文  これ以上、私がまとめることはできませんので、少し自分の話をさせてください。  私が宇佐市役所に勤め始めた2年前、知人に誘われ軽い気持ちで条例づくりに参加しました。それまで私は自分の障がいが軽度だと思って生きてきましたので、障がいが重いとされている人たちに比べると、自分の言葉に重みがないのではないかとか、あまりしゃべってはいけないのではないかとか思っていました。でも、条例づくりの会合で話していくうちに、自分の障がいは決して軽度ではないと思うようになりました。  私は今まで、障がいを身体機能で考えていました。例えば、「 自分は手が少し短い。だから高いところに手が届かない。でもそれは仕方ない。だって自分はこういう体だもの」とあきらめて我慢してきました。でも、なぜあきらめなければいけないのだろうという思いはずっとありました。周囲の人からじろじろ見られる、子どもについてこられるというようなことがあっても、「 仕方ない、我慢しなければならないこと。だから我慢しよう、気にしないようにしよう」とずっと自分に言い聞かせてきました。しかし、「 いやだな、いやだな、なぜ私だけ生きづらいの。なぜ皆と違うことでこんな気持ちにならなきゃいけないの」という思いを重ねてきたように思います。  そして、「 私の生きづらさって障がいだったんだな。じろじろ見られることで自分に自信がなくなったり、自分がここにいていいのかと思ったりすることが障がいなんだなぁ」と気づいたとき、すごく楽になりました。そんな過程を通して、自分の体や障がいを受け入れられたような気がします。  障がいというものが受け入れられるようになったとき、自分が女であるということに自信を持てていないいうことに気づきました。私が今まで「 障がいがあるから仕方ない」とか、「 障がい者だから」とあきらめていたことの中に、女であるとか、女性として扱われるということもあったんですね。決して「 あなたは女じゃないよ」と言われたことはないですし、そんな扱いを受けた覚えもないのですけど、私は自分が女であるということに今でも自信がありません。  でも、条例づくりに関わりだしてから、「 そういうことに自信がないんです」とか、「 でも女でありたいんです」とか、そういうことを言っていいんじゃないかなあとか思えるようになりました。自分がそういう声を出すことが、皆さんからもいろんな声を出していただく呼び水となり、周りの人たちが「 そういう人もいるんだ」と気づいてくれればいいなぁと考えられるようになりました。  今話したのは私だけの意見ですが、もっと多くの声が出てくることで、もっといい大分県になると私は信じています。これからどういう形になるのかわかりませんが、もっと多くの方々が参加して、たくさんの声を出し合い、本当にいい大分県にできればと思っています。 見出し 「県条例素案」をお送りします。ご希望の方は事務局までご連絡ください。 ☆ホームページからもダウンロードできます☆ 連絡先・アドレスは1面参照 第7面 臨時総会 参加者の声から 本文 〈問題解決・推進手段〉で、3つの制度を提示してくださり、希望が見えました。大分での条例づくりが実を結びますことを切に希望しています。また、それを見守り、できることはやっていきたいと思います。 「親亡き後」の問題は親の声から、「性・恋愛・結婚・出産・子育て」は当事者の声から加えられたこと、とてもうれしく思います。加えたらいいことはありません。こんなに盛りだくさんで大丈夫かと思うほどです。  千住さんのお話、そして皆さんの誠実な対応。ぜひ力を出し合い、成案したいですね。  障がい児・者を含め、弱い立場の人々が、暖かく見守られる社会、支援の施策が広がっていくことを願っています。私も署名、地域相談員等、できるところをがんばります。    わかりやすくよくまとめておられると思います。全文、総則、県の責務、県民の責務、財政上の措置etc. 偏見・差別の実態とは何か、行政・地域の取り組みなど素案によって理解できました。すばらしい条例素案だと思いました。  「丁寧な説明をして納得させます」という徳田代表の言葉が力強く感激しました。   大変だったと存じます。全体の感想として、条例の性格上、やむを得ないと思いますが、抽象的な感が否めません。たとえば親亡き後の問題もそうですが、現に家族が毎日心身ともに疲れ果てており、未来を描けないことや、就労や生活・文化・政治等も重要と思います。   こつこつと粘り強い活動をしていただいてありがたく思います。これまで日頃の不安、不満、希望を訴えたり聞いたりすることができてよかったなあ、考えさせることも多いなあと思って、これからのことを考えられるようになってきています。少しでも行政が取り上げてくれて、形になって、実現していけるよう強く願います。何かできることがあれば、私もしていこうと思いました。自分の問題として、この会は大きな心のよりどころとなっています。 見出し これから取り組むこと−臨時総会で決定した「今後の取り組み方針」 説明 臨時総会では「条例素案」を決定した後、「今後の取り組み方針案」が提案され、拍手で承認されました 本文 @知らせる-集会やタウンミーティング  この条例素案をできるだけ多くの県民の皆さんに知っていただくために、県内各地で集いやタウンミーティングなどを開いて説明し、協力を求めていきましょう。 A県議会への働きかけ-請願署名を  条例を成立させる場は県議会です。県議会に対して「こんな条例を作ってください」という請願が必要になります。各会派の議員の皆さんと話し合いを始めるとともに、5000人の請願署名に取り組みます。あらゆる機会を活用し、多くの県民の皆さんに賛同をお願いしていきましょう。 B「地域相談員」希望者を募集  安心して暮らせる地域づくりの具体化のために、条例素案では公募の「地域相談員」をつくることにしています。私たちの条例づくりへの思い・覚悟を示すために、「地域相談員」づくりに今から取り組んでいきます。あなたもぜひ手を上げてください。 第8面 連載 言わせちょくれ 9 大分市 元記者 小川 彰 見出し 「ならぬことは…」 本文   今年は正月松の内に「三社詣」をした。恥ずかしながら初めての経験である。そして家族の小さな幸せと、世界の大きな大きな平和とを心を込めて祈った。  宇佐神宮。参道の両側にはズラリと屋台が並ぶ。広い境内には高木が茂り、百段はあろうかと思われる石段を上がると、神々の領域。再び下界?の話に戻る。本殿前には大きなビニール袋を広げた即席の賽銭箱。右肩上がりの高度経済成長期には一万円札が景気よく投げ込まれていた。ところが全くと言っていいほど一万円札の姿は見あたらない。世は不況なのだ。  確かに民主から自民へと政権交代後、“アベノミクス”という何とも得体の知れない怪物?が、株価上昇や円安をもたらし、今のところ順調。だが肝心なことは、庶民が安全、安心に暮らせる生活基盤を確立することに尽きよう。  今年は巳年。巳は十二支の中のヘビ。「ヘビに睨(にら)まれたカエル」という言葉があるが、最近、つくづくそう感じさせられる。  まず沖縄問題を取り巻く情勢。最大の嘉手納基地にはF15戦闘機約五十機が常駐。普天間飛行場には問題のオスプレイ十二機が配備され、いずれも増強の流れ。そのオスプレイは約束を違え、市街地上空を飛び、夜間飛行の連続。  海外から「右傾化」を懸念される安倍首相だが、夏の参院選が終われば一気に強硬姿勢に打って出かねない。そうなると極東アジアに睨みを効かせる米国の巨大な軍事力に頼らざるを得ず、一層、「ヘビとカエル」の関係は強まるわけだ。  そのオスプレイだが、米側は本土の六ルートで飛行訓練をするとだけ明示。大分上空もそのルートに含まれているためか、米戦闘機の姿をしょっちゅう目にする。地形調査のためだけだろうか。そして本土でのテスト飛行が。  ちょっと気になることがある。筆者の考え過ぎだと思うが、昨年八月、沖縄県の仲井真弘多知事が日米共同訓練が実施されている日出生台演習場を視察後、記者会見。「基地のある自治体ともうまくいっているように感じた」と一瞬、ニンマリ(あくまでもテレビで観た筆者の主観)。まさか日出生台が米軍基地の一部になったり、オスプレイが常駐したり…。同演習場の憂うべき変質を予感させられる。  中国指導部は、国内に渦巻く不満を対外強硬路線でそらす思惑があるのだろうか。その中国で大気汚染という深刻な問題が浮上。日本も「いつか来た道」である。しっかりノウハウを伝え支援。両国の相互理解が不可欠。  ヘビとカエルの関係は、スポーツ界における先生と生徒、監督と弟子との間にも入り込んでくる。“体罰”という名の暴力だ。  昨年暮、大阪市立高校のバスケ部主将の男子生徒が同部顧問の先生から繰り返し“体罰”を受け自殺。今年に入るや、信じられないほど高校、中学などで繰り返される“体罰”が表明化した。さらに国内トップクラスの女子柔道選手十五人が、監督らによる暴力やパワハラを受けていたと告発。カエルも我慢の限界を超えたのだろう。立て直しは進んでるのだろうか?  最初のケースは、少子化の中で名門校として名を売るための経営姿勢、後のケースは金メダル至上主義が招いた悲劇に違いあるまい。  「ならぬことはならぬのです」。東京での学生時代、寮仲間と一緒に福島の会津若松周辺を歩き回ったことを懐かしく思い出す! (2月末出稿) 写真 新年の参拝で賑わう宇佐神宮の写真 「全国八幡総本宮の宇佐神宮」という説明 以上