有限会社久大住建

原野さん挿絵「黄金の道をあなたと歩く夢を見た。」イチョウの葉

別府市在住原野彰子さん作
42年間の障がい歴ですが、マイカーと電動車いすで出かける、絵手紙と大分が大好きな女性です。

 大分県条例をつくる会は年1回、総会を開いてきました。条例成立後、『大分県をつくる会』に移行した後も開催を続け、様々な課題を共有しながら取り組みを続けています。
 2019年は5月11日(土)に、大分市のホルトホールで開催しました。
  

第1回「だれもが安心して暮らせる大分県条例」をつくる会結成総会ご報告

 「だれもが安心して暮らせる大分県条例」をつくる会の結成総会が2011年6月4日、大分市のアイネスで開かれました。県内各地から約200人が参加、千葉県の条例づくりの報告を聞き、障がいがある人や家族の思いを出し合って、大分県条例づくりのスタートを切りました。

 徳田靖之・代表世話人は、「障がいのある多くの当事者や家族はこれまで悔しい思い、悲しい思いをしてきた。千葉県条例は、当事者が条例づくりの中心を担った。その過程に学びながら、これまで社会や制度の壁に阻まれてできなかった願いが条例という形で実を結ぶように一緒に取り組もう」と呼びかけ 、さらに「条例づくりに大切なことは“社会モデル”と“合理的配慮”。“社会モデル”は『障がいは社会の側、制度、無理解から起きる問題』だということ。“合理的配慮”とは『安心して暮らせるために必要な配慮』でそれをしないことは差別』だということ。この二つを武器にして、みんなで力を合わせて邁進していこう」と呼びかけました。

 野沢和弘さんは、千葉県の条例づくりについて、視覚障がい者や県の職員、中小企業の社長、障がいがある子どもの母親など、様々な立場の人たちの思いが集まってできたことを多くの実例をあげながら伝えてくれました。そして、当事者自らが社会に出て、自ら社会を変えていくことの重要性を指摘しました。

 リレートークでは、宮西君代さんが「今日、この場に立たせていただいたのは、生まれつき脳性マヒという障がいを持ち、言葉も不自由でうまく話すことができない。片言しか話せないから低く見られたり、軽い扱いを受けてきた。そういう人の存在を皆さんに知ってもらいたかったからです」と語り始め、「障害者だけが頑張らなくてもありのままを受け入れる社会を条例づくりを通してつくっていきたい」と条例づくりにかける思いを話しました。

 湯沢純一さんは、「盲導犬によって自分で歩くことができるようになった」、「いろんな人のお世話で今までやってこれたので、私が人のためにできることとして条例づくりに取り組みたい」と話しました。

 藤内浩さんは、精神障がいの家族の立場から、(1)訪問型サービス(2)緊急時など23時間、365日の対応(3)本人の希望に添った生き方ができる社会(4)家族への支援―などの重要性を指摘しました。

 小坂忠さんは、高次脳機能障がいの家族の立場から、「軽く見えるし、知らない人が多いが、24時間手を抜けない」と、実例をあげながら理解と支援の重要性を訴えました。

  倉原秀樹さんは、重度障がいの子どもの親の立場から家族でディズニーランドに行った経験から、「“合理的配慮”があることで安心して楽しめた」と、地域で安心して暮らせるようになる可能性をユーモアを込めて伝えてくれました。

 松下清高さんは、知的障害の子どもの親の立場から「なかなか就労ができない。また“親亡き後”が心配」と話し、また大分市の子ども条例づくりに関わった立場から、「条例づくりには多くの人たちの声を反映することが重要」と指摘しました。

 安部綾子さんは、「差別は遠くではなく身の回りにある。それを背負うことになるのは母親だ。母親の思いを受けとめた条例にしてほしい」と訴えました。

 「つくる会」の方針は、平野亙世話人が、会の構成について「30人から50人の世話人をつくり、世話人会のもとに作業チーム(6つの地域班・条例づくり班)を設置する」と提案。さらに、条例づくりの進め方について、「6月28日に世話人会を開き、アンケート案(調査票)をまとめ、作業班を設置する。7~12月に各地域で第1期の“聴き取り”を実施し、さらに第2期の聴き取りを1~3月に行う。条例づくり班は第1期の聴き取りを受けて条例案をまとめる作業に入り、第2期の結果を反映して、6月までに第1次条例案をまとめる。第1次条例案に対して広く意見を求めるとともに、賛同人を集めて、最終案をまとめ県議会に提出する」という方針を提起し、了承されました。

 閉会あいさつに立った寄村仁子世話人は、「条例づくりの一歩を踏み出しました。一緒に考えながら進めていきましょう」と呼びかけました。

多くの参加者が「つくる会」に入会し、作業チームへの参加の希望を出しています。(以上報告)